M4「シャーマン」とT-34といえば、その圧倒的な生産数で、WW2に連合軍が勝利した原動力のひとつとなった戦車としても知られています。しかしこれら戦車は、戦後も各地の戦争や紛争に姿を現し、ときには砲火を交えることもありました。

大量に作られたT-34とM-4は戦後東西各陣営に提供される

 第2次世界大戦中に最も生産された戦車といえば、ソビエト連邦のT-34といわれています。そして、2番目に生産されたのが「シャーマン」の愛称で知られる、アメリカのM4中戦車です。実はこの2台の戦車は戦後も各国で使用され、たびたび戦争や紛争に姿を現しています。戦後、この2台の戦車がどのような道を歩んだのかを振り返っていきます。


ソ連(当時)製のT-34戦車(2018年7月、柘植優介撮影)。

 T-34の総生産台数は、約6万4000両(T-34/85含む)で戦車生産数歴代2位、M4が約5万0000両で歴代3位です(生産数はいずれも諸説あり)。一説には10万両以上が生産されたという冷戦期のスタンダード戦車であるT-55には及びませんが、この2種類の戦車と対峙していたドイツ戦車で最大の生産数だったIV号戦車が約9000両、日本で最大生産数だった九五軽戦車が約2500両という数字ですので、その生産数の多さが際立ちます

 大戦後、東西冷戦期に入ると、米ソは同盟国や自身の陣営に協力してくれる国へむけて、この大量に作ったT-34とM4を供給しました。

 T-34は液冷V型エンジンのディーゼル車、M4は星型空冷エンジンのガソリン車と、同じ戦車とはいえ全く異なるものです(M4は一部ディーゼル仕様型あり)。設計思想とすれば、後の主力戦車にも採用されている傾斜装甲であり、ディーゼルを燃料として使用しているT-34の方が優秀とはいえますが、M4はとかくそのエンジンの整備性が高く、1940年代から1950年代当時のレシプロエンジンを搭載している輸送機や爆撃機のエンジンも搭載可能なほどで、スクラップ同然の車両も戦力化できる可能性がありました。そうしたことからM4は、とにかく戦車の数が欲しい国にとってはちょうどいい車両といえました。

朝鮮戦争ではT-34が優勢だったといわれているが…

 第2次世界大戦後、両車両が初めて本格的に対決した戦争である朝鮮戦争では、T-34の威力が発揮され、アメリカをはじめとした国連軍は慌てて、M26「パーシング」戦車の配備数を増やし、さらに手持ちの対戦車火器であるバズーカ砲の威力向上を行うなど、戦中のドイツ軍に起こった「T-34ショック」が再来したといわれています。

 しかし同戦争の全期間を通して主力戦車であったM4は、52口径76.2mm戦車砲を搭載したM4A3E8(通常:イージーエイト)と呼ばれる火力アップタイプで、序盤こそ押されましたが、数が揃うと北朝鮮軍や、中国義勇軍相手に有利に戦いを進めたという記録もあります。


自衛隊富士駐屯地で保存展示されているM4「シャーマン」戦車(2012年1月、柘植優介撮影)。

 ほかにも、1948(昭和24)年6月、第1次中東戦争が一時休戦となった時期に、機甲戦力不足を懸念したイスラエル政府が大量に集めたM4のスクラップを改修、砲塔も新しく強力なものに変えるなどした、後にM1「スーパーシャーマン」戦車として知られる車両を、当時アラブ中東諸国陣営で主力だったT-34/85戦車に対抗する形で1950年代に投入しています。また、第1次、第2次印パ戦争でもインド軍がT-34を、パキスタン軍がM4を、カシミール地方の紛争で使用しています。

 さらにT-34は、1953(昭和28)年6月の東ベルリン暴動や、1956(昭和31)年10月のハンガリー動乱などの鎮圧用に使用され、度々ニュースなどに姿を現しています。また、ベトナム戦争、中越戦争、ソマリア紛争など、各地の戦争や紛争でもよく見かける存在でした。M4の方も、サンディニスタ革命(第1次ニカラグア内戦)で1979(昭和54)年に行われた革命鎮圧のための大規模な軍事攻撃の際に使用されました。

 やがて、M4はそうした歴史の舞台への登場機会が減っていきますが、その後もT-34はたびたび姿を現しています。多数のT-34戦車がが実戦で運用された記録として現在、残っている最新のものが、1990年代のユーゴスラビア紛争です。1991(平成3)年から1995(平成7)年のあいだに、当時のユーゴ内で発生したクロアチア紛争やボスニア・ヘルツェゴビナ紛争では、現地に残されたT-34がセルビアやクロアチアなど、各陣営で使用されました。

現地改修なども行われ21世紀が始まっても現役だった?

 M4は現地でのカスタム車両が多く、イスラエルの「スーパーシャーマン」のほかにも、第2次世界大戦終結直後のフランスで、M4にドイツ製「パンター」中戦車の7.5 cm KwK 42 L/70戦車砲を改良した砲塔を搭載するなどして、戦力アップを図りました。1950年代に東側陣営から離脱したユーゴスラヴィア連邦政府も、西側陣営に接触し、その際にM4を改造した戦車を配備しています。


T-34の改良型、T-34/85戦車(柘植優介撮影)。

 T-34のカスタムもないわけではなく、ユーゴスラビアでは、東側陣営離脱直前にT-34/85の砲塔を改造し、砲弾を弾く能力を強化した「テスキ・テンキ・ヴォジロA」という戦車を計画していましたが、ソ連との関係が切れてしまったので白紙となりました。またエジプト軍では、1970年代末には戦力として非力となったT-34に、100mm砲や122mm砲をつけることで自走砲化したT-34-100、T-34-122などが現地改修車両として配備されていました。

 両車両とも、21世紀に入っても装甲戦力として使用され、M4は2018年にパラグアイ軍で退役したものが最後の車両といわれており、T-34は2019年まで現役だったラオス軍の車両が同年、ロシアへ返還されたことが話題になりました。ただ、T-34に関してはパレード用としていまだにロシアで使用されており、北朝鮮軍は2021年現在も現役戦力として保有しているという話もあります。

 2014(平成26)年に発生したウクライナ動乱では、戦争博物館から持ち出された大戦中の重戦車が戦力化されたという噂がありました。もしかすると、T-34だけではなくM4にも、また登場の機会が巡ってくるのではと思ってしまいます。


※一部修正しました(3月8日19時22分)。