退任会見を行った侍ジャパン・稲葉篤紀監督【写真:荒川祐史】

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野村克也氏に「一社会人として人間性を学ばせていただいた」

 東京五輪で野球日本代表「侍ジャパン」を悲願の金メダル獲得に導き、9月30日に都内で退任会見を行った稲葉篤紀監督。会見前には、ヤクルト時代の恩師である故・野村克也氏の墓前を訪れて手を合わせ、「本当なら五輪を野村監督にも見てもらいたかったですし、直接お会いして(金メダル獲得を)報告したかった」と感慨深げに語った。今後は、名将の背中を追うことになるのだろうか。

 稲葉監督が法大時代の1994年、当時監督だった野村氏自身の強い意向でヤクルトからドラフト3位指名されプロ入りした経緯は有名だ。入団後も、野村氏は人一倍ひたむきに練習に取り組む稲葉監督の姿勢を高く評価していた。

 野村氏はミーティングで野球より先に人生論を展開したことで知られ、稲葉監督は「野村監督にはプロ野球の世界に入れていただき、野球もそうですが、一社会人として人間性という所も学ばせていただきました」とうなずく。実際のところ、稲葉監督の人柄は球界の誰もが認めるところで、あのイチロー氏も現役時代に「稲葉さんは徳が高い。品性とか人格が備わっている。稲葉さんを嫌う人は絶対にいない」と語ったほどだ。

 そんな稲葉監督の素顔は、会見中にもうかがえた。冒頭で、代表選手を供出した12球団の監督・関係者、コミッショナー、NPBとNPBエンタープライズの関係者、強化試合に応じてくれた諸外国の代表チーム・野球連盟、国内アマチュア団体などへ丁寧に謝意を表した後、「監督就任のお話をいただいた当時、迷っていた私の背中を押し、この4年2か月の間、私の最大の理解者として応援し続けてくれた妻、子どもたちに心から感謝を伝えさせて下さい」と口にした直後に絶句、号泣。涙ながらに「ありがとう」と絞り出した。

 さらに、VTRで坂本勇人内野手(巨人)、山田哲人内野手(ヤクルト)、甲斐拓也捕手(ソフトバンク)、秋山翔吾外野手(レッズ)からのサプライズメッセージが上映されると、また号泣。暗くなった壇上で関係者からハンカチを手渡され、そっと顔を拭っていた。そして最後、出席した報道陣に謝辞を述べる際にも、感極まって声が裏返った。

退任会見で何度も号泣「すぐに泣いちゃう」

 もともと自ら「すぐ泣いちゃう」と認めているが、これほどピュアに感情を表現できる人物には、厳しい競争社会である球界ではなかなかお目にかかれない。

 また、会見では選手を呼び捨てにせず、「坂本選手」、「山田選手」という風に呼んだ。試合終了直後などには思わず「キク(広島・菊池涼介内野手)」「勇人(坂本)」「コンちゃん(日本ハム・近藤健介外野手)」などと口にしたこともあったが、プライベートと公の場を明確に分ける折り目正しい人柄なのである。

 就任当初は、NPB球団で監督経験がないことを危ぶむ声もあったが、見事に覆した。逆に言えば、侍ジャパンに選出される選手は当然超一流ぞろいで、監督の方針を理解する力、実行力も高かった。もしNPB球団の監督に就任すれば、発展途上の選手を根気良く起用し、育てながら勝利をものにしていくことも求められる。そこではまた全く別の対応を求められるだろう。

「私の今後の具体的な活動は未定ですが、野球界を支えていきたい。微力ではありますが、野球界の発展に貢献していくことが恩返しになると考えています」と稲葉監督は言う。

 恩師の野村氏は「財を遺すは下、仕事を遺すは中、人を遺すは上」という言葉を好み、講演会などでよく使っていた。利益を生むこと、事業を発展させること以上に、人材を育成し次代につなげることこそ最も価値が高いという意味だ。日本野球界の悲願だった金メダルを獲得した稲葉監督は、見事に「仕事を遺した」と言えるだろう。そしていよいよ「人を遺す」ことに重心を移していくのかもしれない。(宮脇広久 / Hirohisa Miyawaki)