宮原知子の「SAYURI」メイク、石井勲さんのアドバイスで目まわりに赤いシャドウを幅広く入れた【写真:Getty Images】

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「THE ANSWER的 オリンピックのミカタ」#93 連載「銀盤のささえびと」第7回・メイクサポート

「THE ANSWER」は北京五輪期間中、選手や関係者の知られざるストーリー、競技の専門家解説や意外と知らない知識を紹介し、五輪を新たな“見方”で楽しむ「THE ANSWER的 オリンピックのミカタ」を連日掲載。注目競技の一つ、フィギュアスケートは「フィギュアを好きな人はもっと好きに、フィギュアを知らない人は初めて好きになる17日間」をコンセプトに総力特集し、競技の“今”を伝え、競技の“これから”につなげる。

 連載「銀盤のささえびと」では、選手や大会をサポートする職人・関係者を取り上げ、彼らから見たフィギュアスケートの世界にスポットライトを当てる。第7回は「メイクサポート」。株式会社コーセーのメイクアップアーティスト・石井勲さんは多くのスケーターのメイクサポートを手がけてきた。強さと美しさが共存する競技に情熱を捧げる理由、そしてメイクが選手にもたらす効果について明かした。(取材・文=長島 恭子)

 ◇ ◇ ◇

 2006年より、日本スケート連盟のオフィシャルパートナーである株式会社コーセー。化粧品製造・販売を手がける同社では、NHK杯、全日本選手権、そしてコーセー新横浜スケートセンターでのアイスショー「Dreams on Ice」を中心に、フィギュアスケーターのメイクサポートを行う。

「メイクアップはフィギュアの世界観を高める表現の一つ。衣装、曲、演じるイメージから、選手たちが演じる世界をいかに引き上げていくか。そういった視点から、メイクの強弱や色のバランスなどが重要となります」

 そう話すのは、コーセーのメイクアップアーティスト、石井勲さん。フィギュアスケートやアーティスティックスイミング日本代表のメイク監修など長年アスリートのメイクをサポートしている。

 フィギュアスケートにおいては、数百人にわたる世界各国の選手へメイクを手掛け、選手の表現力アップに貢献してきた。

石井さんらは、08年のグランプリ(GP)シリーズ・NHK杯で初めて、フィギュアスケートの競技会でメイクブースを設置。しかし、当時は大会中、日本の選手は一人も来なかったという。

「当時来てくれたのがアメリカ代表の長洲未来さんだけ。日本の選手からは『この人たちは誰なのだろう?』と怪訝にみられる勢いで(笑)、誰も来なかったんです。

 その後も2、3度競技会でブースを出しましたが、やっぱり選手は来ない。その後、選手たちから話を聞き、試合当日はどこからメイクをスタートするか決めている、他人とあまり触れないようにしているなど、それぞれにルーティンがあることを知りました。

 それからメイクサポートは、競技会のエキシビションとアイスショーに限りやることにしています」

「スケーターを見れば、その時代の美しさがわかる」

 フィギュアスケートのような芸術性の高いスポーツでは、世界観の体現と優れた機能性を両立するメイクが求められる。アスリートメイクを任された当初、石井さんに課せられたのは、コーセーで市販されている化粧品や道具だけで完成させる「徹底的に汗水に強いメイク」の追求。当時はスポーツに特化したメイクアップアーティストもいなかったため、手探り状態のスタートだった。

「例えば、アーティスティックスイミングでは、水中で激しく動くため、普段のメイクのままでは、メイクが崩れたり、色が出なくなったりします。また、当社の商品に水着や衣装に合う色が必ずあるとは限りません。当時は自分の肌を使って、とにかく繰り返し検証。無い色は複数の色を肌の上で重ねたり、異なるテクスチャーのコスメを重ねることで落ちにくくしたり、組み合わせによって、問題を解決する方法を見出しました。

 ちなみに当時のアーティスティックスイミングの選手のアイシャドウは、ウォータープルーフのリキッドタイプの上にパウダーをのせ、さらにリキッドタイプを重ねています。このように3層にすると、発色が良いうえ、水中でも肌にピタッと密着して崩れません。現在は化粧品もさらに進化しており、汗水に強く崩れにくく、発色のよいウォータープルーフのアイシャドウを使用しています」

 フィギュアスケートのメイクでは、演技中はもちろん、キス・アンド・クライまでを考慮する。

「髪を下ろす、ポニーテールにする場合、リップはマットに仕上げます。グロッシーに仕上げると演技中、髪が唇に張り付く恐れがあるからです。また、フィギュアスケートの場合、氷上よりもキス・アンド・クライの際、汗がドッと噴き出す場合が多い。キス・アンド・クライはテレビやオーロラビジョンで顔がアップになる瞬間ですし、感動的なシーンでもある。ですからこのときに、アイラインやマスカラがにじまないよう、意識しています」

 石井さんはまた、シーズンのプログラムに合ったメイクデザインも選手たちに提案している。

 フィギュアスケーターは新シーズン開幕前のアイスショーで、新プログラムをお披露目することが多い。選曲や衣装、どんなキャラクターを演じたいのか? 石井さんはアイスショーのメイクルームで直接、選手と対話しながら、新プロのメイクデザインを仕上げていく。

「ラテンのような情熱的なイメージでいきたい、と言われたら黒のアイライナーを強めに入れてレッドのリップをひく、という具合に、衣装や曲、演じる世界観に合わせた表現や色選び、メイクの強弱を心がけています。大会中は自分でメイクを再現してもらうため、選手にはメイクブースで、使用するアイテムを使い込んでもらっています」

 デザインを考える際、プログラムの世界観を大事にしながら、社会的なメイクのトレンドも取り入れている。「スケーターを見れば、その時代の美しさやトレンドがわかる」。これが石井さんのこだわりだ。

“テレビ映え”もこだわりの一つ

「赤いリップ一つとっても、真っ赤なのか青みがかっているかなど、トレンドにより異なります。過去にはつけまつ毛を使用したときもありましたし、眉毛の形も時代、時代で変わっていますよ」

 スケーターの好みの流行でいえば、最近ではナチュラルなメイクが好まれるという。また、近年、大きな大会は必ずといっていいほどテレビ中継があるため、テレビで映えるメイクか、大会の会場で映えるメイクかの選択も、デザインを決めるうえで重要になる。

「個人的には装飾的なメイクが好きなので、プログラムにはまるようであれば提案します。歴代の選手でいうと本郷理華さん、鈴木明子さんは、強いメイクを提案しても、そのまま受け入れてくれるタイプでした。なかでも本郷さんの2015-16年シーズンのプログラム「インカンテーション(シルク・ドゥ・ソレイユ『キダム』より)」のメイクは印象に残っています。

 ただし、この仕事は私がよいと思うメイクではなく、選手が納得するメイクをすることが最も大切です。プログラムに対する選手のこだわりを最優先に考え、選手らがイメージする以上に、表現力や世界観を高める提案をするのが我々の仕事ですから」

 メイクの仕上がりは選手のモチベーションを左右する。演技直前、直接触れ合うなか、石井さんが心掛けるのは「正直さ」だという。

「メイクブースは一人30分でヘアとメイクを仕上げるためバタバタしています。目の造形や骨格に合わせた左右バランス、発色、グラデーションなど、イメージに合わせて作り込みます。ただ、時間が足りない場合もあります。その際、自分自身が納得できない場合はそのままにしません。

『ごめん、このラインの角度納得いかないから、出番まで5分あったら戻ってきて』と最後までこだわるようにしています。メイクをされる側は『これはちょっと違うな』と思っても正直に言えないこともある。その気持ちを汲み取って、しっかりフォローすることが、信頼関係につながるのかなと思います」

 かつて選手がほとんど訪れなかったメイクブースは今や、演技前の選手にとっての憩いの場になっている。

「選手たちは本番前も控室ではなくメイクブースにやってきて、コスメを見たり、ネイルを塗ったり、メイクアップのスタッフとコミュニケーションを取りつつ、過ごしています。そのまま、元気に明るく、氷上に飛び出していく姿を見ると、メイクだけでなくマインドのうえでもケアできる空間になっているかなと思いますね」

最も印象的だった選手は「宮原知子」

 メイクブースを始めて約15年。ジュニアの選手からオリンピアンまで、数多くの選手と接してきた石井さん。メイクアップアーティストの視点から最も印象深い選手は? という問いに、宮原知子(木下グループ)を挙げた。

「コーチに連れられて初めてメイクブースに来た時、彼女はメイクのメの字も知らず、コーチからメイクを教えてあげて欲しいと嘆願されました。その際、メイクのイメージを引き出すコミュニケーションをしましたが、声もとても小さく控えめで大人しい選手だったのです。

 宮原さんは年々、私の提案する強めのメイクにも挑戦してくれ表現の幅を広げるとともに、メイクの腕もどんどん上達されていると思います。2016年にアメリカで実施したコーセー・チームチャレンジカップでは、『会心の演技ができたらガッツポーズで気持ちを表現してね』と伝えると、氷上でガッツポーズをしてくれたこともありました。今ではメイクブースでの会話も、ノリと突っ込みのトークばかりです(笑)」

 宮原といえば、平昌冬季五輪のショートプログラム「SAYURI」の凛とした目元のメイクが印象的だ。「妖艶で和の雰囲気を出すために、目元に赤を取り入れるといいよ」。見せ方を考えるなか、石井さんのアドバイスを受けた彼女は、最終的に目まわりに赤いシャドウを幅広く入れた。

 外観を美しくすることで内面も美しくなる。それがメイクの持つ力だと、石井さんは信じる。

「当時は、メイク初心者だった宮原さんも、メイクがどんどんうまくなり、徐々に自信に満ちてきて、本当に会うたびにきれいになっていきました。

 美しくなる力をスポーツシーンに置き換えると、演者に切り替わる『やる気スイッチ』。フィギュアスケーターにとって、メイクアップが作品の世界に入り込む力になればという思いを持って、この仕事を続けています」

【私がフィギュアスケートを愛する理由】

「メイクアップアーティストとして一番嬉しいのは、お客さまが私たちのメイクに感動してくださる瞬間。なかには、涙を流して喜んでくださる方もいます。そして、フィギュアスケーターの皆さんは私にとって、感動を与えてくれる存在。目標に向かって自分を追い込み、ケガと闘いながらひたすら努力し、挑戦し続ける姿は本当に尊敬します。その道のりを経て、最高のジャンプ、最高の演技でやり切った選手を見た瞬間は、本当に涙が出るほど感動しますし、そこがフィギュアスケートの大好きなところです」(コーセー メイクアップアーティスト・石井勲さん)

 ※「THE ANSWER」では北京五輪期間中、取材に協力いただいた皆さんに「私がフィギュアスケートを愛する理由」を聞き、発信しています。

(長島 恭子 / Kyoko Nagashima)

長島 恭子
編集・ライター。サッカー専門誌を経てフリーランスに。インタビュー記事、健康・ダイエット・トレーニング記事を軸に雑誌、書籍、会員誌で編集・執筆を行う。担当書籍に『世界一やせる走り方』『世界一伸びるストレッチ』(中野ジェームズ修一著)、『つけたいところに最速で筋肉をつける技術』(岡田隆著、以上サンマーク出版)、『走りがグンと軽くなる 金哲彦のランニング・メソッド完全版』(金哲彦著、高橋書店)など。