「逃げるな、隠すな」アパホテルのカレーに母親の顔写真が載ることになった経緯
※本稿は、元谷拓『アパ社長カレーの野望』(青春出版社)の一部を再編集したものです。
■直営レストランのカレーの味が統一されていなかった
アパ社長カレーの「困難(スパイシー)な状況」は、その誕生以前にさかのぼります。
「違う!」
ある地方のアパホテルへ行ったときのこと。ホテル直営のレストランでカレーを食べた私は衝撃を受けました。なんと、東京の直営レストランのものと味がまったく違ったのです!
「アパホテルでは、直営レストランのカレーの味が統一されていない」というショックな事実に直面した瞬間でした。老若男女を問わず人気のカレーは、ホテルレストランの看板メニューです。カレーがレストランの評価を決めるといっても過言ではなく、また、そのホテルのブランドをも左右しかねない特別なメニュー。大手シティホテルほどそれがわかっているので、カレーには力を入れていますし、ホテルブランドを上手く使って商品化もしています。それが、アパホテルでは味がバラバラ……。
■「金沢カレー」にピンときた
「アパならではのおいしいカレーを開発しよう」
まずは全国各地からありとあらゆるカレーを取り寄せて試食です。一口にカレーといっても、本場のインドカリー風から昔なつかしい家庭的なもの、北海道のスープカレーほかご当地カレーなど、実にバラエティ豊か。これならモデルにできるものも見つかるはず。ところが……ピンとくる味にはなかなか出会えませんでした。
さんざん食べるなかで、ふと思い出したのは故郷石川県で子どものころに食べたカレーでした。
「そうだ、金沢カレーだ!」
金沢カレーといえば、ゴリラの看板が目を引くゴーゴーカレーでご存知の方も多いでしょう。ビーフシチューのようなコクとごはんの上にキープされる濃厚さ、とんかつとキャベツが添えられた石川県独自のご当地カレーです。私のカレーの原点であり、また、金沢はアパホテル発祥の地でもあります。私はゴーゴーカレーの大ファンで、宮森宏和社長に、アパホテルが発行している『アップルタウン』という雑誌のなかの「スーパー企業最前線」のコーナーで、取材に行ったくらいなのです。
めざすカレーはこうして決まりました。
■ホテルニューオータニの元料理長が開発を支えた
アパホテルのオリジナルカレー開発を支えてくれたのは、アパホテル統括料理長の岩崎勇。ホテルニューオータニの料理長をしていた名シェフがアパホテルに転職してきていたこともアパ社長カレーにとって幸運でした。シンガポールのニューオータニ時代には料理の国際大会で、冷製部門の世界チャンピオンになったこともある実力派です。
「スパイシーななかにもコクとまろやかさを」
「ホテルカレーの高級感をもっと!」
「後味を引き立たせる工夫は……」
具材の旨みを溶け込ませるスープやソースづくりの専門家である岩崎シェフが、私のイメージをカレーに溶け込ませていきます。試行錯誤のすえ、隠し味にとんかつソースを加えることでスパイシーながらも果実と野菜の旨みと香り、高級感が後味に残る、最高のアパオリジナルカレーが完成したのです。
■「シェフの労務時間を減らすこと」も目的
実は、カレー開発を決めたのには、「全国どのホテルでも味わえる安定したおいしさ」を求める以外にもう一つ目的がありました。
それは「シェフの労務時間を減らすこと」。
カレーはおいしくつくろうと思えば思うほど手間も時間もかかります。シェフが変わっても味がブレないためにはレシピだけでなく技術を伝えることも必要になります。さらに、ホテルレストランでは、大人数の料理を決まった時間に提供しなければなりません。人気メニューともなれば、その負担は甚大です。
ですから、安定したおいしさを確実に提供するなら外部の工場で業務用につくろう、と開発の段階で決めていました。
お客様を喜ばせるには、まず従業員が無理なく働ける環境があってこそ。アパ社長カレーは、「お客様だけでなく、社員も幸せにしたい!」という情熱のスパイスも隠し味になっております。
■「アパホテルといえば社長だろ」
せっかくおいしいカレーができたのだから、ホテルに泊まらない人にも食べてもらいたい。お土産にもちょうどいいし、アパを知ってもらうきっかけにしよう。というわけで、3キロの業務用カレーだけでなく、1人前用200グラムも発売することになり、アパグループ代表 元谷外志雄のもとに企画書が上げられました。
「うん、うまい!」
カレーを試食した代表がそういって決済のハンコをポンと押したので、「よし!」。ところが、「味は合格だがネーミングがな……」と渋い顔をしています。
……イヤな予感がしました。
実は、私が企画書を提出した段階では、商品名は「アパホテルの本格派ビーフカレー」。もちろん、パッケージにはとんかつとキャベツをあしらった金沢カレーの盛り付けイメージを前面に出すつもりでした。
「アパホテルといえば社長だろ。社長どこ行ったんや」
言葉につまる私を見透かしたかのように代表が一言、ズバリと放ちました。
「逃げるなよ」
そして追い打ちをかけるかのように、
「隠すなよ」
そこからは経営のプロにして、敏腕プロデューサーの元谷外志雄の独擅場です。
「これじゃ面白くもなんともない。お客様も手に取らん」
「ネーミングを間違うと誰も買わない」
「アパ社長カレーでどうだ」
「それならパッケージにも社長がいなきゃダメだろ」
「インパクト重視だ。フロントに置けばいいお土産になるぞ」
■カレーのパッケージに「自分の母親の顔」
こんな経緯で、おいしそうなカレーを見下ろす位置に、レオナルド・ダ・ヴィンチが描いたモナ・リザのような、謎めいた微笑みをたたえたアパ社長の写真が入ったアパ社長カレーができあがりました。
代表の読み通り、フロントに来る人の目をくぎづけにし、通りすぎる人の足が止まり思わず二度見する強力な魔力……もとい「魅力」で売り上げに貢献しています。
逃げたつもりがない……とはいいません。でも、想像してみてください。自分の母親の顔がカレーのパッケージにプリントされているのを。母は好きですし、広告塔という役割を理解していたつもりでしたが、「食べ物のパッケージに入れちゃっていいのかなぁ……」という迷いがあったのは事実です。
そんな息子の迷いを見抜き、チリのごとく吹き飛ばしてくれた代表の慧眼はさすが。私の覚悟も決まりました。あの一言には感謝しています。
お客様の手に届けるためには、意表をつくインパクト、大胆で強気の戦略、話題性のあるトンガリ感が必要です。そして何より、自分のなかの「スマートにコトをおさめたい」という見栄に打ち克つ覚悟が大事、と痛感した一幕でした。
■「見てもらって話題になったら大成功」
「アパ社長って、面白い」
「かわいい?!」
「元気が出た! 私もあの強運にあやかりたい」
アパホテル社長の元谷芙美子は、テレビ出演や雑誌・書籍などを通して、その人柄や考え方が伝わった今は、多くの方に受け入れられてきました。
でも、アパホテルの社長就任直後は、誹謗中傷の嵐でした。自ら広告塔となり、人目をひく派手な帽子で日経新聞の広告に「私が社長です」とドーンと出たところ、「派手だ」「出しゃばりだ」などのクレームで会社の電話は鳴りっぱなし。「公共の福祉に反する!」という手紙まで届きました。
並大抵の人間なら、ここまで叩かれたら心が折れてしまうかもしれません。が、アパ社長は並じゃなかった。「これは大チャンスや!」と目をキラキラさせ、
「広告塔なんだから、見てもらって話題になったら大成功。クレームだって反響の一つ。むしろ何も言われないのが一番ダメ」
と肚の据わったもの。結果は現在のアパの実績を見ていただければわかる通りです。
■「意外とおいしかった」が重要
アパ社長カレーのヒットの一つ目の要因も「アパ社長」を前面に押し出したインパクト抜群のパッケージにあることは一目瞭然です。どんなにおいしい商品も、手に取って食べてもらわないことにははじまりません。お客様の口へ届く、最初のステップを社長自ら体を張ってクリアしているのです。
そして、インパクトの陰にあるもう一つのヒットの理由が「意外性」です。お客様の反応で多いのが、
「面白いから買って帰ったけど、思った以上においしかった」
「あんなパッケージなのに、本格的な味でびっくりした」
というもの。SNSで話題になったり、インスタ映えすればいいな、家族や友人にウケれば十分。そう思って買った人が、「意外なほどおいしかった」と、さらに話題にしてくれたのです。
人間の心理として、予期していなかったことほど強く印象に残るもの。ウケ狙いの目的で買った人にとっては、「期待していなかったけど味もよかった!」という得をした気分も味わってもらえたわけです。
「売名行為カレー」などといわれたこともありますが、はい、仰る通り。アパの名前を覚えてもらえればありがたい。でも、それだけじゃありません。アパ社長が自信をもってお奨めするホテル直営レストランの本格派ビーフカレー、ぜひお楽しみください。
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元谷 拓(もとや・たく)
アパホテル 代表取締役専務
アパ社長カレープロデューサー。1975年石川県小松市生まれ。金沢二水高校、中央大学経済学部卒。大学1年時に、当時最年少で宅地建物取引士に合格。北陸銀行勤務を経て、アパグループ入社。アパ社長カレーは累計700万食を達成。ほかに、ポカリスエットプール(東京ベイ幕張)、キリンレモンプール(横浜ベイタワー)などのネーミングライツに従事。アパホテルの新たな可能性を引き出している。
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(アパホテル 代表取締役専務 元谷 拓)