日本代表を率いる森保一監督【写真:Getty Images】

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W杯最終予選で格下オマーンに敗戦、消耗した選手の起用に疑問

 森保一監督率いる日本代表は、2日に行われたカタール・ワールドカップ(W杯)アジア最終予選初戦でオマーンと対戦し、ホームで0-1と敗れた。

 W杯最終予選では、前回のロシア大会に続き2大会連続での黒星スタートとなったが、かつてアジアサッカー連盟の機関紙「フットボール・アジア」の編集長やPAスポーツ通信のアジア支局長を務め、ワールドカップ(W杯)を6大会連続で取材した英国人記者のマイケル・チャーチ氏は、「意味合いが違う」と指摘。中国戦に負ければ、「森保ジャパンの終焉につながる」とする同氏は、中国戦の結果にかかわらず、監督に対しての「変化」を求めている。

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 再現は不要、変化すべき時を迎えている。オマーンに対して、深みのない戦いをした日本は新しいアプローチが必要だ。それは森保一監督によってもたらされてもいいが、数多くの才能ある新しい監督によっても簡単にもたらされるだろう。

 オマーンに喫した敗戦によって、パニックに陥ることはない。それでも、森保監督は自身のアプローチについて、真剣に見直さなければならないだろう。火曜日にはドーハで行われる中国戦に向かうのだから、なおさらだ。

 この試合が勝利以外の結果に終われば、森保監督は去らなければならないだろう。なぜなら、日本がその立ち位置にいる要因の大部分は監督に責任があるからだ。

 たしかに、負けは起こりえることだ。日本はバヒド・ハリルホジッチ監督が率いていた当時も、ロシア・ワールドカップアジア最終予選の初戦でUAEに1-2のスコアで敗れていたが、その後、逆転で本大会出場をつかみ取った。

 しかし、今回は意味合いが違う。日本は消耗しきっていた。東京五輪へ尽力した犠牲がここで出た形だが、森保監督はその責任を負わなければならない。五輪本大会のなかで、チームをリフレッシュすることを拒んだのは彼自身であり、その代償を支払わされたからだ。

 オマーン戦での吉田麻也と酒井宏樹は疲れ切っていた。連戦に次ぐ連戦により、彼らは燃え尽きている。森保監督が見誤ったと言わざるを得ない。板倉滉が負傷して無力だった植田直通が代役となった際に、冨安健洋にオマーン戦を欠場する許可を与えた判断は、あまりに愚かに映った。

もっと視野を広げて、違う選手にも目を向けるべき

 また、堂安律と久保建英の2人を先発で起用しなかったことも、日本の創造性と狡猾さを失わせる原因となった。彼らも東京五輪を戦ったことは事実であり、疲労は考慮されるべき事案だっただろう。しかし、DFたちではなく、クリエイティブな選手たちに異なるアプローチを取った理由は分からない。

 もちろん、日本はクリエイティブなポジションの選手層が厚い。だが、森保監督は見当違いの選手たちを信頼したように映った。伊東純也は途中出場でこそ生きる。制御困難な動きやスピードは、疲れ切った相手にとって脅威となるが、彼は先発に入る器ではない。また、原口元気の起用に至っては意味不明だ。

 そして、ピッチに入らなかった選手や招集さえされなかった選手たちは、どうだっただろうか。橋岡大樹は、酒井に休養を与えるために呼ばれてもよかったはずだ。東京五輪で遠藤航と抜群の相性を見せた田中碧は、招集の価値さえも見出せてもらえなかった。

 攻撃的なポジションで言えば、三好康児や三笘薫といった選手たちはどうしたのだろう。 あれだけの才能があるのに、三笘は東京五輪を通じて森保監督に冷遇される様子を目にした。そして最後のメキシコ戦では、若き才能の反論を目撃している。

 もし、森保監督が選手に休みを与えたかったのであれば、それができるだけの選手はそろっている。そして、伊東と原口は解決策にはならなかった。森保監督の最大の欠点は、同じプレーヤーたちを信頼しきり、それらの選手への依存度が高くなることだ。

もっと視野を広げて、古い慣習や彼のスタイルに合っていた選手から離れて、招集した選手、あるいは今後招集できる選手に目を向ける必要がある。求められている結果に対して、何をしなければいけないかを見直さなければいけない。

 これは彼の哲学に反することかもしれない。だが、森保監督はハンドブレーキを外す必要がある。チームに創造性を加えることを、恐れてはならない。これまでの実用的かつ保守的なやり方を捨てて、日本代表に用いることができる才能を引き出しあえるスタイルを模索するべきだ。

森保監督は「あと一歩の男」、W杯最終予選でもそれではいけない

 このように警鐘を鳴らすのには、理由がある。森保監督は「あと一歩の男」だからだ。アジアカップ優勝、東京五輪でのメダル獲得……。W杯アジア最終予選の突破も「あと一歩」となって良いわけはない。

 この30年間で日本代表が収めてきた成功は、プレッシャーとして圧し掛かる。誰だって失敗する監督になりたくない。特に今は、これだけのタレントを起用できるのだ。そしてロシアW杯で、ベスト8までもう少しというところに迫った直後でもある。

 来年のカタールW杯を目指すうえで、日本のサッカー選手たちは自分たちが準々決勝進出、もしくは準決勝に進出することを視野に入れて、自分たちのパフォーマンスを上げていく必要がある。

 中国に負ける可能性は、おそらく低いだろう。彼らはオマーンのように鍛えられてはいない。そして、森保監督ほどタレントの量にも恵まれていない。しかし、オーストラリアに対する惨敗によって、彼らのモチベーションは高く、必勝態勢でドーハの試合に臨んでくるだろう。

 多くの帰化選手を擁しているものの、日本と比較すれば中国の実力は、はるかに下回る。そんな通常レベルの相手に対して敗れるようなことがあれば、それは森保ジャパンの終焉につながるだろう。すべては、この試合で決まる。“ドーハの悲劇”とならないことを願いたい。(マイケル・チャーチ/Michael Church)