「皇族なら併願校は必要ないのか」筑波大附属への進学を決めた悠仁さまに向けられる疑義
■「東大卒の天皇」が誕生するかもしれない
秋篠宮悠仁さんに「親ガチャ」についてどう思うか、聞いてみたいものだ。
2021年の流行語大賞に選ばれた親ガチャは、運次第のガチャ(ソーシャルゲームやカプセル玩具などの景品)を1回しか回せないように、親を自分で選べない状況を指した言葉である。
英語にも同じような意味の「Lottery of Life」(人生の宝くじ)という言葉があると、ニューヨーク在住ジャーナリストの肥田美佐子氏がインタビューしたジョン・リスト米シカゴ大学経済学部特別功労教授が語っている。(<「親ガチャという概念は正しい」アメリカ人経済学者が“人生の宝くじ”を否定しない理由>参照)
だいぶ前に、「親を見りゃ オレの将来 知れたもの」という川柳が話題になったが、親ガチャという言葉も、その流れの中にあるのだろう。
悠仁さんの国立筑波大学附属高校(以下、筑附高)への入学が決まったと、宮内庁が2月16日に発表した。偏差値78、都内の高校では、筑波大学附属駒場高等学校と並んで(お茶の水女子大学附属高等学校は女子のみ)、最難関高校である。ちなみに学習院高等科の偏差値は68。
週刊誌報道によると、母親の紀子さんは、息子を東大に入れたいと考えているといわれる。東大卒の天皇が誕生するかもしれない。
もしそうであるなら、悠仁さんには考えてもらいたい日本社会が抱えている深刻な問題がある。
■非大卒の子は非大卒…学歴格差が継承されている
大阪大学の吉川徹教授(計量社会学)が主張している、「日本は学歴分断社会」という問題についてだ。
「日本では、最終学歴が大卒(短大卒、高専卒含む)か、非大卒(中学校卒、高校卒、専門学校卒)かによって、社会に出てから大きな社会経済的格差が生まれることが、大規模な階層調査のデータから明らかになっています。
分断とは、二つの集団の構成員が入れ替わらず固定化しており、集団同士が隔てられ、相互交流が少ない状態をさします。いま日本の現役世代は約6200万人ですが、70%以上が親と同学歴です。大卒の子は大卒、非大卒の子は非大卒という形で世代を超えて学歴格差が継承されている。夫婦間の学歴もほぼ70%が同じです」(朝日新聞2月18日付)
だいぶ前から、東大に入る学生の親の多くは高学歴、高収入だといわれてきた。親次第で自分の人生が決まってしまう、格差が固定されてしまう社会を、悠仁さんはどう考えているのだろうか。
前置きが長くなったが、悠仁さん筑附高合格の週刊誌の記事を読みながら、私はこんなことを思った。
■受験当日に筑附高に現れた悠仁さま
宮内庁は、以前からいわれていた、お茶の水附属中学と筑附高との「提携校進学制度」に出願して、学力テストの結果も含めて合格したと発表した。
しかし、この制度には、学力テストは含まれていないというのが“定説”のようだ(筑附高側は詳細について公表していない)。特別扱いで合格したといわれるのを宮内庁や秋篠宮家が嫌がったのだろうか。
筑附高の試験当日の2月13日朝、悠仁さんは1人で現れ、一般の受験生たちと並んで試験を受けた。
「日本で最も注目を集める男子生徒が、校舎へと続く長い坂を登り、一人ひっそりと門をくぐった。二十数人の報道陣が集まっていたが、ダッフルコートにパンパンのリュックを背負った彼の姿に気付いたのはごく僅か。しばらくして、現場に驚きの声が広がった」(週刊文春2月24日号より)
私がかつて碌を食んでいた講談社は、悠仁さんが上ってきた坂の下にある。地下鉄有楽町線の護国寺駅を上がった目の前で、隣が警視庁大塚警察署だ。
ゆるい上り坂を上がっていくと、筑波大学附属中前という信号がある。その右側に、中学と悠仁さんがこれから通う高校がある。
さらに歩いていくとお茶の水女子大学があり、悠仁さんの通っていたお茶の水女子大附属中学が隣接している。さらに進んで右に曲がると地下鉄丸ノ内線の茗荷谷駅。夕暮れ近くになると、家路へ急ぐ多くの学生たちの元気な声が護国寺駅に吸い込まれていく。
■なぜ「学習院以外」を選んだのか
だが、悠仁さんが地下鉄に乗って護国寺駅から歩いてきたとは考えにくい。黒塗りのハイヤーでは目立ちすぎると考えて途中で降りたのだろうが、わざとらしさは否めない。
それが証拠に、試験が終わると、
「悠仁さまは学校を出られると、途中からお迎えの車に乗って帰宅されたという」(週刊新潮2月24日号)
このような“儀式”を行う予感はその前からあった。
週刊文春は早くから「悠仁さんは進学制度を使って筑附高に入学が決まった」と報じていたし、他誌も続いた。それに対して秋篠宮家を担当する加地隆治皇嗣職大夫が、「憶測に基づいて毎週のように報道するのはいかがなものか」という苦言を呈する文書を発表したのである。
この背景には秋篠宮家の意向があったといわれる。特に秋篠宮自身の学生時代の“挫折”があったと週刊文春が報じている。
秋篠宮は子供のころから生き物が好きで、大学で生物の研究をしたいと考えていたという。だが、学習院には生物系の学科がなかったため、「秋篠宮さまは他の大学に進学したかったが、上皇陛下が首を縦に振らなかったそうだ」(学習院関係者)。そうした苦い経験があったため、悠仁さんが今後どのような分野に関心を持ってもいいように、進学先の多い高校が望ましいと考えていたというのである。
■世間体を気にした“奇策”が裏目に
そうならば、筑附高のような倍率4倍といわれる難関高校でなくてもよかったと思うのだが、秋篠宮夫妻は以前から息子を筑附高へ入れようと考えていたと週刊文春は指摘している。
悠仁さんが小学校卒業にあたって、提携校制度で筑附中への入学が検討されていたという。だが、当時、姉の眞子さんと小室圭さんの結婚問題が世間をにぎわしていた。その後、小室圭さんはアメリカ・フォーダム大学へ留学したが、大学はHPで小室さんのことを「プリンセス・マコのフィアンセ」と紹介し、破格の奨学金を支給した。そのため「皇室の立場を利用して特別扱いを受けている」という批判が巻き起こったため、秋篠宮夫妻は筑附中への進学を断念して、環境が気に入っていたお茶の水中へ進学させたというのである。
皇室というのは、そこまで「世間体」を気にするものなのか。だが、今回の高校受験“騒動”を見ていると、世間体を気にし過ぎて“奇策”を講じたため、秋篠宮家に対する世間の目をより厳しいものにしてしまったのではないだろうか。
■「正直、不公平感はありますね」
皇室という特権を利用して合格したのだといわれないために、事前に数々の布石を打っていた。「悠仁さまは熱心に勉強しており、全科目が優秀だそうです」(秋篠宮家関係者)、秋篠宮も昨年末ごろ、周囲に、「本当に一生懸命勉強している。成績も良いらしい」と周囲に語っていたという。
しかし、いくら優秀でも難関校を受験するのに、滑り止めを一校も受けないというのは不自然である。
週刊新潮(2月24日号)で受験生の一人が「僕の併願校は開成です」と語り、続けて、「(悠仁さんの受験は)試験が終わった後、親と電話して知りました。合格はほぼ明らかなのに、一応受けたのかな、って……。正直、不公平感はありますね」と感想を漏らしている。
女性セブン(3月3日号)で、隣接する筑附中の受験を終えたお茶の水小の子どもの保護者が、
「筑附中と、別の私立中に合格しましたが、私立中への進学に決めました。筑波には魅力を感じていましたが、同じ敷地内にある高校に悠仁さまがいらっしゃるとなると、将来中学校の行事にも影響が出る気がしたんです。子供が成長する姿は、いまを逃したらもう見ることはできません。貴重な機会を、余計な制約のせいでみすみすみ逃したくなかったんです」
と語っている。悠仁さんには気の毒だが、筑附高入学の波紋は、これからも広がり続けるかもしれない。
■天皇になるから失敗を経験させられない?
なぜ、堂々と、「提携校進学制度」を使って筑附へ入学したと公表しなかったのだろう。
次女の佳子さんは、大学受験で都内の私立大学と東京学芸大学を受けたが落ちて、学習院大学に入っている(その後、学習院を中退して、姉の眞子さんのいる国際基督教大学にAO入試で入った)。
人生に失敗はある。そうした苦い経験が、その人間を磨き上げるのだ。
週刊文春(1月27日号)によれば、秋篠宮は佳子さんが志望校に不合格になったときのことを振り返り、「何を自分がこれからしてみたいか、大学に進学せずに考える一年であってもいいのではないかと言えばよかった」と、浪人してもいいよといえなかったことへの後悔を口にしたことがあったという。
女の子は将来結婚して皇室を離れるから、受験に失敗してもいいが、天皇になる息子は失敗を経験させるわけにはいかないのだろうか。
かつて佳子さんはこんなことを友人に漏らしていたという。
「学習院女子中等科のころ、スケート教室の夏合宿に参加された佳子さまは、練習生の一人に『相談がある』と話しかけられた。そして、こう吐露されたのだ。
『昇級テストで、どんなに失敗しても合格になってしまうのが嫌なんです。特別扱いされるのが嫌……』
確かに佳子さまは昇級テストの際、ジャンプの時に回転不足で着氷してもなぜか合格になったという」(週刊文春2月3日号)
■「子どもノンフィクション文学賞」で盗用疑惑
姉は、自分で何も決められない不自由な世界から、伴侶を見つけて飛び出していった。佳子さんも、ここから抜け出したいと強く思っているといわれる。
だが、悠仁さんには挫折する自由さえも与えられていないようだ。
そんな折も折、悠仁さんにとって“不都合”な事実が、週刊新潮と女性セブンで報じられた。
両誌によれば、昨年春に北九州市が主催した「第12回子どもノンフィクション文学賞」で、大賞に次ぐ佳作に選ばれた悠仁さんの作文に、「盗用疑惑」があるというのである(北九州市立文学館のHPで閲覧が可能)。
2017年に悠仁さんは母親の紀子さんと一緒に小笠原諸島に旅行した。そのときの思い出を綴(つづ)ったものだが、小笠原諸島の成り立ちについて、こう書いている。
週刊新潮によれば、12年刊行のガイドブック『世界遺産 小笠原』(JTBパブリッシング)には、こうあるという。
■成り立ちは「いろいろなところに書かれている」というが…
では、島の生き物はどのようにして島々にたどり着いたのか。悠仁さんは、
ガイドブックには以下のように書いてあるという。
悠仁さんの作文には、参考文献が1点だけ明記されているが、上記のガイドブックはない。
北九州市立文学館のHPにある応募要項には、「他人の文章を勝手に使ってはいけません」と注意があるが、ノンフィクションと謳(うた)ってあるのだから当然であろう。
文学館側は、ガイドブックと同じ言葉が使われていると認めてはいるが、小笠原諸島ができた経緯はいろいろなところに書かれているから、その事実を調べて作品として紹介しているのだから、「特に問題はないと考えております」と答えている。
苦しいいい訳である。だが、将来の天皇が書いたものを、「盗作だから取り消す」ことはできまい。
■「自主性重視」教育が追い込んでしまったのでは
週刊新潮で、秋篠宮家の関係者が、「今回の件は、悠仁さまが無自覚になさったこととは到底思えません」と語っている。
推測に過ぎないが、秋篠宮家の「自主性重視」教育が、悠仁さんや母親である紀子さんを知らず知らずのうちに、心理的に追い込んでしまったのではないのだろうか。
デイリー新潮(2月18日)は、「宮内庁は、悠仁さまが参考文献の記載が十分でなかったとの考えであることを認めているが、母の紀子さまはこの事態に驚かれ、悠仁さまをお叱りになられたという」と報じている。
宮内庁担当記者によれば、
「作文の元となった旅に同行された紀子さまはこの事実を知って絶句され、悠仁さまをかなり叱られたと言います。悠仁さまの文章力を高く評価されていたのが他ならぬ紀子さまでしたから、少なからずショックだったのではないかと聞いています」
宮内庁側は「参考にはしたが文末の参考文献への記載漏れだったことを明らかにしている」(デイリー新潮)という。うっかりした記載ミスだったことにしたいのであろう。
ミスをしても、誰かがなかったことにしてくれる。望む学校には試験なしでどこでも入ることができる。彼のそうした生き方を、配られたカードで勝負するしかない平民の子どもたちは、どう見ているのだろう。
一度、「親ガチャ」について、秋篠宮悠仁さんに聞いてみたいものである。
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元木 昌彦(もとき・まさひこ)
ジャーナリスト
1945年生まれ。講談社で『フライデー』『週刊現代』『Web現代』の編集長を歴任する。上智大学、明治学院大学などでマスコミ論を講義。主な著書に『編集者の学校』(講談社編著)『編集者の教室』(徳間書店)『週刊誌は死なず』(朝日新聞出版)『「週刊現代」編集長戦記』(イーストプレス)、近著に『野垂れ死に ある講談社・雑誌編集者の回想』(現代書館)などがある。
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(ジャーナリスト 元木 昌彦)