※この記事は2015年05月14日にBLOGOSで公開されたものです

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ユネスコの「世界記憶遺産」に、太平洋戦争中の特攻隊員の遺書などの登録を目指す鹿児島県南九州市の霜出市長らが13日、会見を行った。

同市には、太平洋戦争末期、陸軍特攻隊が出撃した知覧基地が置かれた歴史があり、「知覧特攻平和会館」が所有している特攻関係資料を世界記憶遺産への登録を申請すべく、2012年から準備を進めてきたが、昨年はユネスコから差し戻しを受け、国内委員会による選考で落選している。

世界記憶遺産への登録を目指す動きに対し"特攻を美化するものではないか"という意見があることについて、霜出市長らは特攻の概念、戦法を正当化するものや、賛美・美化することが目的では決してないと強調。 特攻隊員の遺書や手紙だけでなく、交流のあった女子学生や子どもたちなどの住民による記録も合わせ、『「知覧に残された戦争の記憶」1945年沖縄戦に関する特攻関係資料群』として総力戦の恐ろしさを後世に伝えるものだと、その主旨を説明した。

同市は来月、国内委員会に申請を行う予定だ。

霜出市長の冒頭発言

霜出勘平・南九州市長:70年前、世界の至るところで戦争が行われておりました。
その様相は、国民、経済や科学技術、政治、メディアなど、国家の全てが動員された「総力戦」でございました。
日本でも、少年や学生などが兵士となり、女性や子どもも後方から支援する役割を担いました。

現在の南九州市は、美しい茶畑の風景が広がる、のどかな町でございます。しかし70年前は、陸軍の特攻基地が存在し、多くの特攻隊員の出撃を見送った町でございます。

私たちは、この特攻隊員が亡くなる直前に書いた遺書や手紙などの資料を長期に渡り収集してまいりました。
そして今回、これらの資料をユネスコの世界記憶遺産への登録へ向けて、申請をすることとしました。

私たちの目的は、特攻を賛美、美化すること、正当化することではございません。
悲惨な戦争の記憶を後世に伝え、二度と戦争を繰り返さないために申請するものでございます。

残念ながら、日本が戦争を行い、国内外の多くの人々に深い悲しみを与えた事実を変えることはできません。私たちはこの事実を踏まえ、同じ過ちを繰り返さないために取り組んでいるのでございます。

終戦から70年が経過し、戦争を知る当事者たちも多くは高齢になりました、しかし、この記憶を風化させるわけにはいきません。戦争は悲惨で残虐で愚かでございます。 私たちは、人類が二度と戦争を繰り返すことのないことを心から願っております。

今回のこの活動が、世界恒久平和の実現に向けた大きな一歩になると確信しているところでございます。
私達の活動にご理解とご支援のほどよろしくお願いを申し上げまして、ご挨拶にかえさせていただきたいと思います。

この写真の現場に私の母も居た

続けて、桑代睦雄・南九州市世界記憶遺産推進室参事が申請資料について紹介した。

桑代参事:資料の多くは紙や布に、鉛筆や墨、ペンで書かれています。物資が不足した当時は、タバコの包装紙などに、間に合わせの用紙に』走り書きのように書かれたものもあります。

家族宛に書かれた遺書、手紙には、自由な形式でありのままの感情が綴られており、自らの血液で書いた血書や、幼いわが子が成長した時に読めるよう、学校で最初に学習するカタカナで書かれているものもあります。子どもにあてた手紙や婚約をしていた恋人に当てた手紙もありますが、宛先で一番多いのは母親です。

また、女子学生が交流を綴った日記や人形、さらに小学生が特攻隊員の遺族に書いた手紙もあります。これらは女子学生、子どもまでもが動員された総力戦の様相が伝わってくる資料でもあります。

知覧特攻平和会館は、戦後5年目から全国各地の遺族らが保管してきたこれら遺品の収集を始めました。現在では、年間55万人が訪れ、うち1万人は外国人です。平和学習の一環として全国から620の小、中、高校の生徒が訪れています。

最後になりましたが、これは1945年4月22日、特攻機を見送る、当時14、5歳の知覧高等女学校の学生たちです。この写真こそ、総力戦の悲惨さが如実に表されています。この写真には写っていませんが、ここには当時15歳の私の母親もいました。母はまだ健在で、私と同居していますが、口癖は「あんな酷いことは二度と経験したくない、あんなつらい思いはもうご免だ」ということです。数少ない生き証人です。

戦後70年が経過し、戦争の風化が懸念されます。当時の町民の記憶、飛び立った若者たちの記憶、これを南九州市民全体で後世に語り継ぎ、証拠資料を永久保存し、二度と戦争が起こらないことの願いを持ち続けながら、2017年の世界記憶遺産登録を目指します。

歪曲した報道をしないでほしい

次に、南九州市のプロジェクトのアドバイザーを務めた静岡大学教授のM・G・シェフタル氏が説明を行った。

シェフタル教授:メディアの皆さまにこうしてお話ができることを光栄に思います。

「特攻」というのは、世界的には「カミカゼ」と呼ばれることが多いですが、研究者として、私はこの言葉を使いたくありません。

私が、なぜこのプロジェクトに取り組むことになったのかをお話します。

2012年、ある女性から支援してほしいという打診を受けました。その女性は、さきほどの写真に映っている「なでしこ隊」の少女の一人でした。その方とは、2002年、私が特攻隊の遺族にリサーチをしているときに出会いました。
私は、このプロジェクトに何らかの政治的な思惑があったとしたら、支援の呼びかけに応じることは無かったでしょう。しかし、そんなことは全くありませんでした。はっきり申し上げておきたいのは、特攻を、いかなる形でも美化したり、賛美したり、戦術を正当化したりするものでは決してないということです。これらの資料は、世界記憶遺産に登録されるべき重要な価値があると思います。

登録申請の準備は私達チームが続けてきたもので、様々な結果も含めて、私達が責任を引き受けるもので、政府やその他の影響力や圧力を受けたということもありません。国内外の多くの方々に受け入れられることを目ざしました。
すべての戦死者の方々、あるいは残された方々に対する敬意を失わないよう、また、歴史的な誠実さを犠牲にすることなく、感傷的に上辺を飾ることのいようにするのは、難しいことでした。

支援してほしいと言われた時、日米相互の違いについても話しをし、共通点を見出しました。そして作業の過程で、私達は信頼と友情を育みました。

ですから、今回のプロジェクトは、文化の視点の違い、政治的な違い、わだかまりを超えて一緒に協働することができるということを示すものだと思います。こうした歴史を説明し、全ての人々に受け入れられ、和解ができるようになると考えています。

4月には、真珠湾のミズーリ記念館において、初めて特攻隊に関する展示を行いました。
私や知覧の人たち、ミズーリ記念館の人たち、数ヶ月の準備段階で情報が漏れ、公的なプレッシャーがかかるのではないか、展示がキャンセルになるのではないかと、心配していました。1995年にスミソニアン博物館でエノラ・ゲイが展示されたとき、大きな問題になったという記憶もあったからです。

しかし展示が始まったときには、日米双方のメディアが好意的に報道しました。何らかの脅迫を受けたこともありません。結果的に私達の心配は取り越し苦労でしたし、この展示を通じて私達は新しい歴史自体を作ったと考えています。

旧敵国同士でこうした展示を行うことに対しては、異論もあると思います。それは避けられないことです。
しかし、ほとんどの方が努力を理解していただける、世界平和のためだと理解していただけますし、敵国同士が和解の形を示すことができるのです。

今回の申請の中核的な概念に、総力戦の問題があります。
近代の、産業化された人口の多い国民国家が、経済力、工業力、軍事力を動員して敵対している国家、政体、人々を殲滅するものだと定義しますが、大勢の人が亡くなるというだけでなく、心理的な影響があることも意味します。ブラックホールの中では通常の物理法則が成り立たないように、総力戦においては心が歪められてしまうということです。

それは軍人だけでなく、民間人、女性や子どもが教えこまれ動員されていく。マスメディアや教育がその役割を果たします。これは信じられないことです。戦勝国も同じです。当事国すべてに当てはまることです。ロシアや中国の人も同意するでしょう。

人類がこのような戦いをするのは、1945年が最後になるべきだと考えています。
第二次大戦のあらゆる悲惨なもの、火に包まれた都市、陥落した街に兵士に入っての破壊行為、強制収容所、原爆…本当に狂気であり、残虐です。これらは人類全体の失敗を意味すると思います。狂気が私達全体を覆ってしまった時期です。

この時代は、殺傷能力やテクノロジーの進展に私達の"正気"が追いついていかなかった時代だと考えています。
また、それが国家のプロパガンダによって推進され、人々が相互に憎悪しあい、愛国的なレトリックの虜になってしまいました。知覧の資料はそうしたことを示すタイムカプセルだと思います。

メディアの皆さんにお願いしたいのは、この部屋を出て、そして書きやすいから、読者に受け入れられやすいからと、間違っている記事を書いてほしくないのです。

特攻を賛美しようとしている日本人が、アメリカからやって来た学者を囲い込んで騙している、というような記事を書かないで下さい。私は騙されているのではありません。誰も賛美しようとしているのではありません。
私は知覧の文書が真に世界の平和に貢献すると考えているのです。

どうかペンの力を使って支援して下さい。簡単なことではないでしょう。それは理解しています。そうすることによって、自分たちの世界が干渉されると感じる人もいるでしょう。それが日本、あるいは国外の一部の人たちの世界観に挑戦するものになるかもしれません。しかし、どうか歪曲をしないで下さい。学者としての信用をかけてお約束します。

これは人類の暗い歴史を賛美するもではなく、そこに光を当て、決して戻ってはならない、とするプロジェクトです。特攻を決して繰り返してはならない、そのためにこの資料が必要なのです。

質疑応答

ー数年前、私が知覧特攻平和会館を訪問した時に受けた印象は、プレゼンの印象と違っており、「総力戦」という表現も使われていなかったと記憶しています。

悲惨なことであったというふうに描写されてはいましたが、ある意味で美しい犠牲と説明されている展示だと記憶しています。本日のメッセージとの違いについて説明していただければと思います。(ロイター)


霜出市長:今ご質問にありましたように、美化されているとお感じになっているということは、私どもの努力不足だろうと 反省を致します。現在も戦争の悲惨さ、命の大切さを前面に出して、アドバイザーも色々と説明をしているところでございます。

全国から小学生、中学生、高校生、平和学習で多くの方々が訪れて、そしてあの遺書を読んでいただいて、悲惨な戦争は二度と起こしてはならないと感じていただいて帰って頂いているところですので、誤解を招かないようにしっかりと取り組んで行きたいと思います。

ー私は平和会館を10年ほど前に訪れました。先ほどのご説明では、このような戦争は二度と起こしてはならないとおっしゃいましたが、では、誰がその責任を持っていたのか、ということも言うべきだと思います。平和会館の中ではそれには全く触れられていません。

繰り返してはならない、ということは、誰が責任を負うのか、どのように回避するのか、ということにも触れるべきだと思います。そういうことについては議論されているのでしょうか。(ドイツの記者)


桑代参事:南九州市は、遺族から寄贈された資料を保存している、いち地方自治体です。そのため、戦争責任については答える立場にないというところです。

シェフタル教授:私は知覧の歴史を研究していますが、その過程で、この施設の歴史的な背景も知ることになりました。平和会館は、博物館ではなく、追悼施設として始まりました。花を手向け、戦没者のために祈る場所から発展しました。

理想的なあり方としては、戦争責任の問題について取り組んでいくこともあるでしょう。私も取り組む用意があります。しかし、60年間の伝統があります。運営基準なども考えますと、取り組むのには時間がかかると思います。このプロジェクトが推進力となって、平和会館を世界各国からより多くの方に訪れていただくためにも、個人的には戦争責任について扱うべきだという、その考えには賛同します。

ー今回の申請の懸念点は、タイミングです。

今、政府が、やはり日本の近代化の遺産として、海外からしてみれば議論を呼ぶようなものを世界遺産に申請しています。そういった意味で、タイミングもすこし問題ではないでしょうか。イタリアの記者)


シェフタル教授:私も指摘しようとしていたポイントです。

しかし、私達の取り組みは、政府とやっているものではありません、南九州市と平和会館の独自のプロジェクトで、安倍政権発足前から始まっています。

確かに、ある意味では残念なタイミングではあります。国際的な世論があるのは事実ですが、私達の主張をアピールしつづけたいと思います。

ー大阪では、橋下市長の下で、博物館が歴史を書き換えなければならないとくことがありました。

おっしゃったような精神をこれからどうやったら維持できると考えますか。違う見方を持った、歴史修正主義的な圧力があったとしたらどうしますか。(スイスの記者)


霜出市長:そういう懸念もあろうかと思いますが、これは我々の平和会館としての方針でやっておることでございますので、いろんな方々から圧力があっても断固として我々は、これまで縷々お話したような主旨に基づいて頑張っていきたいと思っております。

ーお話を聴いて混乱しています。私は医師でもありますので、医師としての仕事は、人の命、自分の命を守ることです。しかしニューヨークでビンラディンが起こしたこと、それが中東に影響を及ぼし、そこから最近では「イスラム国」が出てきており、世界中の若者に参加を呼びかけています。特攻を美化することはないとおっしゃっていますが、そういった世界の流れをどのように止めることができるのか。伺いたいです(バーレーン大使)

霜出市長:ぜひ知覧に来て、遺書を見ていただきたちという強い願望を持っております。そうでないと、皆様方にご説明いたしましても真実は伝わらないという風に思っているところです。

やはり、若くして生きられなかった者達の生の気持ちを、知覧の特攻平和会館で触れていただければ、我々なりの気持ちは十分世界の皆さま方に理解していただけるのではないかと確信しています。

我々としましても、特攻の美化にならないよう、賛美にならないよう、頭に入れながら活動を続けているところです。 懸念が皆様方にありましたら、率直に言っていただければ、私どもも素直に改善したいと思っています。よろしくお願いいたします。

補足します。歴史というのは悪用することもできます。歴史を意図的に、自分の都合に合うようにしてしまう人もいます

シェフタル教授:起きてしまった歴史について、次の世代に任せるのが良いのでしょうか。またマンガや映画に任せるということだけでいいのでしょうか。そちらのほうが危険だと考えています。直接的な当時の記録をちゃんと残すことが大事だと考えています。

ー知らしめていくことのリスク、それは平和会館の目的自体にとってもリスクになると思います。記憶遺産にすることで逆に利用される可能性もあるのではないでしょうか。

そのような中、なぜ、これらを記憶遺産に推薦するのでしょうか。YouTubeなど、様々な形でメッセージを伝える方法があると思います。(AP通信)


霜出市長:登録しようしているのは権威のあるユネスコですので、多くの方が関心を持って、知覧にも来ていただけるのではないかと思っています。

シェフタル教授:私が知る限り、世界記憶遺産には、幸せな記憶もあるんですが、悲劇的な記憶もあるのです。第一次世界大戦の「ソンムの戦い」や、第二次世界大戦の「アウシュビッツ強制収容所」の史料です。人々がこれらをきちんと見れば、こういう世界は二度と見たくないと繰り返し思うんです。

ー中国が慰安婦関連の資料や南京事件の関係の資料を登録しようとしています。それについてみなさんのご意見はどうでしょうか。(ロイター)

シェフタル教授:私の個人的な意見ですが、歴史家としては、どこの国が努力すべきとかではなく、人類の不幸な時代の歴史についての資料でキチンと検証されたものであるかぎりは、どのようなものであれ登録すべきだと思います

霜出市長:これは大きな問題でありまして、いち地方都市の首長が言及すべきものではないと思います。お許しを頂きたいと思います。

ー特攻を美化するものではないと繰り返しご説明されていますが、言葉だけでは本当に美化していないか賛美していなか伝わらないと思います。具体的な行動であるとか、はっきりとわかる名称の付け方をされるといった予定はありますか(AFP通信)

霜出市長:シェフタル教授の方からお話がありましたように、ミズーリ記念館で、平和会館で収蔵している資料を展示しまし、アメリカの方々にも見ていただきました。

今後も、いろいろなところで展示会を開催して、一人でも多くの方に見て頂いて、理解していただくような努力をしていかなければと思っています。特に、外国の方々との連携も取りながら、真の気持ちをお伝えできればと考えております。 いろんな方々のお知恵も頂きながら、最大限の努力をしていきたいと思います。

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・「知覧からの手紙」(特攻隊員の遺書)は世界に伝わるか - 木村正人(2014年2月27日)

関連リンク

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・「ユネスコ記憶遺産事業」の平成26年の審査に付する案件の選定について-第128回文化活動小委員会の審議結果ー - 文部科学省