10月に福島原発を視察した小泉進次郎環境相は、海洋放出による地元漁業者への影響を懸念する一方、具体策の言及は避けた

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 福島第一原発事故では膨大な汚染水が発生し続けている。事故から8年以上がたち、保管するタンク容量の限界を見据えた国の「海洋放出」発言が相次ぐ。

【写真】汚染土が山積みされた場所のすぐ横にある農作業場も

 しかし、放射性物質を取り除く処理をした「トリチウム水」「処理水」と国が呼ぶ水は、実際はトリチウムのほかにも複数の放射性物質で基準(告示濃度)を超えていたことが昨年8月、報道により判明。ストロンチウム90が基準の2万倍になるタンク群もあるが、そのままの状態で置かれているため、現状では「放射能汚染水」のままだ。

「食の安全のための努力が台無しだ」

「もとの海を返してほしい。漁業者は誰ひとり、納得していない」

 そう語気を強めるのは、福島県新地町に住む小野春雄さん。3代続く漁師で、息子たちも漁業を営む。原発事故後に福島県の42魚種(最大時)が出荷制限となり、週5回だった漁に出られなくなった。その後、福島県沖の沿岸漁業は「試験操業」を続け、福島県漁連は国の基準値(100ベクレル/キログラム)より厳しい50ベクレル/キログラムを基準に調査を続けてきた。

 最近は多くの魚種の出荷制限が解除され、ビノスガイとコモンカスベの2魚種のみ制限が残る。小野さんが漁に出る頻度も週3回に増え、魚の値段も少しずつ上がり、本格操業に向けて期待が膨らむ。その矢先の海洋放出騒ぎだった。

「お母さんたちが福島の魚を買わないと福島の復興はない」(小野さん)

 仲間の漁師からは「妻が子どもから隠して魚を料理していた」と耳にしたこともある。見れば食べたがるからだが、できる限り子どもの被ばくは避けたい。小野さんは「安心・安全は国ではなく国民が決めること。食の安全のために8年以上努力したことが、汚染水を放水すればすべて台無しだ」と、怒りをにじませる。

 汚染水を海洋放出する場合、ストロンチウムなどの放射性物質を取り除く2次処理を行い、除去が難しいトリチウムだけが残る「処理水」にするという。トリチウムは「体内に入ってもすぐ排出される」「ほかの放射性物質に比べ毒性が弱い」「通常運転の原発からも排出されている」「世界中でやっている」から安全と言われている。

 だが、それを否定する学説もある。北海道がんセンター名誉院長の西尾正道さんは「稼働中に原発から排出されるトリチウムでも、がん・白血病などの健康被害の増加を示した研究が世界中にある」と指摘する。

 一方、先月18日に、経産省が海洋放出しても「放射線の影響は小さい」とする推計を出すと、産経新聞は同21日、「原発処理水 海洋放出の具体化に動け」と題したコラムを掲載した。

「東京で使う電気のせいで、おれらは働く場所を取られたんだ。これ以上、福島をいじめないでくれ、だよ。みんなで海洋放出に反対してほしい」(小野さん)

 漁師仲間から「子どもには継がせない」と聞くたびにがっかりして「息子らに継がせてよかったのか」と、小野さんは悩んでいる。

「人は健康を害して、初めてその大切さを知る。命と健康を守る視点を持つ女性から声をあげてほしい」

 と、前出・西尾さんも海洋放出に反対する。

人の手が入らない野生の食材はいまも基準値を超える

「朝6時に15センチの霜柱を見て、その日の10時には、沼でおたまじゃくしを見かけるような朝晩の寒暖差が野菜をおいしくするんです。土作りには表土1センチに10年かけ、稲わらを酪農・畜産農家に提供し堆肥を作ってもらったり、山の落ち葉からふかふかの腐葉土を作ったり。飯舘村はそういうところだった」

 そう話すのは、飯舘村に住む伊藤延由さん。地域の環境や食品の放射能の測定を続けている。

 飯舘村は'17年に長泥地区を除いた地域で避難指示が解除され、農地は表土をはがして除染された。営農も再開し、放射性セシウムの吸収を抑制するカリウムを畑に撒くなどの生産者の努力もあり、測ると、ほとんどの農作物には放射能は含まれていないという。

「基準値以下の数値を、どう判断するかはそれぞれだけど、野菜からはほぼ出ない」(伊藤さん)

 道の駅には飯舘村産の野菜が並び、出入り口には非破壊放射能検査機も設置されている。伊藤さんは「こんなものが道の駅にあるのは、ここと隣の町くらいだそうです」と苦笑いしつつ「それでも、ここに住む以上、必要なもの」と言う。

 事故後、飯舘村内の土壌汚染を調べ続け、その深刻さを知っていたため避難指示の解除に反対していた。いまも「本来は住むべきではない」と考えている。

 そんな伊藤さんは、内部被ばくをした経験がある。'17年7月、事故から6年後に、定期的に二本松市放射線被ばく測定センターで測定しているホールボディカウンター(体内放射能の測定器)の結果で、数値が跳ね上がったのだ。驚いて、原因を考えた。ふと、2か月前に猪苗代町で食べた「山菜ご飯」を思い出す。その山菜はコシアブラ。汚染濃度が高いと知りつつ「このくらいなら大丈夫かな」と食べたそうだ。

 伊藤さんが過去に測定したコシアブラの中には、'15年に27万ベクレル/キログラムを超えたものがあった。それに近い汚染濃度のコシアブラが茶碗に10gもあったとすれば、2か月後の測定で数値が上昇したのも腑に落ちる。きのこや山菜など、人の手が入らない野生の食材はいまも基準値を超える、と伊藤さんは懸念する。

 住民が被ばくリスクの知識を得て語り合うことが大事だと、伊藤さんは測定を続けてきた。だが、「まるであの事故の放射性物質は無害だと国も自治体も言わんばかり。危険とは絶対に言わない」と訝しく思う。

「村のお知らせでは“野生のきのこは食べないで”とは書かれていますが、“食べるとどうなるのか”までは書かない。細かく情報提供しなくては、人々は注意しません」(伊藤さん)

台風で移動するホットスポット

 '17年春には、福島県の避難指示区域の3分の2が解除された。伊藤さんをはじめ、帰還政策に反対した住民は少なくない。避難指示解除に伴う住民説明会では、いくつかの町で「ダム底にたまった放射性物質が台風などで攪拌されるのでは?」との声が住民からあがっていた。実際、ダム底の土砂から数千〜数十万ベクレル/キログラムが検出されている。

 台風15号、19号、21号は、洪水・土砂崩れなどを引き起こし、福島県も大きな被害に見舞われた。楢葉町では、台風19号が通過した10月13日から水道水の濁りが発生、飲用は控えるよう広報され、飲料水が配布された。当然、「ダムの放射性物質は大丈夫か」と考えた住民もいた。なかには安全性を懸念してペットボトルの水を買い続ける人もいるほど、水の安全は住民にとって大切な問題だ。

 双葉地方水道企業団は「飲用基準の濁度(濁りの程度)は2度だが、台風の影響で5度ほどの濁度があり、飲用を控えてもらった」と説明。幸い、台風後の水道水から放射性セシウムは検出されなかった。検査結果は水道企業団のホームページで公表したが、ネットに不慣れな人には届きにくい情報だ。

 台風の影響はまだある。山の落ち葉や木の枝が流されたのに伴い、放射能汚染は移動していた。『国際環境NGOグリーンピース・ジャパン』は、台風19号に見舞われた直後の10月16日から11月5日まで、福島県の放射線量調査を実施(来年3月にホームページで公開予定)。

 山林は除染されていないため、流れた枝葉に付着した泥の影響か、新しくできた吹きだまりの放射線量が高かった。調査に参加したエネルギー担当の鈴木かずえさんは、「乾いた泥のまきあがりに注意してほしい」と語る。

 なかでも三方が藪に囲まれた浪江町苅野小学校は、避難指示解除された地域。除染ずみの道路脇を計測すると、放射線量は地表10センチで毎時2・2マイクロシーベルトと、事故前の約50倍だった。児童数が足りず閉鎖中とはいえ、以前の測定では存在しなかったホットスポット(周囲に比べ放射線量が相対的に高い場所)が新たに見つかったことは、見過ごせない。

 グリーンピース・ジャパンでは原発事故後、海洋汚染の調査も続け、汚染水海洋放出反対の署名も行っている(12月9日まで)。鈴木さんは、これまでの測定結果から「移動のメカニズムは解明されておらず、偶発的に汚染度が高まる可能性は今後もゼロではない」と、海と陸のホットスポットの移動を懸念する。

原子力災害のなかで暮らすということ

 原発事故後は、放射線量の測定が必要な暮らしになった。全国約100か所に市民測定所が作られたのは、行政の測定では不十分だったからだ。

 市民団体『みんなのデータサイト』は、全国の測定所による食品・土壌汚染データを統合して公開。それをもとに昨年、『図説 17都県放射能測定マップ+読み解き集』を発行すると、1万6000部が売れた。

 事務局長の小山貴弓さんによると、いま気をつけるべき食材は「山菜、ジビエ、きのこ」と、やはり野生の食品名が返ってきた。イノシシ、鹿、クマなどは、岩手・宮城・山形・福島・新潟・栃木・群馬・茨城・千葉の一部で出荷制限が続いている('19年4月15日、農林水産省発表)。

 書籍は英訳され、海外メディアの取材が相次ぐなか、小山さんは取材者から驚かれることがあると話す。

「食品の放射能検査が国の主導ではなく、自治体任せであること。国の無責任さによく驚かれます。厚労省が発表する数値も自治体から吸い上げたもの。しかも、公表データの8割が牛肉。日常の食卓の内容とかけ離れていて、市民が知りたいデータではないんです」

 例えば、キノコの出荷制限がかかっている地域の中に、検査をしていないため規制なしという自治体が抜け穴のように存在するケースがある。そこだけ汚染されていないとは考えづらいが、厚労省から該当地域へ検査を促すことはない。

 出荷制限の情報の出し方もわかりにくく「ホームページをくまなく調べ、丁寧に分析・解析した人だけへのご褒美のような出し方」と小山さん。出荷制限の情報を扱う厚労省のホームぺージには、トップ画面に「安心・安全」を謳うパンフレットを大きく載せている。

「国がちゃんとやってくれると思う人が多いけれど、残念ながらそうなっていない。だから私たちはデータというファクトで事故の被害を訴えているんです。チェルノブイリでも、事故から10年後くらいに気がゆるみ、人々が汚染の残る食材を食べて体内の放射能濃度が上がったというデータがある。日本でも同じことが起こるのではないかと心配です」(小山さん)

 二本松市の放射線アドバイザーで、新潟県の原発事故検証委員でもある獨協医科大学国際疫学研究室准教授の木村真三さんも警鐘を鳴らす。

「放射能汚染は簡単にはなくならない。隠すのではなく公開することで、対策をとり、安心を得ることが大切です」

 今年9月、静岡県小山町で採れたキノコから基準値を超える放射能が検出された報道があり、原発から300キロ離れた地域でもいまだに汚染は残っていることを木村さんは痛感した。 

台風直後に汚染調査を行ったが、汚染は下流へ流れていくことがわかるものの、どういう動きをするのか専門家でも想像がつかない。長期的な調査が必要と話す。

 海への汚染水放出についても木村さんは反対する。

「トリチウムだから流していいという話ではない。生物濃縮しないという話があるが、それを否定する研究もあります。海の浄化能力に依存しているが、原発を持つ国だけが地球を汚し、多くの国々へ犠牲を強いるのは思い上がりです。ひとたび原発事故が起きると汚染は広がり、時間がたってもなかなか消えない。そのなかで暮らす困難さ、それが原子力災害なんです」

(取材・文/吉田千亜)

吉田千亜 ◎フリーライター。福島第一原発事故が引き起こしたさまざまな問題や、その被害者・被災者を精力的に取材している。近著に『その後の福島 原発事故後を生きる人々』(人文書院)がある