元DeNA投手の水野滉也さん【写真;宮内宏哉】

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16年ドラフト2位の水野滉也さん、昨年戦力外となり1月に会社設立

 プロ野球、戦力外通告。昨年も102人の選手が通告を受け、多くがユニホームを脱いだ。セカンドキャリアに悩む者も少なくない中、大きな希望を胸に秘め、異例の転身を遂げた男がいる。元DeNA投手の水野滉也さんだ。2016年のドラフト2位右腕は駆け出しの“社長”として奮闘中。「THE ANSWER」は水野さんの野球人生から起業に至るまで、前後編でお届けする。前編は、奮闘中のセカンドキャリアについて。

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 スタイリッシュなジャケットに、きっちりセットされた黒髪。どこから見ても立派な社会人だが、ガッチリした体つきにプロ野球選手の面影が残っていた。都内でインタビューに応じてくれたのは、元DeNA投手の水野さん。株式会社「BOUKEN(ボウケン)」を設立した25歳、駆け出しの“社長”だ。名刺には、代表取締役と記載しているが「CEOもかっこいいですよね」と初々しく笑った。

 現役時代はサイドから最速147キロをマーク。ドラフト1位の濱口遥大投手らとともに入団したDeNAでは、右肩、右肘の故障に泣いたが、プロ1年目の5月に初登板初先発した有望株だった。「(トレーニングは)全くしていません(笑)。したいと思っているんですけど、ちょっと落ち着いてうまく時間ができてから行こうかなと」と多忙な日々を送っている。一体、どんな事業を手掛けているのか。

「個人や法人の夢とか活動、イベントを支えて行くことを目指して、クラウドファウンディングのサイトと会社を設立しています。会社経営ですが、今は僕1人で行っていて、今後どうなるかわからないですけど、人を雇えるほどになっていければいいと思っています」

 2019年シーズン後に戦力外通告を受け、現役生活はわずか3年ながら引退を決断。今年1月29日に会社を設立し、運営サイトは3月下旬の立ち上げを目標としている。「人生を冒険と見立てて、僕が支えると決めた。素直に入ってくるように」とサイト名も「BOUKEN」に決めた。

 戦力外からいきなり起業して経営者になるケースは、あまりない。ただ、そこまで不安はなかった。「ベイスターズの寮生は税金の話などのセミナーをいろいろと開催してもらえるんです。栄養指導とかも含めて、大学の科目みたいな感じで朝にいろいろやってもらえる。DeNAの取り組みがありがたかった」。球団の先輩で2017年に引退した元投手、小杉陽太氏が引退後1か月足らずで株式会社「l’unipue(リュニック)」の社長となるなど、前例があったのも大きかった。

資金繰りには一切困らず「銀行の融資とかは全く考えなかった」

 とはいえ「野球しかやってこなかった」という本人からすると、未体験のことばかり。「全く別の業界、世界に飛び込む不安だったり、パソコンの使い方にしろ、ネット業界の言葉にしろ、わからないことだらけでした。苦戦しましたし、今でも不安なこともありますが、いろいろな方に支えられて成り立っています」。起業を支援しているのが、会計ソフトのサービスなどで知られるfreee株式会社だ。昨年11月にNPB選手会を経由して紹介を受け、「会社設立freee」のサービスにより、必要な手続きのサポートを受けている。

 がらりと変わった生活に慣れるのにも必死だ。「(球団の)寮の時は『朝何時にご飯を食べないと罰金』とかがあったけど、それがなくなってしまって、今は何も決められていない。人生初の一人暮らしなので……自由なのはいいなと思うんですけど、今まで規則正しい生活をしてきたので、不安になりますね」と頭をかく。サイトが完成するまでの時間を有効活用するため、朝から勉強会、異業種交流会などに参加し、自己研鑽に励んでいる。

 一方で、資金繰りの問題はなかった。「予算内でできるなという計算もあったし、銀行の融資とかは全く考えなかった」。DeNAとの契約金7000万円は、実家と自身の車の費用に充てた以外、手を付けなかった。東海大北海道時代はアルバイト禁止で月のお小遣いは約2万円。寮生活もプロが初めてだったため「いきなりプロになって金銭感覚が狂ってしまう」と危惧。契約金は銀行員の父に預け、年俸も毎月20万だけ自身の口座に振り込まれるようにして、残りは別の口座で父に管理を任せていた。

 全幅の信頼を置いている父の教えで、今も大事にしていることがある。「プロ野球が終わってからの人生の方が絶対に長いから、人とのつながりを大切にしておけよ」。ドラフト指名を受けてから、会うたびに言われてきた言葉だ。3年間のプロ生活は、大部分が怪我との闘いだった。だからこそ「ずっと思っていたし、頭によぎっていた」。新入団選手発表会では、色紙に「謙虚」としたためた。父の金言を反映させたものだ。

「僕は人とのご縁で今後も人生は成り立っていくと思う。謙虚さは心の中で絶対に思っていること」

北海道胆振東部地震が事業のきっかけ「見ていなかったらやっていないかも」

 クラウドファウンディングを事業とするきっかけは、偶然なものだった。プロ3年目の2019年。何気なく見ていたSNSのタイムラインで、目を引く投稿に指が止まった。地元・北海道で1年前に発生した北海道胆振東部地震。震源地の少年野球チームはまだ練習場が確保できておらず、クラウドファウンディングで資金集めを試みていた。

 地震発生当時のことが蘇ってきた。2018年9月6日午前3時。最大震度7の地震に、札幌の実家も揺れた。家族のLINEグループでも「大丈夫か」というやり取りであふれた。シーズン中、できることは何か。すぐにYahoo!基金で支援をし、自身のツイッターでも呼び掛けた。オフに震源から少し離れた札幌に帰省すると、道路のコンクリートが割れているなど大きな被害を目の当たりにした。

 それから1年が経過しても、練習場がない子供達がいることに驚くとともに、クラウドファウンディングで幅広く支援ができることを知って感銘を受けた。

「これなら僕でも支援できるんじゃないかと思った。たまたまそれを見たのが大きかった。それを見ていなかったらやっていないかもしれない」

 人々の夢を支えるという大きな目標へ歩み始めた水野さん。「会社としてまずは成り立たせることが重要。僕が目立ったところで成功するものではない。どちらかといえば影になって、人々の支えになることができれば。会社を大きくして、今ある(クラウドファウンディングの)企業と並ぶような大きなものにできれば、多くの人を支えられると思う。そこを目指して日々勉強していきたい」。第2の人生を、しっかり歩み始めている。

(後編へ続く)(THE ANSWER編集部・宮内 宏哉 / Hiroya Miyauchi)