主流が紙からネットに変わり、書く機会が激減したのが紀行文だ。何かと体験することが多いサッカー観戦と、紀行文は本来、いい関係にあるはずだが、見出しを立てにくいという大きな問題がある。見出しを生命線とするネットとの相性はよくない。

 ニュース的ではない記事すべてにあてはまる。筆者にとっては大ニュースでも世の中の常識に従えば、そうではないものだ。たとえば、面白かったか否かもそこに含まれる。この試合は面白かったのか、つまらなかったか。試合の勝ち負けに、最も関心があるのは当事者だ。ホーム、アウェーそれぞれのファンは、なにより結果に一喜一憂する。

 チャンピオンズリーグ(CL)準決勝で対戦したレアル・マドリード対マンチェスター・シティのファンがそれに該当する。大逆転勝利を飾り決勝進出を果たしたレアル・マドリードのファンは、歓喜を爆発させただろうし、まさかの敗退を喫したマンチェスター・シティのファンは、悲嘆に暮れているに違いない。

 他方、両チームに縁もゆかりもないこちらは、面白かったが1番の感想になる。もちろん、サッカーにそれなりに詳しいとの自負があるので、レアル・マドリードの勝因について、あるいはマンチェスター・シティの敗因について考察したり、分析したりしたくなるが、読者に一番伝えたいことは何かと言えば、試合そのものの面白さにある。

 こんな面白い試合はそうそうない。そのうえレベルも高い。過去最高と言いたくなる超ハイレベルの一戦だった。史上最大のエンターテインメントといっても過言ではなかった。

 サッカーが長年にわたり、他の競技の追随を許さない世界で断トツナンバーワン人気を誇ってきた理由を、リバプール対ビジャレアル戦を含む今回のCL準決勝に見た気がした。サッカー競技の面白さ、娯楽性のマックス値を更新した試合といって過言ではない。これこそが筆者にとって最大の事件でありニュースだった。

 だが、ネットのニュースは、マンチェスター・シティ側に立つか、レアル・マドリード側に立つかに二分されていた。イングランド発、スペイン発のニュースなら分かる。前で述べたように当事者には、こちらのような引いた目線を傾けている余裕はない。言いたいことは、日本在住者である筆者とは別のところにあるはずだ。それが普通だ。しかし日本に在住するごく普通の日本人には、本来そこに普通はない。
 
 確かに、海外サッカーをどこかのチームのファンになりきって観戦している人はかなりいる。プレミア好き、セリエ好き、リーガ好きを自認する人は少なくない。サッカーとの向き合い方は自由なので、それを否定するつもりはないが、それが他国のサッカーへの好奇心を閉ざすことになるとすれば、それはどうかと疑問に思う。
 
 好き、嫌いをハッキリさせ、その間に境界を作れば、カバーする範囲も好奇心の対象も自ずと狭まる。知らない世界より知ってる世界と向き合った方が、混沌とした状況から逃れることができる。ある意味で楽になる。

 かつて日本代表やJリーグのサッカーがもっと魅力的に映っていた頃、サッカーがブームに乗っていた頃、世の中には初心者向けの指南書が出回っていて、そこにはサッカーファンになるためには、どこかのチームのファンになること、目当ての選手、お気に入りの選手を作ることが手っ取り早い方法だと記されていた。

 筆者はそれを見て、半分懐疑的になった。他の競技ならいざ知らず、これはサッカーだ。そんなことより、まず試合を見ることが一番だと思った。早い段階で、当たりの試合に出くわすことができればしめたもの。そのエンタメ性の虜になることは間違いなしだと。