DNA - 吉川圭三
※この記事は2015年03月18日にBLOGOSで公開されたものです
20数年前、私が所ジョージさん司会のクイズ「笑って許して!」という番組のディレクターをやっていた頃、ディレクターであった私は、プロデューサーから「面白くて新鮮なテイストの解答者を。」というオファーを受け、当時独立系映画でヒットを飛ばしていた元日活の映画監督・鈴木清順さんをキャスティングした。「ツィゴイネルワイゼン」「陽炎座」等、監督独自の個性・美意識を満載にした鈴木さんしか取れない映画を一杯撮っていた。ご出演は多少心配だったが、鈴木監督は番組で大活躍し飄々とした味を見せてくれた。こういう場合はテレビ屋の習慣で「メシをご馳走してまずは御礼」と言うことで、麹町の本社の地下の味で評判の和食屋へ室川治久Pと私がお伴した。憧れの監督は健啖家で実に美味しそうにビールを飲み、平目の刺身をつまむ。そして、ふとこんな事を突然監督が私に聞いてきた。「吉川さん。テレビでも作っている人の人柄があらわれるでしょう?」・・・映画は監督の人間性が物凄く出るのは知っていたが、意外にも「テレビでもそしてクイズ番組ですら人柄が出る。」と言うのが監督の主張だった。バラエティ番組にも2種類ある。
○精密に設計し会議で練り上げ、メインディレクターの意志通り軍事作戦・工業製品の様に作られる番組。メイン・サブディレクターの個性は生かされずただ視聴率を取るマシーンの様に作り込まれた番組。
○一方、個性ある複数のスタッフが縦横無尽に活躍し、各自、総合演出の意図も汲みつつ独特の表現を標榜する番組。
・・・鈴木清順さんによると上記2つのパターンでもいずれも作り手の個性の「表出」が出てしまうであると言う。「ほとんどの映像メディアでは絶対作り手の個性が出てしまう。」例えば、善人だとかズルいヤツだとかも。
鈴木さんのこの話を思い出したのは、「番組のDNA」について蕎麦屋居酒屋で数人のテレビ関係者で話していた時だった。わかり易い例で行くと。今の「イッテQ」(古立善之、企画・演出)と「鉄腕DASH」(清水星人演出)とかつての「進め!電波少年」(土屋敏男、企画・演出)のルーツは全て「天才たけしの元気が出るテレビ」(伊藤輝夫『現・テリー伊藤』企画・演出)がルーツだ。土 屋は伊藤さんの元で腕を磨き、DASHのメイン作家・田中直人と制作会社は「元気」のIVSテレビ制作が入っている。「イッテQ」の古立君は入社当初から「電波」で苦労して腕を磨いた。そういう訳で今や日本テレビの稼ぎ頭「イッテQ」と「DASH」は「元気」と言うドキュメンタリーバラエティ番組というルーツを持っていたのだ。
ただDNAを継承していると言っても、鈴木清順氏のおっしゃる通り「撮っている人の個性・人間性が表出してしまう。元祖・テリー伊藤と土屋敏男と古立善之は全く違う個性を持っている演出家である。テリーさんはアーティスト系で「巨大な仏像を作り中国に上陸させたり」「パンチドランカー・たこ八郎に東大生の血を輸血したら知能指数が上がるか?」とか自分の中に生まれたイメージを映像化する天才だった。土屋敏男は「人間の極限状態をエンターテイメント」にして見せた「猿岩石」や「なすび」で実験的映像を量産した発明家である。
普段物静かな良い人・古立善之は無名のイモトアヤコを国民的人気者にしたが、これは余程の腕が無いと出来ない。ロケ技術とタレント扱いと編集が天下逸品であるわざと奇をてらう事はしないがやることは芯は食っている。「DASH」も無から有を生むという点では「元気」精神を突いている。DASH村・島などの展開は見事であるし、他がマネしようとしても出来ない事を地道にやっている。
「スタッフの真面目さ・誠実さ」が表出しているのだ。
筆者は「元気」の存在がなければ今の日曜の絶好調の二つの番組と「電波少年」は散在しなかったと断言できる。社屋の屋上に小さくても良いので記念碑でも作った方がよい・・・とすら冗談でなく思う。
このように番組DNAを在籍スタッフが継承することは大変に大事だ。もちろん、同じDNAであっても時代に合わせて変化する、作り手の個性によって変化するのは当たり前だし、テレビ局はこの優秀なテレビ遺伝子の事をもっと大事に考え、扱った方がよいと思う。
もったいない残念な例を上げよう。内部事情は分からないが、フジテレビが絶好調の時は「オレ達ひょうきん族」「笑っていいとも」などのお笑い番組があった。これらDNAは後のフジのコント番組等のお笑いバラエティに多大なる影響を与えたと思う。ただDNAを継承するものが「新しい形」継承を行い、時代に合わせてカスタマイズしていかなければならないから大変だ。
一方私はフジの黄金時代を支えた「なるほど・ザ・ワールド」が忘れられない。海外ロケクイズの最大のヒットである。当時我々日本テレビが作っていた海外取材番組とはまるで桁が違った。リサーチ力・テレビとしての見せ方・リポーターの使い方・海外コーディネーターの巨大ネットワーク。どれをとっても足元に及ばなかった。しかしフジのこの海外取材番組のノウハウ・DNAがまったく継承されなかったのは本当に不思議であった。もし継承していたらフジは一大ジャンルを今でも恐ろしい存在でいたかも知れない。
昨今訳知り顔の人が「テレビって下請けの制作会社がほとんど作っているんだよね~」との解説(特に評論家)が多いが、我々の現場をぜひ見に来てほしい。少なくとも日本テレビでは最前線に新入「社員」を投入し、様々な経験を積ませる方針だし、そのサバイバルから生き残り腕を磨いた者だけが適正企画を出した時初めて舞台に立てるというシステムを組んでいる。その過程で配属された番組のDNA(あるいは各種のDNA)を自分流の秘蔵の技として身に着けなければならないのだ。
「昔は良かった」式のオールドテレビマンとしての回顧的な回想ではなく、画期的な新企画ばかりでなく、彼が自分なりの「技の習得」を習得して優れたDNAを継承してゆき別の形で表現してゆくのは大切で強調しすぎても強調しすぎる事はない。アルバート・アインシュタインにもスティーブ・ジョブズにも「師匠の存在」、「啓示を与えた人の存在」が知られている。
色々事情はあろうが、いまさら大橋巨泉様を呼んで「クイズダービー」を現代に再現させている場合ではないのである。あれはDNAの継承ではなく「回顧展番組」と呼ぶ。テレビはそんなことをやっている場合ではないのだ・