NECやくら寿司が提示した「新卒年収1000万円」が話題を呼んでいる。人事ジャーナリストの溝上憲文氏は、「日本企業ではいまだに年功序列の意識が色濃く残っている。職業経験のない“真っ白”な学生に対する破格待遇への妬(ねた)み嫉(そね)みは避けられないのではないか」と指摘する--。
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■職業経験ゼロの“真っ白”な新卒に年収1000万円

新卒年収がNEC1000万円超、くら寿司1000万円--。

従来の日本企業の常識を越える新卒年収を提示する企業が相次いでいる。ソニーも6月から新入社員に最大730万円を支払う仕組みを導入している。いずれも条件が限定された一部の採用である。

グーグルなど外資系企業ではこうした提示は珍しくないが、あくまで一定の就業スキルや博士号などを持つ専門人材に対する待遇だ。

これまで日本企業は、職業経験のない“真っ白”な学生の潜在能力のみを見て採用してきた。入社後に5〜7年程度の育成期間を設定し、その後の実力で昇給・昇進が決まり、給与差がつくのが普通だ。

ただ、基本的には日本企業の賃金は年功序列と言われるものの、2000年初頭からすでに崩れ始めている。少なくとも30代前半から給与の格差が大きく拡大している。

■30代以降は給与格差が大きいが、育成期間の20代は差がなかった

2012年に産労総合研究所が上場企業約200社を対象に実施した同一企業内の平均給与格差(大卒総合職)を見てみよう(下記はいずれも、諸手当を含む所定内賃金の格差)。

●同一企業内の月給格差(上場企業約200社を対象)
35歳9万8000円
40歳15万円
45歳17万2000円
50歳20万円

賞与を月給の5カ月として計算した年収格差にすると35歳で約167万円、40歳で255万円、50歳で344万円になる。

この格差、従業員規模が大きいほど拡大するのも特徴だ。同調査によれば、1000人以上の企業だと、35歳で月12万4000円、40歳で月24万2000円の格差が発生する。同期入社でもこれだけの格差があるのだ。もはや年功序列とは呼べないかもしれない。

ただし唯一の例外が育成期間中の20代であり、それほど格差がつかないので年功序列と言っていいだろう。そうした日本式の「慣例」の中にあって新卒に1000万円とは破格である。

従業員1000人以上の大企業の電機産業の50歳(大卒総合職、勤続28年)のモデル年収が1006万円(中央労働委員会調査、2018年)。中堅企業であれば部長クラスに相当する年収であり、電機大手の親世代と同じ年収をもらうことになる。

■新人デジタル技術者に1000万円を払わざるをえない理由

はたして採用された社員は1000万円の年収に見合う成果を出せるのだろうか。

長年、人事の現場を取材している筆者としては、同質的な体質が色濃く残る日本的組織の中で、会社が「1000万円新卒」をうまく活用できるか、はなはだ疑問である。

じつはNECなどのIT企業と、くら寿司では採用目的が異なる。順番に「1000万円新卒」がなじむかどうか、検証してみよう。

まず、NECなどのIT企業だ。この分野の企業の人事部が求めているのは、製品化に貢献するAIやデータサイエンスなどの先端のデジタル技術者だ。

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たしかに近年、「デジタル技術者」の市場価値は高まっている。だが、それにしても、なぜ1000万円という高額の報酬を払ってまで新卒を採用するのか。背景には、中途採用人材の枯渇という事情がある。

■通常とは異なる賃金体系で高額報酬を提示する企業

すでに中途採用市場では大企業間で争奪戦が繰り広げられ30代前半で1500万〜2000万円で転職している人も少なくない。大手人材紹介業の社長は「電機、自動車などの日本の大手企業でも優秀なデジタル技術者であれば最低でも1500万円、2000万円の年収を提示してきます。実際に35歳で3000万円の年収で日本の大手企業に転職した人もいます」と語る。

35歳で3000万円という額に驚く読者も多いに違いない。電機や自動車企業に勤務している人の中には「うちにはそんな社員はいないよ」と言うかもしれない。

だが、一般の社員には知られていないカラクリがある。前出の社長はこう語る。

「どの企業も自社の賃金体系の縛りがあり、同じ年代の社員よりはるかに突出した報酬を払うことはできないし、仮にそんなことをすれば必ず社員間で妬みや嫉みなどハレーションが起こります。それを避けるために一般的に2つの方法を使っています。

ひとつはAIやIT事業の別会社や事業グループをつくり、本体とは別の賃金体系で高い給与を支払う。似たような会社をシリコンバレーなど海外に設置している会社もあります。

もうひとつは正社員ではなく、契約社員として雇うやり方です。賃金体系に縛られないので高い報酬が出せます。転職する人は、最初は正社員を希望しますが、契約社員だと高い報酬がもらえるということで契約を選ぶ。若い人はその傾向が強いです。大手に入ったAIのエンジニアでは1年間2000万円、2年契約で入社した人もいます」

中途が多数を占める別会社であれば、本体の社員も知ることができない。また、契約であれば「社員ではないし、われわれと別格の人」という印象を持たれやすく、社員間の妬みも発生しにくいだろう。

■新卒1000万円プレーヤーを誰が育成・指導するのか

ところが、こうした手法での中途採用も限界にきているようだ。前出の社長は「企業の需要に対して中途人材が枯渇しているのが現状。そのため最近はAIやデータサイエンス関係では大学院卒でもいいから取りたいというニーズが増えている」と指摘する。

じつはこうした傾向が今回の「新卒高額報酬」につながっている。

つまり、大手企業としてはできれば高額報酬での中途採用を隠密裏に進め、社員間の軋轢(あつれき)をなくしたかったが、背に腹は代えられず、高年収を提示して新卒採用に踏み切ったというわけである。

ここで話は最初の疑問に戻る。「新人が高額年収に見合う活躍ができるのだろうか」。

NECは2019年10月から年齢に関係なく能力や実績を考慮して決める等級制度を新設するという。これは本人が従事する職務・役割に着目し、同一の役割であれば、年齢に関係なく給与も同じにする欧米流の職務等級制度のことだろう。

本人の潜在能力や年功を基準に決定する日本的な能力等級とは異なる。すでにソニー、日立製作所、パナソニックも似たような制度を導入している。

実際の制度設計においては、等級ごとの職務レベルを定義し、その職務レベルに近い市場価値に合わせて給与を決めていくことになる。だが、実績のある中途採用者は等級の格付けはできるが、22〜25歳の職業実績のない新人の格付けが可能なのだろうか。ましてや1000万円となると、かなり上位の等級になるはずだ。

仮に優秀な学会論文発表の実績から「等級役割をはたす可能性がある」と見なすのはいいが、大学・大学院卒総合職で入社してくる普通コースの新人との職務レベルの違いを合理的に説明できるのかという疑問もある。

■自分より給料の低い上司との軋轢が生まれるのは必至

また、いったい誰が指導・育成をするのか。

育成は技能だけではない。業務の進め方や社員間の仕事の調整、何より職場の風土になじむための人間関係力の向上も含まれる。通常、新人を育成するのは先輩・上司だ。先輩や上司たるゆえんは報酬の序列に基づいている。

本来なら本人(年収1000万円新卒)より上の等級の部長クラスがその任に当たるべきだろうが、そこまでやるだろうか。もし、新人より報酬の低い課長、係長クラスに育成を丸投げしたら、その関係に軋轢が生まれ、育てるどころか、才能を潰してしまうことになりかねない。

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何より問題なのは、職務等級の賃金制度を導入している日本企業でもいまだに適材適所の人事ができていないことである。本来なら等級役割を果たしていない社員は降格させるのが原則だが、多分に年功的要素を残したまま運用している企業も少なくない。

そうした土壌で新卒に高い年収=高い等級を与えれば、下手をすればせっかく採用した優秀な人材が離職してしまうなど極めてリスクが高いだろう。

■くら寿司の「将来の経営人材」に押し寄せる嫉妬心や敵愾心

一方、くら寿司の「年収1000万円新卒募集」の目的は「将来の経営人材」の確保にある。「エグゼクティブ新卒採用」と銘打ち、200人超の通常の新卒採用とは別枠で幹部候補生として10人程度採用する。就業経験のない26歳以下、簿記3級以上、TOEIC800点以上という条件に示されるように同社の海外展開も担う経営人材としての期待もある。

報酬1000万円の内訳は「入社3カ月までは月額42万円を支給、4カ月以降は月額83万5000円を支給。年収は実績をもとに1年ごとに見直す」としている。

同社の通常の大卒・大学院卒総合職の初任給である23万円をはるかに上回るだけではない。同社の平均年収約450万円(平均年齢30.4歳)の2倍以上の報酬を職業経験のない“真っ白”な新人に支給することになる。

2年目以降の報酬は実績をもとに見直すとあるように、おそらく同社のこれまでの賃金体系とは別の運用をするとみられる。注目されるのは誰がどのように実績を評価するのかということだ。

既存の社員が評価するとすれば手厳しい結果になる可能性があり、先のデジタル技術者と同じリスクを抱えることになるかもしれない。

■周囲から妬まれて新卒組の半分が3年以内に辞めた

高額年収のリスクに加えて、最大の課題となるのは、目的である「経営人材」の育成だ。入社後2年間は店舗研修や商品部・購買部など本社の各部門で職場内訓練(OJT)を受けた後、1年間海外研修に参加。研修後は部長職相当の業務を担うというシナリオを描いている。

つまり最短で26歳で部長職に就くことになるが、サラリーマンであれば多かれ少なかれ社内の昇進に関心を持ち、嫉妬心や敵愾(てきがい)心を抱くことも多い。昇進がかかっていれば人の足を引っ張ることを躊躇しないのが世の習いだ。

実際、過去にこんな事例がある。

三洋電機が2002年に新卒を含む「次世代経営職候補」を特別枠で採用した。当初は、30代前半になった段階で関係会社の社長になるという触れ込みだった。

しかし本社から事業部の現場に出された途端、幹部が経営職として受け入れないばかりか、現場の妬みを買い、そのストレスに耐えられずに新卒組の半分が3年以内に辞めたと言われている。その三洋電機も経営不振が続き、2011年にパナソニックの完全子会社になり、事実上消滅している。

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■年収1000万円のプレッシャーに新人は耐えられるか

くら寿司でも同じように現場のOJTをはじめ育成期間中のストレスはかなり強いことが予想される。加えて年収1000万円というプレッシャーもある。

三洋電機を含む日本企業が経営人材の育成に失敗している最大の原因は、経営人材育成の必要性が管理職層に共有されていなかったことにある。そのためそうした育成システムが完備されておらず、現場任せになっていたことにある。

デジタル技術者にも言えることだが、特別な人材として採用・育成する以上、社長ないし担当役員直轄の組織をつくり、成長過程を丁寧にサポートしていくことが欠かせない。そうしないとデジタル人材や経営人材を日本的風土の中で育てるのは極めてハードルが高いといえるだろう。

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溝上 憲文(みぞうえ・のりふみ)
人事ジャーナリスト
1958年、鹿児島県生まれ。明治大学卒。月刊誌、週刊誌記者などを経て、独立。経営、人事、雇用、賃金、年金問題を中心テーマとして活躍。著書に『人事部はここを見ている!』など。
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(人事ジャーナリスト 溝上 憲文)