ナレッジ・マーチャントワークスの染谷剛史代表(写真は2019年7月の取材時、撮影:梅谷秀司)

「このプロジェクトは、いったん延期にさせてほしい」――。

2017年創業のベンチャー、ナレッジ・マーチャントワークス(KMW)の染谷剛史代表のもとには、この2〜4月、新規顧客となるはずだった小売企業からのこうした電話が相次いだ。政府による緊急事態宣言の発令が明らかになると、その数はさらに増えた。

新型コロナウイルス感染拡大の影響はさまざまな産業に波及しているが、ベンチャーも例外ではない。特に深刻なのは観光、外食・小売り、リアルイベント主体のエンタメなど、外出自粛で急失速している業界を主戦場としてきたベンチャーだ。

一方で、この危機をベンチャーならではの大胆な方向転換やスピード感で乗り切ろうとする動きも出ている。外食・小売りなどサービス企業向けの業務改善アプリ「はたLuck(はたらっく)」を展開しているKMWも、そんな挑戦を行う1社だ。

新型コロナで風向きが変わった

「はたLuck」はスマートフォン上で従業員やアルバイトのシフト作成、eラーニングやスキルチェックなど複数機能をまとめて使える点を特徴とする。スタッフの一人ひとりがスマホで利用でき、スムーズな情報共有を行えるのも利点だ。

人手不足やデジタル化の遅れなど、従前から課題の多かった外食・小売業界。ここに目をつけ勝負してきたKMWは、サービス開始以来、順調に顧客企業を開拓してきた。現在はオオゼキ、ドトールコーヒー、イオン系のスーパーマーケットなどの大手でも導入が進む。

だが、ここへ来て一気に風向きが変わった。休業要請で店を開けられない企業はもちろんのこと、開店している企業も目先の対応が優先で、新しいツールを導入・運用する余裕がないためだ。「新型コロナの影響はある程度出ることを想定していたが、思った以上だった」(染谷氏)。

他方、新年度からの新規導入を見据え、関連する部門の人材採用は前もって行っていた。見込んでいた売り上げが立たない中でも、費用だけは先行してしまう。

折しもKMWは昨年末、J-KISS(転換価格調整型新株予約権)という仕組みを活用し資金調達を行ったばかり(調達額、調達先は非公開)。J-KISSは、一時的にはバリュエーション(企業価値の算定)をせずに資金調達を行える、創業期のベンチャーにとって便利な手段だ。

ただし、ここで資金を出した投資家にとっての“うま味”は、次の資金調達時にKMWの企業価値が上がることで初めて見えてくる。つまり、新型コロナを機に経営が行き詰まって企業価値が下がる、いわゆるダウンラウンドとなってしまえば、投資家の期待を大きく裏切ることとなり、この先、資金の出し手がいなくなってしまう可能性がある。

トップダウンで決断したコスト削減

従来どおりの方法で成長を目指せない中、どう企業価値を上げるのか。染谷氏はまず、大胆なコストカットに着手した。社内に打ち出した「残す・削る」の見極め基準は4点。「何らかの収益に結びついているコストか」「定性的な果実(ブランド形成等)に結びついているコストか」「将来の成長に結びつくコストか」、そして全体に関わる方針として「削減コストを抽出・精査するために膨大な時間を使わない」というものだ。


大胆なコストカットを断行したKMWの染谷氏。トップダウンの大きな決断だった(撮影:梅谷秀司)

この方針に照らし、名刺情報管理・共有ツールなど「あったら便利」という類いのサービスは、コロナ影響の兆候が見え始めた2月には軒並み解約した。社員はすでに全員リモートワークに移行しており、東京都港区に構えるオフィスもこの夏をメドに解約する。新卒・中途の人員採用も全面的にストップしている。

一方で、見込み顧客の紹介窓口という役割も担っている顧問との契約・支払いは、「売り上げに結びついているコスト」であるため、減額には応じてもらったものの継続することとした。また、ホームページでの発信力強化やオンラインも含めた顧客イベントの実施なども、対外的なメッセージ発信で「ブランド形成に結びつくコスト」と位置づけ、引き続き手を緩めずに投下していく方針だ。

こうした判断について染谷氏は、「マネジャークラスのメンバーにも意向は一切聞かず、すべてトップダウンで行った」と語る。結果として、削減のメドが立ったコストは年間8000万円に上った。「ここまでやったことで、初めて社員に危機感が伝わった。全社的にモードが変わったように思う」(染谷氏)。

KMWにとってもう1つ大きな課題は、売上高をどう確保するかだ。新規顧客の取り込みはもちろん、既存顧客の離反も防がなければならない。そこで染谷氏が取った策が、サービスの打ち出し方の転換だ。

「これまでは店頭で働く方の負担軽減ややりがいの向上を前面に出して提案していた。でもそのメッセージでは、新型コロナの影響で死活問題に陥っているような外食・小売企業には響かない。そこでもっと明確に店舗経営のコスト削減効果を示す、具体的には1店舗1店長から3店舗1店長の体制への移行を可能にするツールですよと説明する形に変えた」(染谷氏)

予断を許さない状況が続く

これに加え、新機能の開発も急ぐ。まずは防犯カメラ関連のソリューション開発を行う企業と提携し、店舗内の状況を遠隔で確認できるようにするほか、その動画や画像をデータ化できる仕組みの提供に向け準備中だ。

5月中には一部導入先店舗での実証実験を開始する。従来の店舗作業の効率化だけでなく、アルバイトの体温測定や外食のテイクアウトに関わる情報分析や業務フロー改善にも対応することも構想している。

こうした転換が奏功し、足元で「はたLuck」関連の新規商談件数は大幅に増えているという。既存先の解約も、コロナ影響で売上高が従前の1割にまで落ち込んでしまった外食1社のみにとどまっている。

とはいえ染谷氏は、この状況を楽観視していない。「まだ予断を許さない状況。今後もコロナ危機下で生き残れるだけの明確な事業計画の策定と実行をし続けることが重要だ。 約束と実行が信頼を生む。それをし続けなければ、投資家は納得してお金を出してくれない」(染谷氏)。

既存事業の強みを生かしつつも、まったく別のサービスを作り、新しい顧客を開拓しようとするベンチャーもある。バーチャルユーチューバー(Vチューバー)のライブイベントなどを手がけるバルスがその1社だ。

バルスは自社で抱える専用スタジオでVチューバーの動画コンテンツを作成しユーチューブやVR端末向けに配信したり、映画館などに集めたユーザーに向けてのライブ配信イベントを行ったりといった事業を収益源としてきた。だが新型コロナの影響で、まずユーザーを一堂に集めるイベントを延期せざるをえなくなり、チケット販売や現地でのグッズ販売による収入が激減している。


Vチューバーのライブイベントで培ったノウハウをサービス化し外販へ(写真:バルス)

続いて、一定人数を狭い現場に集めることになるスタジオの使用も、必要最低限に自粛することとなった。現在は全社的にリモートワークを基本としており、イベント関連は緊急事態宣言解除後を見据えた準備などしか行っていない。全社の売上高は新型コロナ以前の半分程度まで落ち込んでいる。

こうした状況を打開すべく同社が乗り出したのが、有料ビジネスセミナーを行う企業向けの配信サポートだ。Vチューバーイベントの背景の仕組みとして自社開発したものをプラットフォーム化し、今急速に開催が増えているオンラインでのビジネスセミナーに外販しようというものだ。

求められる外部環境への俊敏な適応力

一般向けの配信ツールには現状、セキュリティ面の不安や、チケット販売等の決済、ログイン認証など機能面の不足がある。また、チケット販売は「Peatix」、配信は「YouTube」というように必要な機能が複数ツールにまたがることで、「管理コストが上がるだけでなく、ユーザーを1つのIDで認識できず“ファン化”するためのマーケティングも行いにくい」(バルスの林範和CEO)。

同社の提供する仕組みはチケットの購入・決済、チケットのもぎり(入場管理)、紹介商材の物販(EC)、配信、コメント・アンケート収集といった、ライブイベントに関わる全工程を一括管理・運用できる点をアピールする。

5月中は初期費用(ページ作成費用)の無料キャンペーンを行うほか、イベント実施まで最短1日での対応も行い、認知度向上に徹する。その後は月額課金や、セミナーで上がった収益に応じたレベニューシェアを行う事業モデルの構築を目指す。


コロナショックに直面した企業の最新動向を東洋経済記者がリポート。上の画像をクリックすると特集一覧にジャンプします

ビジネス系ではないものの、都内のライブハウスによる配信や、BS-TBSと作家集団・クリエイティブボードが運営するリモート配信劇場「うち劇」などへ同プラットフォームの提供が始まっている。

もちろん、バルスとしてVチューバーの事業をあきらめたわけではない。だが、「短期的にはリアルなエンタメ産業の多くが休止となる中、ユーザーや投資家に振り向いてもらうには、目の前の社会課題にマッチする事業で存在感を示すことも必要」(林氏)。急変する外部環境への俊敏な適応力が企業の生死を分かつ――。世界が未曽有の危機に見舞われる今、これはベンチャーに限ったことではないだろう。