ジャンクサイエンスに惑わされず、「科学」と「感情」は分けて考えるべき~「“安全性”を読み解くための 科学リテラシー講座」後編~ - BLOGOS編集部PR企画
※この記事は2015年06月15日にBLOGOSで公開されたものです
近年、「放射能」「農薬や針の混入」「遺伝子組み換え」など、「食の安全性」に関するニュースが世間を大きく騒がせることが増えています。実際に、私たちの体に入る食品だからこそ、正しい情報を身につけて、理解して、日々の生活に活かすことが大切です。前編に引き続き、後編では、引き続き「遺伝子組み換え食品」を題材に、科学をめぐる報道に触れる際に注意すべき点などについて専門家の方と議論しました。[PR企画]
【出演】
司会:大谷広太(BLOGOS編集長)
アナウンサー:佐々野宏美
コメンテーター:須田慎一郎(ジャーナリスト)
ゲスト:唐木英明(東京大学名誉教授)
蒲生恵美(日本消費生活アドバイザー・コンサルタント・相談員協会)
20年にわたる実験で証明された安全性
須田:安全性について、国は実験結果、検証結果をオープンにしているんですか?
唐木:日本では、食品安全委員会という内閣府の機関が審査をして、その結果はすべてホームページに出しています。それから環境に対する影響も調べていて、これもホームページで公開されています。
佐々野:「安全ですよ」と私たちに情報を出すための実験って、どのぐらいの期間やっているものなんですか?
唐木:ものによりますが、実験自体は、何年という期間がかかります。そして、食品安全委員会の審査は論文を集めて、審査するという形が中心なんですが、やっぱり1つの遺伝子組み換え作物を審査するのに、1年ぐらいは時間がかかります。
佐々野:コメントの中にもあったのですが、「20年程度の実験の長さで本当に大丈夫なのか」という心配をされている方もいると思うのですが。
唐木:よくそういうご心配がありますが、一番心配なのは、ガンを起こしたり、奇形を起こしたり、あるいは孫や子の代に何かおかしなことが出ないか、ということでしょう。これを調べるのは、そんなに難しくないんです。遺伝子に変化が起こっているかどうかを調べればいいのです。遺伝子に一切変化がなければ、ガンにもならない、奇形にもならない。孫や子に起こるはずがないわけですから。
科学的なステップを1つずつ積んで、1年の実験をきちっとやれば、孫や子の代のことまで科学的には予測ができます。それで足りなければ、実験動物を使って実験を行うということになります。
蒲生:付け加えさせていただくと、まず実験に何年という年数的な区切りがあるわけではありません。安全性が確認できるまでということですから、先ほど、唐木先生がおっしゃったように、モノによってはかなり時間がかかるものもあります。
また、安全性を調べるところで、1つポイントになるかなと思うのは、先程「遺伝子はタンパク質を作る設計図であり、タンパク質はアミノ酸の塊だ」という話をしました。
タンパク質は胃腸の中で分解されて、アミノ酸として体に吸収されますが、人間の体に入った後にそのアミノ酸がまた元の遺伝子組み換えタンパクに変わるということはありません。代謝に従ってその人の体の一部になったりエネルギーとして消費されます。
それは、人間が豚肉という豚のタンパク質を食べても体の一部が豚にならないのと同じことです。元のタンパク質が遺伝子組換えタンパク質であったとしても、消化してアミノ酸になってしまえば、それは私たちの栄養素です。お腹の中で消化された時点で遺伝子組換えタンパク質ではなくなっていると言ってもいいでしょう。安全性を評価する上で、そのタンパク質が迅速にアミノ酸に消化されるかどうかは大事なポイントの1つです。
アレルギーと遺伝子の関係
写真一覧
唐木:家畜が遺伝子組み換え作物を食べたら、消化されてしまうわけですね。その家畜自体には何も起こらない。それを人間が食べたとしても、家畜の体の中に遺伝子組み換え作物の影響が残らず、すべて消化されてしまっていますから、何も起こりません。こういうことが、この20年間で証明されているわけです。
大谷:あと、「アレルギーはどうなの?」というコメントが多くきているんですけども。
唐木:確かに今、アレルギーが非常に増えていることは、みなさんご存知の通りです。その原因は科学的によくわからないんです。ただ、「遺伝子組み換えのせいだ」というのはまったくの間違いで、アレルギーを起こすようなタンパク質を持つ遺伝子組み換え作物はすべて禁止になっています。
「添加物のせいではないか?」「残留農薬のせいではないか?」あるいは、「衛生仮説」といって世の中がキレイになりすぎて、微生物が周りに少なくなっちゃったからアレルギーが増えたという説もあります。少なくとも、添加物、農薬、遺伝子組み換えでないということは分かっていますが、そのほかの仮説が本当なのかどうかは、まだ検証しているところです。
蒲生:どんな技術であれ、その技術が「絶対に安全」とか「絶対に危険」ということはないと思うんですね。だから、「遺伝子組み換えだから大丈夫」とは私は言いません。大事なのは、安全性評価で安全かどうか確認をするということ。
アレルギーはタンパクですから、アレルギーを起こすような遺伝子が入れば、アレルギーを起こすタンパクが出来てしまいます。だからこそ、そういうことが起きないように、今まで発見されたすべてのアレルギーの型のどれにも当たらないかを検証するんですね。そういった安全性評価をパスしたものしか、市場には出せないルールがあるところが、大事だと思います。
佐々野:そういうルールがあるという前提を踏まえても、行き着く先は、食べたくない人は食べない。気にしないよという人は食べる・買うという、個人の選択肢になってきますよね。
唐木:その通りだと思います。ですから、そのために表示がとても大事で、食べたくない人は表示を見てやめておく。気にしない人は表示を見て、安く買う。これがこれからの生き方だろうと思います。
遺伝子組み換え作物には“表示義務”がある
須田:家畜の話ばかり伺っているんですけども、遺伝子組み換え飼料を食べた、牛や豚というのは、遺伝子組み換えについての表示がありませんよね。唐木:ありません。
須田:これはどうなんですか。やっぱり表示すべきじゃないですか?
唐木:なぜないのかと言うと、遺伝子組み換えのトウモロコシを食べたら、そのトウモロコシはすべて消化をされる。そして、消化をされて栄養素になったものは、遺伝子組み換えでないものと、栄養素はまったく変わらない。そこが変わっていたら問題なんですけれども、変わっていないので、問題が起こっていないということなんですね。
須田:「そこにも選択肢を与えるべきでは…」という意味ではどうでしょう?
唐木:先ほど話題になったドキュメンタリー映画の中でも、「家畜が食べているからイヤだ」という描写がありました。これは、いわゆるハラールと似ているところがあると思います。つまり、拝んで殺した動物と拝まないで殺した動物はまったく同じ肉なんです。でも、イヤな人のために拝む。あるいは、イヤな人のために表示をする。そういうことは、これからあってもいいのかもしれません。
大谷:「こういう飼料を食べさせた豚だから美味しい」という前向きな表記はありますよね。
佐々野:パッケージ表示に関しては、まだまだ課題もあるんですか?
蒲生:そもそも食品の表示というのは、その食品がどういうものかを知る重要な情報だと思います。
遺伝子組み換え食品にも表示制度があり、食品表示法で遺伝子組み換え食品に関しては、表示義務が定められています。遺伝子組み換え食品の表示には、「遺伝子組み換え」と、「遺伝子組み換え不分別」の2つが義務表示として定められています。
その他に、「遺伝子組み換えでない」という表示もありますが、実はこれ、義務表示ではなく任意表示なんですね。書いても書かなくてもいい表示です。それにも関わらずこの表示を一番よく見かけますが、義務表示は「遺伝子組み換え」と「遺伝子組換え不分別」すなわち、遺伝子組換え作物とそうでないものを分けていないことを示す表示の2つです。
表示がされるものには1つ重要な前提があるのですが、それが先ほどお話した安全性評価です。安全性評価で、「安全である」と認められたものだけが商品化され、その商品化されたものに表示がされ、市場に出るという仕組みになっています。
遺伝子組換え表示は安全か否かを見分けるための表示だという人が時々いますが、そうではないのです。「遺伝子組み換え」「遺伝子組み換え不分別」表示は、安全性が確認された遺伝子組換え作物と、その遺伝子組換えと他の作物を分けて管理していない、ということを意味しています。安全性が確認された食品に対して、その上でなお消費者がその食品が遺伝子組換えであるかどうかを知るために遺伝子組換え表示があります。
「科学」と「感情」は分けて考える
佐々野:番組の中でも何度かお話に出てきたドキュメンタリー映画「パパ、遺伝子組み換えってなぁに?」って、単館上映で、普段長崎に住んでいる私は見られないんですよね。だから、こういう情報というのも、なかなか自分から入っていかないと知らないという中で、こうした話が出来たのは、有意義だなという感じがしました。
唐木:私もその映画を見ましたけれども、ただ1つ注意しなくてはいけないのが、この映画は非常に巧みなキャンペーン映画だということです。この映画の監督が、遺伝子組み換えは絶対あってはいけないという心情を補強するようなものだけを持ってきて、うまく映画を作っている。だから、我々は科学リテラシーというのを身につけて、どこが本当でどこがウソなのかを見分けないと、つい騙されてしまうところがあります。
須田:はっきり言って私、つい騙されたタイプです。この映画を見て、遺伝子組み換え食品をやめておこうと思ったほどです。でも、なんとなく「イヤだな」「不安だな」と思っていて、じゃあ何が自分の不安なのか、何がイヤなのかを突き詰めて考えなかったところがあるんだろうと思うんですよね。
佐々野:何かが分からないまま、こういう情報をスポンジのように受けてしまうと、その情報どおりに自分も思ってしまうのかなという感じがしますよね。
唐木:ですから、その問題を考える時、2つのことを前提として考えていただきたいです。遺伝子組み換え食品の安全性は科学的に証明されていて、もう20年近く世界中で食べられている。そして、その安全性を脅かすような事態は起こっていないと。これは食経験といいますが、安全な食経験が積み重ねられているということをぜひ考えていただきたいです。
もう1つは、世界の話だけじゃなくて、日本でも家畜のエサを始めとして、油もですが、遺伝子組み換え食品がないと生活が成り立たないぐらい、私たちは毎日遺伝子組み換え食品を食べている。それで何か起こっているのだろうかということを冷静に考えていただきたいと思います。
大谷:今日、お話を伺っていて思い出したのが、震災の直後に、「水道水が危ない」という報道があり、コンビニからミネラルウォーターがなくなるという騒動がありました。あれも報道がされてネット上で情報が拡散すると、どうしても不安になるのは、消費者にとって当然の心情だと思います。
特に、生活必需品の場合、短い期間の中で安全性を確認するのは難しいと思うんですね。最終的には自分なりに確認するしかないと思うんですけど、そういう時の心構えはどうすれば?
唐木:心理学の問題が大きく関わるんですが、人間は「危険だ」という情報と「安全だ」という情報があった場合、どちらを信じるのが自分の身にとって安全かを考えます。そうなると、絶対に危険情報を信じるほうが、危険から逃れられるわけですね。
ですから、「遺伝子組み換えは安全だ」という情報がたくさんあっても、危険だという情報に私たちは気を取られてしまって、そちらを信じてしまう。こうした反応は、人間が生きていく上での本能としてあるんですね。ですから、発信する方も「危険だ」と言ったほうが売れるわけです。だから「危険だ」という本ばかりになってしまう。
これを情報のアンバランスと言いますけれども、そういった情報があるんだと認識していただくだけでも、情報リテラシーは随分進むと思います。
佐々野:これまで同じものを食べている家族同士で、遺伝子組み換え食品について話したことなんてまったくありませんでした。遺伝子組み換え食品の良いところ、危険と言われているところを両方、家族で見ながら、少し話してみようと思いました。
大谷:審査データみたいなものは、国の機関や消費者団体で公開されていたりするので、調べれば、比較的わかりやすく出てくるということですか?
唐木:食品安全委員会のデータは非常に専門的ですけれども、それを噛み砕いた出版物はたくさんありますし、ネットにもありますので、安全というデータもぜひ気にして見ていただけたらと思います。
佐々野:最後にお一人ずつ今夜の感想を頂戴したいと思います。
蒲生:リテラシーを高めるために大事なこととして先ほど、「危険だ」という情報を聞いた時、そこで止まらないこと、危険だという理由が何なのかに耳を傾けること、そしてその理由がただ主義主張で言っているのか、それとも本当に安全性・健康面に影響を及ぼす可能性がある具体的なデータまで言っているのか確認しましょうと申し上げました。
もう1つ加えるとすれば、1つの情報ですぐに結論を出さないこと。セラリーニ論文のお話もありましたけど、一見科学的に正しいような情報で、実はそれが否定されているにもかかわらず、否定された部分は隠されて何度も何度も繰り返し紹介されるというのは、遺伝子組み換えでよくあることです。
だからやはり、1つの情報だけで判断せず、色んな情報を聴くことで、気がつけることもあるかもしれない。「情報を鵜呑みにするな」というのは、リテラシーの話で言い古された言葉かもしれませんが、やはり重要なメッセージだなと思います。
唐木:今日は研究者として、科学の立場からのお話をさせていただきましたけれども、世の中は科学で動いているわけではなくて、感情で動いているんですね。ですから、遺伝子組み換えに対して、「好きだ」「嫌いだ」というのは、ちっとも構わないわけです。
しかし、「嫌いだ」という根拠に科学を持ってくる。これはきちんとした証明された科学を持ってくればいいんですけれども、そうではない怪しい科学を持ってきて「危険だ」と思っている方が結構多い。
その辺のところはぜひ、科学リテラシーを身につけていただいて、科学的なものと自分の意見を分けて考えていただけるようになったらいいなと思います。
大谷:何事もなかなか100%、プラスだマイナスだと割り切るのは難しいことが世の中たくさんあるわけです。そして、それぞれが置かれた状況や家庭環境などで、どれを選択すればいいかというのも、それぞれの人に委ねられているというところがあります。
しかし、判断材料というのは世の中にたくさん出ていますので、様々な選択肢をなるべく並べてみて、どれを選択するのがいいのか、しっかり考える習慣や態度を身につけていくのが大事なのかなという風に思いましたね。
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