外交の裏に酒席あり「白酒」が結ぶ日中友好 - 田野幸伸

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※この記事は2017年03月09日にBLOGOSで公開されたものです

日中笹川医学協力プロジェクトの調印式を取材するため北京を訪れた私は、調印式の前後に日本財団・尾形理事長の外遊を密着取材させてもらった。



北京に着くやいなや地元メディアの代表や日本メディアの特派員らとの懇親会、中国共産党中央委員会の機関紙『人民日報』を発行する「人民網」との意見交換やTV収録、そして中国国際友好連絡会との会談そして会食…。目の回るようなスケジュールで日程が消化されていく。



北京3泊4日のスケジュールはこうだ。
北京到着→懇親会→調印式→会食→会談→会食→会談&会食→会食→帰国

朝食以外は昼夜会合というとんでもないスケジュールである。さすがは理事長。

中国の宴会はワイルド&タフ



初中国だった私は、中国の宴会に欠かせないアイテムがあることを知った。



その名は白酒(パイチュー)。乾杯に使われる度数の高いお酒で、50度を超えるものもある。(52度…)



小さなグラスに並々と注ぎ、「乾杯(カンペイ!)」の掛け声とともに一気に飲み干す。飲みきったことを証明するために、空になったグラスの底を相手に見せ「どうもどうも」とやる。



日本酒で言うところの徳利をもって丸テーブルの次の席でまた乾杯…。



中国はメンツを重んじる国。あの人とは乾杯したのに私とは乾杯してくれない、というのは通らないわけです。



一周する頃にはすっかり出来上がっているという寸法。ニーハオシェイシェイ!



沖縄地方で泡盛を車座になって回り飲みするオトーリという風習がありますが、これは負けず劣らずしんどい。

外交ってこんなにハードなのか。

宴会にろくな思い出はないが…



最近の若者はお酒を飲まなくなったという。それは生活に余裕がない、というのもあるだろうが、アルコールを通じてのコミュニケーションが鬱陶しいんだと思う。嫌な上司と誰が飲みたいものか。

私もお酒に弱い方で、ラジオ局で働いていた20代は何度も酷い目に遭った。

新人ADの頃についたあだ名は「バンビ」。飲み会で潰され、酔って立てなくなって生まれたての子鹿のように足をガクガクさせていたのがたいそう面白かったそうだ。その後路上で倒れていたらラグビー部の失神した部員のように水をバシャバシャ頭からかけられた。20世紀最後の年の冬の出来事だ。

社員旅行では熱海後楽園ホテルの宴会場でお酌をして回り、返杯でヘロヘロに。そのまま宴会場のトイレで気絶していたら宴会は終わり、宴会場のカギが閉められ「田野がいなくなった」と大騒ぎ。数時間後に宴会場から救出されたが、よく生きてたものだ。民事の時効がうらめしい。

電通の次は放送局と制作会社にメスが入らないかな…と願う今日このごろだが、お酒に苦い思い出しかない私ですら、今回は宴席で盃を交わすことの重要性を感じた。それは「外交」の場だったからだ。



宴会の前には本気モードの意見交換会があり、それなりにピリッとしたムードが漂っているのだが、挨拶があり、乾杯がありとやっているうちに、通訳を挟んでのコミュニケーションだったものが、いつのまにか勝手に乾杯して盃を交わしている。

言葉が通じない分、酔って腹を割って本性をさらけ出すことから生まれる「信頼感」というものが本当にあるのものなのだ。

飲めない人が無理に飲むのは避けねばならないが、人と人の交流にはお酒が必要な場面もあるのだと痛感した。その最たるものが「外交」ではないではないだろうか。

商談レベルでお酒が必要な接待の場に立ち会うことはあれど、民間とは言え国と国の友好関係が重要視される調印式の裏で、いくつの乾杯が必要だったのかと思いを馳せる。



理屈ではなくこれは必要なことなんだな…。

国と国の関係がどうあれ、とりあえず飲んで騒いでたら人間は仲良くなる。これはどんな民族でもそうだろう。大使館がくっそ高いワインコレクションを所有するのもうなずける。

ロシア人とウォッカを飲み、韓国人と真露を煽り、中国人と白酒を飲む。こうやって国と国、人と人は交流してきて、これからもして行くのだろう。

酒が愚痴の誘発剤でもパワハラの道具でもなく、友好の潤滑剤として活躍するいい場に立ち会わせていただいた。会談ではとても重要な話が飛び交っていたような気もするが、記憶にはあまり残っていない。



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