仕事で「腰痛になる人」「ならない人」の境界線
仕事にも大きな支障を来す腰痛を、ビジネスパーソンはどうすれば防げるのか(写真:mits/PIXTA)
多くの社会人が身をもって経験したことがある「腰痛」。とくに「ギックリ腰」は、ある日突然、耐えがたい痛みに襲われ身動きできなくなることから、「魔女の一撃」とも称されている。煩うと仕事にも大きな支障を来す腰痛を、ビジネスパーソンはどうすれば防げるのか。『10秒でつらい痛みが消えた! 腰痛これだけ体操』 (TJMOOK)他の著書がある腰痛研究の第一人者・松平浩氏と、『仕事で成果を出し続ける人が最高のコンディションを毎日維持するためにしていること』を上梓した健康経営の第一人者・平井孝幸氏が語り合った。
腰痛の経済損失は年間3兆円
――慣れないリモートワークで腰痛が悪化した、という声を聞きます。
平井:DeNAでは2016年から健康経営に取り組んでいますが、アンケート結果により社員の約7割が職場で腰痛や肩こりに悩んでいることがわかりました。それが新型コロナ下のリモートワークでさらに増えている印象があります。自宅にあるのは椅子にしろデスクにしろ仕事用ではありませんから、腰に負担がかかっているのではないかと。
松平:まだエビデンスはありませんが、私が患者さんを診ていても同じことを感じます。また、ある企業が従業員を対象にコロナ下での健康面の困りごとを尋ねたところ、1位が運動不足、2位が腰痛・肩こりという結果に。この運動不足も腰痛の原因の1つだと思います。
ただし統計的には、ここ数十年、腰痛の人は増えてもいないし減ってもいません。「増えていないから安心」、という話ではありません。コロナの前から、腰痛は生活に支障を及ぼす症状、あるいは経済損失をもたらす症状として、ずっとトップであり続けている、ということです。腰痛による経済損失は大変なものです。私たちの試算では、日本国内だけで経済損失が年間約3兆円。医療のクオリティは年々向上しているのに、腰痛で悩む人は減らないんです。
平井:DeNA社内で「腰にちょっと違和感がある」程度の人向けに腰痛対策をするときも、腰痛が生産性低下の要因にならないようにすることが一番のテーマです。
その経験からいうと、椅子に座りながら1〜2分身体を動かすとか、朝晩に筋膜リリースをするといった小さな習慣づけを促しただけでも、約85%の従業員が「腰痛や肩こりに関する不安がなくなった」と答えました。逆にいうと、普段ずっとデスクワークしている人に「たまには立ち上がって体操するように」などと呼びかけても絶対やってくれない。「〜しながら」とか「〜のついでに」とか、生活動線のなかに組み込まないと腰のケアは続かないようです。
松平:腰に負担のかからないベストな座り方というのもあります。ただし現実的には同じ姿勢をずっと保つのは不可能。となると「短時間で姿勢を変える」のが1つの施策になります。腰に強いストレスがかかる姿勢でも、その時間や頻度を減らすことで、腰痛のリスクを抑えられる、という考え方ですね。
なぜ人は腰痛になるのか
松平:そもそも腰痛の主な原因には、腰自体の不具合と、ストレスなどによる脳機能の不具合の2つがあります。
腰自体の不具合については、座るときの姿勢の工夫もそうですし、重いものを持つときは「身体の近くで持ち上げる」などの工夫で予防できます。意外にも腰に負荷をかけるのは、くしゃみです。瞬間的に無防備かつ前かがみになるのがよくない。しかし、机や壁に手をついた姿勢でくしゃみをすると、腰の負担を大きく減らせます。
平井:DeNA社内で腰痛の人を観察すると「歩き方」にも傾向がありました。腰の可動域が少なく、足だけで歩いているように見えるんです。逆に、理想の歩き方はタイガー・ウッズですね。腰から左右に分かれて動いているのがわかる。腰痛の社員にはよく「まず歩き方を変えるといい」と話しています。
平井 孝幸(ひらい たかゆき)/株式会社ディー・エヌ・エー(DeNA)CHO室室長代理。東京大学医学部附属病院22世紀医療センター 研究員。東京都生まれ。慶應義塾大学卒業後、ゴルフ事業で起業。2011年DeNA入社。2015年従業員の健康サポートを始める。2016年健康経営の専門部署CHO室を立ち上げる。2019年同社での取り組みが経済産業省と東京証券取引所から評価され、健康経営銘柄を獲得。翌年も連続して獲得する。2018年DBJ(日本政策投資銀行)健康経営格付アドバイザリーボード、PGA(日本プロゴルフ協会)経営戦略委員会アドバイザー等を歴任(撮影:梅谷秀司)
松平:今の平井さんのお話は興味深いですね。じつは、ギックリ腰などひどい腰痛を経験すると、「もうあの痛みを経験したくない」という恐怖から、腰をかばう動きをすることがあるんです。つまり、おかしな歩き方は腰痛の原因ではなく、腰痛の結果である可能性がある。ただ、それを解決するために「怖がらず、いい歩き方をしよう」と呼びかけるのはいいと思います。
――松平先生がおっしゃった「ストレスと腰痛」、一見関係がなさそうに思えるのですが。
松平:私もその話を初めて聞いたときは「違うだろう」と思いましたよ(笑)。でも実際に、会社の人間関係のストレスや、家庭内のトラブルが、「腰に負担のかかる重たいものを持つ」のと同等以上に腰痛を悪化させるというエビデンスが出ています。
どういうことか。例えば、痛覚過敏のせいです。通常、人間の身体には痛みを緩和するメカニズムが備わっているのですが、ストレスを抱えているとそのメカニズムが不具合をきたし、痛覚過敏の状態になるんです。
また先程申し上げたように「ギックリ腰」などで一度ひどい痛みを経験した人は、それ以降、腰を動かすことが怖くなり、腰をかばうようになります。これを専門的には「恐怖回避思考」といいます。恐怖回避思考にとらわれるとますます痛覚過敏になり、歩き方もおかしくなって、腰痛が再発しやすく、慢性化しやすくなります。
さらに、脳機能とは無関係に心理的ストレスが腰の負担を大きくすることもわかっています。生体力学的な研究結果から、持ち上げ動作の際、ストレスのせいで「心ここにあらず」の状態となって、微妙に姿勢のバランスが崩れるためぎっくり腰リスクを高めるのではないかと推察しています。
平井:職場のストレスチェックの結果と腰痛の相関を見たら、何かわかることがあるかもしれませんね。ただ、そうすると社員も正直に自分の健康状態を答えづらくなるかも……。
――腰痛だといったら「職場に不満があるのか」と責められる?
平井:そう(笑)。「過度なストレスを感じている人には腰痛の傾向がある」なんてこともわかるかもしれません。ワークパフォーマンスを発揮できている人とそうでない人の違いなど、ストレスチェックの結果と腰痛の関係などもわかってきたら、健康経営的には興味深そうです。
腰痛は「動いて治す」時代
松平:腰痛が難しいのは、本当に「多要因」だということです。腰の負担に、ストレスに伴う脳機能の不具合。運動不足も腰痛の原因の1つです。「腰痛のときは安静に」と言われがちですが、近年の私たちの研究ではギックリ腰で痛みがきついときでさえ、安静にしているよりできる範囲で身体を動かしたほうが治りが早いこともわかっています。
松平 浩(まつだいら こう)/医学博士。整形外科医。2016年より東京大学医学部附属病院22世紀医療センター運動器疼痛メディカルリサーチ&マネジメント講座特任教授。日本運動器疼痛学会理事。NPO法人企業の健康いきいきプロジェクト理事。腰痛/肩こり/姿勢の研究に取組み、エビデンスに基づいた働く人向けの体操の開発・指導にも注力。NHKスペシャル「腰痛・治療革命」に出演、監修にも関わる。著書多数あり、近著に『10秒でつらい痛みが消えた!腰痛これだけ体操』『10秒でつらい痛みが消えた! 肩コリこれだけ体操』(宝島社)がある(撮影:梅谷秀司)
ところが、運動しすぎて腰痛が出るパターンもあるんです。猫背だったり、反り腰だったり、腰に負担のかかる姿勢で歩くとかえってよくありません。
そう考えると、同じ人が複数の原因を抱えている可能性もあるわけです。例えば、午前中はテレワーク中の悪い姿勢からくる腰痛。午後は妻とケンカしたストレスによる腰痛、夕方はウォーキング中の反り腰による腰痛と、同じ人が1日3パターンの腰痛をきたしてもおかしくない。そもそも、これら全部を「腰痛」という1つの病気として扱うのも無理があります。治療も、ストレスからくる腰痛はこう、歩き方からくる腰痛はこうと、個別に見ていかないと始まりません。本当に腰痛は手強い相手なんです。
平井:リモートワークを切り口に考えても、悪い姿勢で腰痛がひどくなっている人もいれば、オフィス環境や通勤に伴うストレスがなくなって腰痛が改善している人もいるかもしれませんね。松平先生のお話をうかがって思うのは、企業のなかで腰痛対策をするときも、その人の腰痛がどんなタイプなのか見極めるところから始めないといけない、ということです。それをしないまま一律の腰痛対策を行っても、効果が出ない。きっと、働く人たちそれぞれが、自分の腰痛がどこに分類されるのか、自己診断できるようになるのが理想なのでしょう。
松平:そのとおりだと思います。ただ、それが難しいからこそ腰痛に悩む人が減らないともいえる。最近私は、ビッグデータやAIの活用で、誰でも簡単に腰痛のアセスメントができ、その人にあったテーラーメイドの治療に誘導してもらえるアプリができたらと構想しているところです。腰痛治療というと「腰痛のときはボールでマッサージするといい」「動かず安静にしていれば治る」といった、個別性のない短絡的な議論に終始しがちですが、それもアセスメントがないからなんです。「腰痛リテラシー」が高まっていかない。
平井:ここ数年、テクノロジーの活用もあって一気に人々の「睡眠リテラシー」が高まりましたよね。少なくとも私の知る限りでは、睡眠の悩みを持つ人が減っていると感じます。同じように、テクノロジーの活用で腰痛リテラシーを高められる可能性はあると思います。自分の腰痛タイプを見極めて、適切なセルフケアができるようになれば、腰痛を減らしていけるかもしれません。
松平:たしかに。ただ「今、ギックリ腰がつらい」といった、まさに目の前の悩みを抱えている人以外は、なかなか腰のケアに関心を持たないものです。
どうすれば人の行動が変わるのか
平井:人々の行動変容を促す方法として、例えば「恐怖訴求」があります。「〇〇しないとこんなにひどいことになるよ」といういわゆる脅しですね。アメリカには、アメリカ歯周病学会による「フロス・オア・ダイ(floss or die)」というキャンペーンによって日々のオーラルケアへの意識を高め、フロス利用者を増やした、という事例があります。
もっとも、恐怖訴求ばかりだと仕方なくの行動になったり気分が暗くなってしまうかもしれません。DeNAはどちらかというと、腰痛に関する新しい知見を提供し、好奇心を刺激するようなポジティブな働きかけを心がけています。例えば、腰痛を防ぐ「正しい姿勢」を伝えるために、「頭の重さは体重の約10%、5キロのボウリング球ぐらいある。だから背骨の上に頭をきちんと乗せないといけない」というポスターをつくったところ、腰痛が改善したという人の声を多数聞くようになりました。
ビジネスパーソンに訴えるなら仕事の成果につなげることも大事です。「腰痛にいいから歩きなさい」「階段をのぼって運動不足を解消しましょう」といってもなかなか聞いてくれませんが、「脳が刺激されて新しい発想やアイデアが湧いてくる、血流がよくなってパフォーマンスが向上する」というと皆やってくれる。向上心の高い人には「シリコンバレーの有名起業家はこんなに熱心にセルフメンテナンスをしている」と見せるのも行動変容に繋がることがわかっています。
松平:先程もお話ししたように、これだけ医療が進化しているのに腰痛というのはまだまだ成長する可能性がある分野です。でも、だからこそ奥深い、仕事のしがいのある分野でもある。私は腰痛のタイプを見極め、個別にソリューションを提供する仕組みを整えていきたいと思います。
平井:DeNAも、健康経営を舞台に、腰痛リテラシーを高める取り組みを続けていくつもりです。
(構成:東雄介)