朝日新聞「月刊Jounalism」編集長に聞く「自殺報道ガイドライン」 - 渋井哲也
※この記事は2017年02月28日にBLOGOSで公開されたものです
1998年の経済危機から2011年まで年間自殺者3万人を超えていた日本だが、12年以降は、3万人を下回った。'16年は2万1764人で、2万2000人を割ったのは22年ぶり。'06年に自殺対策基本法ができ、「様々な社会的な要因がある」とされたことで、行政や医療、民間団体などが社会的な取り組みを行うことになった。その結果、当初の削減目標をクリアした。
一方、自殺に関する報道のあり方は、ざまざまな観点から検討がなされている。 報道の仕方によっては自殺を誘発するとの指摘もある。'86年、ポスト松田聖子と言われたアイドル・岡田有希子の自殺は、当時、大々的に報じられ、若者たちの連鎖自殺をまねいた、と言われている。有名人の自殺、いじめの疑いのある自殺があれば、報道機関は常に悩みながら記事にする。
ただ、個人の感性だけに頼ることなく、一定の基準が求められることから、朝日新聞は’12年にガイドライン「事件の取材と報道2012」に新指針を盛り込んでいる。その作成に携わった、朝日新聞が発行する「月刊Jounalism」の編集長・岡田力さんに話を聞かせてもらった。
朝日新聞の自殺報道ガイドラインは、
●自殺や合意の上での心中については原則匿名とする。特に未遂は再起を妨げないように匿名とする。ただし、政治家ら公人や公的存在、著名人の場合や、社会的影響が大きい場合は実名を検討する。となっている。4つ目の項目を新たに付け加えたのだ。
●親子・無理心中は実名を原則とする。逮捕や送検、起訴された場合は容疑者呼称が原則だが、事情によっては匿名や肩書き呼称、敬称もある。
●親子・無理心中で、子どもが助かった場合は、子どもの将来に考慮して、親子ともに原則として匿名で報道する。
●自殺を大きく報じる場合は、報道による「連鎖自殺」の可能性を十分に注意する。特に連鎖自殺のおそれが高いとされるタレントや青少年の自殺などでは、肉筆がわかるような遺書の写真は原則掲載しない。相談窓口を併せて掲載することは連鎖自殺防止には有用だ。
報道によって命が失われることは避けなければいけない
―自殺報道に関して議論になったのは、'07年5月の松岡利勝農水大臣(当時)の自殺もそうだが、それ以前に、'86年4月に起きたアイドル岡田有希子さんの自殺のときか。
岡田:資料として残っているのは、朝日新聞のガイドライン「事件の取材と報道2004」。'12年版はそれを引き継いだ形だ。それ以前のものは資料がない。単純に世の中がよくなってほしい、と記者は考えているはず。その報道で命を失われてしまうのは避けなければならない。
'60年5月、「雅樹ちゃん誘拐殺人事件」があった。当時は報道協定がなく、誘拐と聞けば書いていた。犯人が新聞を読んでいて、追い詰められたと感じ、口封じに殺してしまう。報道による、「書く・書かない」の基準はこれではないか。報道によって、人が死ぬのは最悪。その後、誘拐事件では報道協定ができる。それは報道の原則を変えている。知ったら書くべきなのに縛りを自らかける。アイドルが自殺した場合、報道の仕方によっては、連鎖の傾向があるとわかっている。配慮が必要だ。
'06年に相次いだいじめ自殺(福岡、岐阜、北海道)のときの勉強会の資料がある。記者が取材過程で自殺報道の問題にぶつかっていた。当時の「事件報道小委員会」(東京本社、名古屋本社、大阪本社、西部本社の事件担当デスクが中心)で議論があった。
松岡大臣が自殺した。政治家が自殺したとき、動機を報道しないということはあり得ない。ましてや、政治資金問題だ。遺書は当時、最大の取材ポイント。結果的に、詳細な動機は書いていなかった。「政治家が自殺したらブレーキかけていいのか?」が、小委員会で議論になった。かけてはいけないのではないかと。
このときの議論では、ガイドライン改訂は検討事項になっていた。しかし共通のコンセンサスまではいかなかった。ただ、まったくやっていなかったわけではない。'04年版でも、「連鎖自殺に気をつけよう」という言葉はガイドラインの本文中にはあった。
また、1)自殺の詳しい方法は報道しない、2)原因を決めつけず、背景を含めて報道する、3)自殺した人を美化しないーの3項目も、'04年版には入れている。その意味では、徐々にガイドラインが改訂されてきたと言っていい。
―ガイドラインを記者はどこまで参考にするのか。「自殺の詳しい方法は報道しない」とあるが、記事によっては、「首を吊った」とか、「縄で」とか書いてあったりする。
岡田:記事では素材は言及しないが、「首を吊った」ということは報道するだろう。'98年5月にX-JAPANのhideが亡くなったときにも後追い自殺があり、連鎖自殺には気をつけようと言われていたと思う。
どう報道すべきかを記者が迷った瞬間にガイドラインを開けと言っている。(事件や事故に比べて)自殺の報道はそれほど多くはない。普段から書いている交通事故とかならば、いちいちガイドラインを読まない。しかし、普段書かないような異例のことが起きると、記者はガイドラインを読む。自殺というテーマはそれほど多くはない。担当記者やデスクはそうした場合、読むだろう。
自殺を思い止まるような記事も載せる
―'02年から'04年は「ネット自殺」「ネット心中」「練炭自殺」が流行った。'04年10月、ネット心中で7人が亡くなった。このとき、呼びかけ人を私は以前から取材していた。7人はネット心中でも最大の人数。当時、ニュース性が高かった。加えて、呼びかけ人は、歌手の元妻で、解離性同一性障害の診断を受けていた。
これらの情報が特に初期段階で流れると、センセーショナルになりすぎると私は思った。呼びかけ人を知っている私にメディアから取材が相次いだが、「歌手の元妻」と「解離性同一性障害」についての扱いが心配だった。
岡田:7人が亡くなったのは大きなニュース。私が埼玉県でデスクをしていた時で、夕刊の一面のトップだった。当時、朝日新聞は特に配慮した紙面づくりをしてない。今だったら、自殺したいと思った人が記事を読んだとき、自殺を思い止まるような記事をサイドに載せる。
とくに、ネットでの情報拡散が心配だ。紙面でできるかどうかわからないが、少なくともネットでは、相談窓口のリンクを貼ったり、過去の類似の記事をリンクすることはできる。一報を小さくすることは難しい。ただ、詳しい方法は書かないだろう。練炭自殺なら、そう書くだろうが、その詳しいやり方は載せない。
―当時、私は朝日の記者に取材された。呼びかけ人とのやりとり、止めようとしたことなどが夕刊で記事になっている。
岡田:このころは、記者個人の感性に頼っていた。感性があればよい記事もできるが、それだけに頼っていると、悪い記事も出る可能性がある。それは報道として避けるべき。少なくとも、ひどい記事がでない仕組みを作っておく必要がある。自殺に関心がない記者が担当になったり、デスクになったり、見出しをつけることがある。どう判断していいか、となったときに文書として残しておけば、最悪の記事は防げるのではないか。
―「ネット心中」の話題が連載していた時期もあったが、時間が経つと、「ネット心中」自体のニュース性が薄れてきたり、あるいは、連鎖自殺を防ぐためもあり、類似の記事が減った。
ニュースが減ると、「ネット心中がない」と思う人も出てくる。私が取材していた19歳の男性も「自分がネット心中で死ねばニュースになるはず」と思っていた。一時は自殺をやめることを考えたが、結局、30歳の女性とともに亡くなった。ニュースがないからといって、ネット心中が起きてないとは言えない。ただ、そう思ってしまう読者もいる。
岡田:新聞としてできるのは、今、どうなっているという現状のレポートだが、タイミングが難しい。書く意味があるかどうかも考えてしまう。むしろ、書くとすれば、「ネット心中がないと思っていた青年が自殺した」という記事なら、大きな記事になるかもしれない。「減ってないよ」と書くのは実は難しい。そうした記事でも、解説がないと、「みんな死んでいるだ。俺も..」と思う人が出てくるかもしれない。
―硫化水素自殺が増えたのは'07年ごろだった。新聞記事が巨大匿名掲示板「2ちゃんねる」に貼られ、どうやって硫化水素を作るのか?という検証の書き込みが相次ぎ、同様の方法による自殺が連鎖した。朝日は当時、詳しい報道をしたか?
岡田:たしか一回どこかの支局の県版か社会面かで書いていたことがあった。それがネットに載ってしまい、かなり批判があった。「朝日新聞は自殺のやり方を教えているのか」と。そのときに、注意喚起した。
ガイドラインに「自殺の詳しい方法は報道しない」が入ったのは'04年度版。'06年のいじめ自殺も、'07年の硫化水素自殺も、'12年版ができるその間だった。記者もデスクも見逃していたのかどうか。
ちょうどそのころ、私は東京本社の事件担当デスクをしていた。社内で議論になり、注意喚起を流している。そうすると、当面は類似の記事は出なくなる。しかし、“有効期限”は一年ぐらい。人事異動があると、“有効期限”が切れる。だから、冊子に入れるべき。やはり、きちんとガイドラインを刷新したほうがいいなと、当時から思っていた。
―自殺報道に関心を持った理由は?
岡田:新人時代に、風呂場のガスの不完全燃焼によって、一酸化炭素中毒で母親と子ども2人、計3人が亡くなった事件を取材した。顔写真をいち早く入手し、夕刊につっこむことができた。その後、事故のあった風呂場の写真が欲しいと思った。父親が出てきて話をしてくれるが、写真を撮らせてくれない。「今、他人を家にあげたくないんです」と言っていた。何度も訪問したが、父親は一週間後に自殺した。
警察は「あんたの取材のせいじゃない」と言ってくれた。しかし、相手の気持ちを考えずに取材していた。少なくとも自殺の一因になったんじゃないか。自分の取材で相手を追い詰めちゃうことがあるよと、新人研修では話をしている。その後、葬儀に出席したり、周辺取材を続けた。ものすごくプライバシーに踏み込んだ。取材すればするほどプライバシーになる。自分にとっては納得したが、書くべきかは悩んだ。結果、一行も書かなかった。
いじめ自殺でも、校長に対してしつこく取材をしていた。もちろん、子どもの命が失われた事案で、背景にいじめがある。学校が担任をかばうような態度だったので、追求していた。校長とやりとりしている中で、突然、校長が立ち止まり、飛び降りそうな雰囲気になった。思わず止めた。何かの瞬間に、ふと気が抜けることがある。当事者になった人は自殺するかもしれないと考えながら取材しないといけない。
―WHOの自殺報道ガイドラインについてどう思うか
岡田:基本的にはこのテーマの研究は進んでいないと思う。亡くなった方の気持ちは基本的にはわからない。複合的な要因もあるし、病気ということもある。本当にメディアが影響したのかは究極的にはわからない。
ただ、明らかに数字が増えているというケースもある。著名人が自殺したことが世間に知れ渡ったときに、死にたいと思っている人が死んでしまう場合がある。ただ、報道の自由、表現の自由、言論の自由に関わることのため、「WHOがそう言っているから、その通りやれ」とは言えない。言うべきでもない。やはり、一つひとつの項目を議論すべき。そのため、ガイドライン作成のときには、WHOのガイドラインを疑って議論した。
記事では記者の”葛藤”が伝わらない
―'11年5月、グラビアアイドルの上原美優さんが自殺した。内閣府参与(当時)だった、NPO法人自殺対策支援センター・ライフリンクの清水康之さんが、直後に自殺増えたと報告したことについて、朝日新聞は「上原美優さんの影響」と報じた。しかし、清水さんは自殺の影響ではなく、自殺報道の影響と指摘していたため、朝日新聞は訂正を出している。
岡田:このおかげで議論が進んだ。あれがなかったら話が進まなかった。記者が清水さんにインタビューし、記事を掲載した。そのとき、私の署名記事で「きちんとしたガイドラインを作ります」と約束をした。紙面で約束をしたから、絶対に作らないといえない状況になった。
―'16年9月11日、朝日新聞には「13階から飛び降り『直後に後悔』自殺未遂者語る」という記事が掲載された。一命をとりとめた40代の女性が、ゆっくりと落ちていく中で、「死にたくない」と感じたことを証言していた。この日は世界自殺予防デーだった。
岡田:こういう記事はタイミングを作って出している。タイミングの見つけ方は記者の感性。よくアニバーサリー・ジャーナリズムと言われることがある。それも報道する側の工夫。世界自殺予防デーとか、自殺予防週間(9月10日~16日)、自殺対策強化月間(3月)などタイミングを見つけて、溜めていた記事を出す。
―いじめ自殺の場合、本当にいじめだけが原因なのが言われることがある。
岡田:いじめの場合は難しい。何をもって「いじめ」と言うかというところから、判断しなければならない。みんながみんな「これはいじめです」というケースはほとんどない。親はいじめと言っているが、学校や教委は認めない、ということがある。また、いじめには加害者がいる。加害者はまだ子どもだ。そのケアを考えると難しい。何があったのか知りたいから取材したい。しかし、どこまで取材すべきか、どこまで接触すべきか、記者は悩む。ただ、接触しないとわからない。非常に難しい取材だろう。
―新人記者時代、「中学生が自殺をした」という話を聞いて取材をしたことがあった。いじめの噂はあったが、確定的な証言はなかった。遺書もいじめに関することは書いていなかった。そのため、記事にはしなかった。社会問題に関連しない自殺の場合、メディアでは書かない。
岡田:一人の中学生が自殺した場合、病気や家庭の問題が原因であれば、報道しないが、自殺をしたのが複数だとすると、そうした背景でも報道することがある。なかなか判断が難しい。交通事故の場合、一人の死亡よりも、三人の死亡のほうが大きく扱われる。その同じ発想ではないか。どういう線引か。それは普通のニュース判断と同じではないか。
―私は自殺をしたい若者たちを取材している。'02年、取材していた中学生が亡くなったことがあった。読売新聞の夕刊に記事があり、年齢と住所で「もしかして?」と思った私は、その中学生のホームページを見た。すると、自殺予告をしていた。実は、家庭で虐待を受けていたのだが、読売の記事はそこまでは書いておらず、ストレートニュースで掲載していた。その記事内容でどうして載ったんだろうと思ったことがあった。
岡田:社によって判断が違う。中学生ということで載せたのかもしれない。読売や毎日のガイドラインを見たことがないので、自殺のことをどこまで言及しているのかわからない。デスクによってはあり得たのかもしれない。朝日が一番、抑制的だとは思う。「書いて解決すべき」という記者もいるだろうが、影響が心配。そこは配慮できるところがあるだろう。
事件報道小委員会に出る四本社と北海道支社に、事件担当デスクがいる。「迷ったら事件担当デスクに聞け」と言っている。それでも迷ったら、編集局を巻き込むことになる。大抵は、事件担当デスクで判断している。
―朝日の場合は、ガイドラインを公表している。公開の意味は?
岡田:事件報道というのをなるべく知ってもらいたい。現場は相当悩みながら取材し、書いている。自分の記事で悪影響が出ないようにも考えている。でも、新聞の記事は事実しか伝えない。そのため、その葛藤が伝わらない。
'04年版には固有名詞が入っていたために、'05年版を改定し、一般向けに市販している。'12年版は最初から市販を考えて作った。コンプライアンスから考えればメリットはない。警察や弁護士から突っ込まれる可能性がある。実際、突っ込まれている。一般読者や書かれた人に、説明ができない書き方はできなくなる。記者にもいい緊張感がある。
◇ ◇ ◇
このインタビューが終わった翌週の2月14日、朝日新聞は第1社会面のトップで、横浜市での原発事故によって避難してきた子どもへのいじめ、金銭授受に関して、調査委員会がいじめと認めなかったが、一転して教育長が認めた記事を載せた。肩には福島県南相馬市での中学生の自殺を取り上げている。いじめが背景にあることを実名、顔写真付きで報じた。その下には、愛知県一宮市の中学生が自殺した問題で、携帯用ゲーム機に、「担任によって人生全てを壊された」などの「遺言」が残されていたと伝えた。
この日の社会面は読者によってはネガティブに反応してしまうのではないかと感じた。記者のツイッターによると、社内でも議論があり、ネットでは相談窓口の情報を掲載している。こうした考えは、ガイドラインがあったことによる判断だったのだろう。
もうすぐ3月の自殺対策強化月間が迫っている。各社、どのような自殺報道がなされるのだろうか。注目したい。