安心が主。安全はあくまでも従。その現実を直視せよ - 赤木智弘

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※この記事は2017年03月19日にBLOGOSで公開されたものです

もはや、築地市場問題というか権力闘争ファースト問題は、崩壊してしまっている感がある。

近代的で新しく、今のところ地下水に関する問題程度しか見られない豊洲と、前時代的で古く、いつ壊れてもおかしくない築地。事、ここに至ってついに小池百合子が「築地は安全安心と宣言できる」といい出した。

築地は法令上の安全を満たしており、市場は今も使われているから安全安心だと宣言できると主張し、豊洲に対しては法令上安全だが、消費者の信頼を得られていないと示したという。(*1)

築地は市場として使っているから安心で、豊洲は使ってないから信頼を得られないと言うなら、さっさと豊洲を使えばいい。豊洲も市場として使い始めれば「使われているから安心だ」と言えるだろう。

さて、小池都知事が築地問題をどのように利用しているかは先々週に書いた(*2)ので、今回は市場問題における前提とも言える「安全と安心の関係性」を今一度、しっかりと論じておきたい。

最近は「安全安心」と一括りにされがちな言葉だが、この両者は全く別の言葉である。

まず「安全」とは客観的な事実によって、安全であるということを証明できることを示す。つまり「事実」だ。そして「安心」とは主観的に、それが安心であると思いこむことを示す。つまり「感情」だ。

この両者をマトリクスにすると「安全であり(安全◯)、かつ安心(安心◯)」「安全であるが(安全◯)、不安(安心×)」「安全ではないが(安全×)、安心(安心◯)」「安全ではないし(安全×)、不安(安心×)」という4つに分けることができる。

ここで重要なことは、この4つが等価であるということだ。決して「安全◯、安心◯」「安全×、安心×」という事実と感情が合致する2つだけが正しい関係性で、他の2つが間違えた何かということではなく、事実と感情が相反する2つも加えて、この4つが正しいとか正しくないこと関係なしに、存在しているということである。

しかし世の中というのは、往々にしてうまくいかない。なぜなら大半の人達にとって重要なのは事実よりも感情だからだ。事実は感情を決定する要素の1つに過ぎず、そもそも事実と感情を等価に併記するこうしたマトリクス自体が人間にとっては成立しない。

福島や東北の食べ物に対して放射性物質の不安を覚えたり、中国や韓国、北朝鮮に対して武力的な不安を覚えたり、沖縄の反基地運動はカネ目当てでやってるなどという感情的な反発は、福島第一原発事故やホットスポットの問題。近隣諸国の軍事費の増大や尖閣云々、あとはそのへんで拾ったらしき封筒といった、ごく一部の事実を拡大解釈することによって産まれている。こうしたちょっとした事実を、自分の感情の裏付けとして利用して悪びれないのが世の中というものである。

そうしたことに反発して「事実こそが正しいんだ!事実をもっと敬え!感情を減らせ!」と主張する人もいるが、無理だろう。そもそも人間はそんなに単純にできていない。そもそも事実を敬えというなら、感情を優先する人が大多数であるという事実をまずは謙虚に受け入れることから始めたらどうか。

事実と異なることを真実だと思いこんでしまった人達に対するケアは極めて困難だ。「不安に思う人達の感情に寄り添う」なんて、口にするのは簡単だが、福島第一原発事故後の対応では自分が夫や妻と選んだ相手に対してすら不信が相次いだ。その中で他人が誰かの感情をなだめ、事実を受け入れさせていくのは難しい。

それは「反原発がデマをばらまいたから」という話ではなく、そもそも人間が自分で自由に考えたことに対して、他者が介入することは極めて困難だという、極めて平凡な結論から見いだせる話である。

そもそも今回の築地問題に関しても、そもそも私達の大半は、問題が明るみになる前までは「築地市場をネコやネズミが走り回っている」ということすら知らなかったのではないか。

建築が古いから言われてみれば当たり前だけど、アスベストが使われていたり、老朽化しているという当たり前のことすら、私たちは興味を持たず、感情的に「築地は世界に誇る日本の市場。築地ブランドは安全安心」だと思いこんでいたのではないか。

現在、築地はこうやって問題になっているからこそ「築地は古く、移転させるべき事実=事実寄りの側」と「築地は安心だ。豊洲は安心ではない=感情寄りの側」であるかのように二分され、さも移転肯定派が事実に基づいて論じているかのように見えている。

しかし、もしも今回の問題がここまで露出しなければ、単に「都がそう決めたから」ということだけで移転がなされた。つまり全く事実と関係ないままに、豊洲に移転したという結末だけを受け入れることになったのだろう。

結果として「新しい施設に移転して、より安全になった」という事実は残るのだけれども、ではそれは事実に基づく話の結果であると、事実を前提にする人たちは諸手を挙げてバンザイできるのだろうか。

それは事実という話ではなく、単に「公がやることは正しいに違いない」という感情の末路ではないだろうか。 もちろん、これは周回遅れの話である。

そもそも築地市場移転の話は高度経済成長の頃から出ている。

都市周辺の人口の急増により築地が手狭になり、トラックの渋滞なども問題になった頃、現在の大田市場に移転する話が出たが、反対運動などによって頓挫した。

次に市場の建て替えが試みられたが、建築費の高騰などから計画は大幅に縮小された。

そして今回、豊洲市場への移転が試みられているが、権力闘争ファースト都知事の出現により、これまでの都政を否定する世論が高まり、こうして大きく揺れている。(*3)

そうした30年、40年の間、議会が安全の話をしなかったはずはないのだ。ただ東京都民は「築地は今日も稼働しているから」という理由で、そうした議論に特に興味をもたなかっただけのことである。

そうした意味で小池都知事の「築地は安心である」という指摘はとてもおかしなものだが、その間違った指摘が都民に受け入れられる理由もよく分かる。結局はどこまでいっても事実ということに対しては関心がないのだ。

いくら社会的に「安全安心が大切」と言われようとも、私達の社会は概ね「現状が変わらなければ安全安心」であると思いこんでいる。たとえそのすぐ横に危険性が潜んでいたとしても、私たちはそのことに気づきもしないし、気づいた人が大声で叫んでいても聞こえないのである。

そして現実に問題が発生した時にはじめて大声で「そんなこと聞いてなかった!」と騒ぎ出すのである。しかしそれでもまた喉元過ぎれば熱さを忘れてしまう。こうして、私たちは事実よりも感情によって、自らの安心を自覚しているのである。

『菜果フォーラム』という「一般社団法人 日本青果物輸出入安全推進協会」が作っている広報誌に掲載された「「安全」よりも「安心」を重視しよう」という記事を紹介したい。(*4)

この記事はネットで「毎日変態新聞の記者が、安全を軽視するトンデモ記事を書いているぞー」という晒しあげの文脈で紹介されていたものだ。

しかし、ちゃんと内容を読めば、この記事が安全を軽視する内容でないことは明白である。市民が安全よりも安心を重視してしまうことを前提に、安心重視のリスクコミュニケーションをしていく必要があるという論旨である。

そしてこの記事を批判的に取り上げる人の中に「安心>安全」であることを批判している人がいた。今回のぼくの記事で問題視しているのは、こうした「安心が安全よりも重要であるという意見に対して、ゲンナリしてしまう」ような人たちである。

残念ながら、そうした人たちは「安全よりも安心を重視する人がいるという現実」を直視できていないに過ぎない。いちいちこの程度の現実を見てゲンナリするという姿勢を見せつけられる方が、ぼくにとってはゲンナリである。

そんなことはこれまでだって「食品添加物」とか「体感治安」とか「外国人差別」の問題で、さんざん見せつけられ続けてきた現実である。その現実を重視せず、いつまでたっても「安全という現実を伝えれば、安心という感情が産まれるはず。そうでない輩はどこかおかしな連中なのだ」という傲慢さに逃げ込むことは、果たしてリスクコミュニケーションの役に立っているのだろうか?

そう考えた時に、僕が思い出したのが、東京大学大学院の早野龍五教授が開発した「BABY SCAN」である。これは乳幼児用の内部被曝測定装置なのだが、実は乳幼児が内部被曝しているか否かという事実を見るためには、この装置は全く必要のないものなのである。なぜかと言えば、子供の食生活は親の食生活と紐付いているので、親の計測をして親が大丈夫であれば、子供も大丈夫だという事実がすでに明らかであるからだ。

しかし、どうしても子供も測ってほしいという親たちの感情に対して「親が大丈夫なら子供もですよ」と現実を示すのではなく、わざわざ乳幼児用の測定器を作り、実際に測って、感情を満足させることに成功したのである。その結果として、親たちは安心して「子供の内部被曝は問題ない」という現実を受け入れる事ができるようになったのである。

このように、ただ事実を示して「正しいのだから従え」という傲慢な姿勢を店入るのではなく、安心を軸としたリスクコミュニケーションを生み出すことが、結果として安全という現実を受け入れられる社会を形作ることに役に立つ。僕はそう考えている。

*1:豊洲市場 消費者の信頼得られず安心とは言えない 小池知事(NHKニュース)
*2:小池都知事は権力闘争ファースト(BLOGOS 赤木智弘)
*3:【築地市場・移転延期】進むも地獄、戻るも地獄 その揺れ続けた80年(ハフィントンポスト)
*4:広報誌・菜果フォーラム vol.25(一般社団法人 日本青果物輸出入安全推進協会)