玉置泰子(たまきやすこ)さん90歳。大阪にある専門商社サンコーインダストリーで勤続65年、現社長が生れる前から勤務してきたベテランだ。通常業務でエクセルを駆使し、新入社員への社史説明では毎年パワポを作り変えてプレゼンする。新しいものを恐れずに学び、成長し続ける姿は社員に好影響を生んでいる。年齢を重ねても現役を続ける女性の仕事のポリシーに迫る連載「Over80『50年働いてきました』」。第1回は、ギネスに登録された世界最高齢総務部員――。
筆者撮影
サンコーインダストリーの看板 - 筆者撮影

ギネス世界記録に認定された90歳の総務部員

「世界最高齢総務部員」としてギネス世界記録に認定された女性がいると聞いて、大阪市西区にあるサンコーインダストリーを訪ねることにした。

サンコーは昭和21年創業の(当時の社名は三興鋲螺)ねじの専門商社である。資本金1億円、社員数432名、うち女性が183名(42.4%)を占めるというから、専門商社の中では女性比率が高い会社だ(専門商社の平均は30%。マイナビ調べ)。

サンコーのHPにある案内図に従って大阪メトロ四つ橋線の22号出口に向かうと、サンコーの看板が目に飛び込んでくる。いきなり、度肝を抜かれてしまった。

「頭のねじくらい 飛んでる方が おもしれぇ。」

いまは亡き内田裕也が、看板の中でこう叫んでいた。

■肩書は、総務部長付の課長

22号出口から徒歩5分。一筋縄ではいかない会社なのだろうという予感を抱えてサンコーの本社に足を踏み入れると、妙に開放感のあるフロアで、社員たちが賑やかに仕事をしていた。案内を受けて総務部に向かうと、「世界最高齢総務部員」がパソコン画面を見つめていた。椅子の背もたれで隠れてしまうほど体が小さい。

サンコーインダストリー 総務部 玉置泰子さん(写真提供=サンコーインダストリー)

玉置泰子、90歳。60歳でいったん定年となってサンコーHDに転籍し、HDからサンコーに出向する形で仕事を継続している。肩書は総務部長付の課長。仕事内容は経理事務とTQC(職務改善のサークル活動)の事務局の運営である。

雇用形態は1年ごとの契約だから、ご本人の言葉を借りれば、「現実的には嘱託みたいなもの」。言葉の明瞭さ、説明の的確さにたじたじとなる。

■15歳で父を亡くし、高校卒業後ずっと働いてきた

玉置は1930年(昭和5年)に大阪で生まれた、生粋の浪花っ子である。1930年といえば昭和恐慌のまっただ中。翌年に満州事変が勃発して、わが国が戦争への道を歩み始める起点となった年である。

社員と談笑する玉置さん。「70代の頃までは、若い子と一緒にスキーに行ったりしていたから、世代のギャップはあまり感じないですね。今も行きたいけど周囲に止められて……」と不満そう。(写真提供=サンコーインダストリー)

「私、終戦の年に15歳でしたが、父が戦争による過労で戦後すぐに亡くなってしまって、母も病弱だったものですから、高校を卒業してからずっと仕事をしてきました。弟と妹が合わせて3人いましたから、働くことを義務付けられたようなものでした」

高校を卒業して生保に3年勤め、紡績工場を経て、1955年、25歳の時にサンコーで働き始めた。勤続、実に65年である。

「サンコーが一番居心地がよかったので、ここまで継続することができたと思います」

現在も、月曜日から金曜日まで、9時から5時半まで働く。土曜日も「総務に誰かいないといけないから」と、当番の日は午前中だけ出社している。いくら居心地がいいとはいえ、90歳という超高齢者が働き続けるのは並大抵のことではないだろう。サンコーはそんなに働きやすい会社なのだろうか?

■社長が癒やしてくれる

「ひとつは、上下の壁がないということですね。部長はもちろんのこと、社長に対しても人を介さずに直接ものが言える会社なんです。会社が終われば社長と一緒にアスレチックに行ったり、おいしいもんを食べに行ったり。一番のねぎらいは、社長が隣にいて癒やしてくれることなんです」

社長が癒やしてくれる……。

にわかには理解し難い言葉である。

「サンコーは課とチームを主体に動いていて、優秀社員の表彰もチームの成績がよかった中での個人の表彰という形なので、ひとりだけがんばっても、チームがよくならなければ評価されないんです。営業も男女のペアでチームを組むようになっていて、必ず2人以上で仕事をしています。常に相棒と一緒に成績評価をされるので、個人が追い込まれることが絶対にない。常に誰かと一緒というところが、とても心強いんです」

玉置の上司に当たる、総務部長の佐藤宏彦が補足してくれた。

「年に2回、賞与の時期に個人評価をしていまして、評価の高い順に、最優秀賞、優秀賞、新人賞を授与しています。個人を評価する軸は、年功序列と成績評価が半々の割合で、年功序列を半分入れることで、成績オンリーになることを防いでいるのです」

■目標は「達成できそうな数字」

個人を追い込む成果主義ではないということだろうか。ちなみに玉置自身に個人としての受賞歴はないというから、勤続年数の長さは個人として突出した能力があることとリンクしているわけではないようだ。

写真提供=サンコーインダストリー
(写真左)2020年、世界最高齢の総務部員としてギネスに登録された。(写真右)玉置さんのギネス認定証。 - 写真提供=サンコーインダストリー

いくら、課やチームで評価されるといっても、ノルマがきつければチームが追い込まれることになる。それは結局、個人を追い込むことになるのではないだろうか。佐藤が言う。

「年度初めに全社の売り上げ目標を決めて、それを各課に細分化して、さらに各担当チームに割り当てていきます。玉置が言っているチームとはこの担当チームのことで、2人から3人が1組になって顧客を担当しています。しかも、全社の売り上げ目標が『達成できそうな数字』なので、チームが追い込まれるということもないんです」

達成できそうな数字……。またしても、摩訶不思議な言葉の登場である。

■課長時代に全員にボイコットされる大失敗

とりあえず、サンコーが個人を追い込まない会社であるとして、では、女性の処遇はどうだろうか。玉置の年齢を考えればITスキルの問題も気になるところだ。90歳という高齢で、果たして職場のIT化に追随していくことができているのだろうか。

「私は40代で課長になりました。サンコーは女性が普通に役職に登用されている会社で、いまは女性の取締役も部長も課長もいてますけれど、私が40代で課長になった当時は、まだ会社の組織がきちっとできていない時代で、マネジメントということもよくわからないまま年功で課長になったんです。

若い頃の私は融通の利かん人間でね、何でも言うたら聞いてくれるやろと思っていました。ところが決算の時期に『残業して』と言ったら、課の全員からボイコットされてしまったんです。それから試行錯誤して、『一緒にやりましょう。お願いしますね』というふうに、絶対に上から物を言わないようにしました。だから、課長とかいう意識、今でもぜんぜんないんです。みんなと一緒に成長していこうということですわ」

玉置は現在、漢字検定準一級の試験に向けて勉強中だという。90歳にして文字通り“成長”のさなかにあるというから、驚く。

■IT導入に「こんな面白いものはない」と興奮

では、ITについてはどうか。

「エクセルとかワードを使うだけで、プログラミングはやらないので創造性には欠けますけれど、エクセルひとつとっても奥が深いんですよ」

ディスプレーは2台並列。(写真提供=サンコーインダストリー)

サンコーがコンピュータを導入したのは、1981年(昭和56年)のことだが、玉置によれば導入の6年も前から事前教育が行われていたという。6年という長さに再び驚く。

「先代の社長が大阪の青年会議所というところで情報工学の先生と親しくなって、コンピュータの基礎を勉強させてくれたんです。在庫管理とか私が担当している経理事務もコンピュータ化に適しているということで、それまではソロバン置いて、受け取り台帳とか割引台帳とかいくつもの台帳に手書きをしていて、それが間違いの原因にもなったんですが、コンピュータは入力すればいっぺんに合計も取ってくれるということで、こんなに面白いものはない! というのが当時の私の感想でした」

■ゴミを入れたらゴミしか出てこない

玉置は好奇心が強く、変化が好きだという。趣味は読書、俳句、短歌、随筆の執筆。

「いい文章を書くには、写生するのと一緒で物事をじっくりと眺めて、その裏側にあることまで感じとることが大切ですね。コンピュータだって、よく知らない人ほど『なんとなく怖い』ってなるんです。私は導入前に6年も丁寧に教えてもらったから、ちっとも怖いと思わなかった。よくわかってない人には、『コンピュータってゴミを入れたらゴミしか出てこない。有効なものを入力するのが大事よ』って教えてあげるんです」

毎朝20分かけて新聞の見出しをチェックし、休日にはスマホでグルメ情報をゲットしておいしい物を食べに行く。読書も好きで、毎週数冊の本を読むという。

「今日は国際女性デー(3月8日)ですから、渡辺淳一さんの『花埋み』を読み返しています。日本で初めての女医、荻野吟子さんの話です」

■今日が人生最後の日になっても悔いがない

玉置の働く喜びとは何だろうか。

「サンコーでは常に、誰かの役に立っているか? と問いかけながら仕事をする。これが根本にあるんですね。経理というのもひとりでやる仕事ではなく、たくさんの人の手を経て出来上がる仕事なので、私も後工程の人が仕事をやりやすいということを常に考えながら仕事をしています。仕事の優先順位もそれで決まってきます。

会社全体がそうだから、自分の仕事が人のためになっているという実感を得やすいのだと思います。伝票ひとつ持っていっても、『ありがとう。助かりました』という言葉を聞けるので、ああ、早く渡せてよかったなぁと思って、それが仕事のやりがい、働く喜びになる。私の信条は禅で言う『いまを生きる』ですが、こういう生き方をしていたら、今日が人生最後の日になっても悔いがないんです」

さて、玉置が並みの高齢者でないことは疑いないが、それとサンコーの「居心地のよさ」はまた別の問題だろう。そして「社長が癒やしてくれる」「(目標が)達成できそうな数字」といった、謎の言葉も謎のままである。

ここは、当の社長に話を聞いてみるしかあるまい。

(後編に続く)

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山田 清機(やまだ・せいき)
ノンフィクションライター
1963年、富山県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、鉄鋼メーカー、出版社勤務を経て独立。著書に『東京タクシードライバー』 (朝日文庫)、『東京湾岸畸人伝』『寿町のひとびと』(ともに朝日新聞出版)などがある。
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(ノンフィクションライター 山田 清機)