病気と闘っている患者を支える、「エキスパート患者」とは?(写真:Ushico/PIXTA)

今までの医療では、患者は治療を受ける側、医師や医療者は治療を与える側という、2つの分離する役割意識があった。

患者は無力であり、病気に対して何もできない。患者は医師の指示に従っていればよい――。こんな意識が、医療者の側だけでなく、患者や家族の側にもあったのではないだろうか。しかし、これからの医療には、患者が医療やケアに参加し、その役割を果たしていくことが求められる。

医療・ケアに積極的に参加する理由

その主な理由は、慢性病が増加し主要な疾患となったためだ。がん、高血圧、糖尿病、脂質異常症、肥満などの生活習慣病や難病の増加、高齢者が複数の病気を抱えることが増えているためだ。


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がんも、治療後5年以上生存することが多くなった。治療後の身体状況で生きていくため、あるいは、がんの再発予防のための療養生活をしなくてはならないために、慢性病の1つと考えることができる。

がんや難病は、突然訪れることが多い。それまで健康であることを前提に生活をしてきた人にとって、日常生活の大きな変更を余儀なくされ、変化に対応するための決断が次々に迫られことになる。

だからこそ、現在元気だという人にとっても、病気や健康について、医療の仕組みなどの知識をある程度の準備をしておいたほうがいいだろう。

慢性病は、結核や肺炎などの感染症と違って、多くの場合薬で治癒することはできない。薬で治癒しないからこそ慢性病なのだ。例えば、C型慢性肝炎・肝硬変もかつては典型的な慢性病であったが、副作用が少ない経口薬で治癒してしまう時代が訪れ、治癒した人にとっては慢性病ではなくなった。

治癒することができない慢性病を抱えながら療養生活を送るためには、患者としての主体性と知恵が必要となってくる。そのためには、患者同士の情報の交換が有益となるだろう。医療者は病気を抱えて生活をする知恵を持ち合わせておらず、当事者である患者が持っているからだ。

患者の持っているこのような力を医療に活かそうと、医療チームの中にエキスパート患者(expert patient;熟練患者)を招いて活用する病院が生まれている。『BMJ(英国医師会雑誌)』2019年8月14日号には、ローマ市サン・カミッロ病院多発性硬化症センターで、医療チームの中にエキスパート患者として参加して奮闘するパオラ・クルーガー氏の記事が掲載されている。

クルーガー氏は、次のように述べている。

「エキスパート患者は医療職の仕事を補助するために働くのではない。エキスパート患者という1つの専門家として働いていることを誇りにしている」

医師や看護師にとっても有益

彼女の活動により、患者は不安が少なくなり、医療を受け入れて服薬や治療の開始・継続が可能となり、さらに病気を抱えていながら生きるための勇気と知恵をえているというのだ。また、治験への参加でも、患者の視点からの助言をおこなっている。そして、このことが医師や看護師にとっても有益なものとなっているという。

日本では、医療機関の中で活躍するエキスパート患者はまだ少ないのが現状だ。「環境汚染等から呼吸器病患者を守る会 エパレク」(expert patient in respiratory care)はその1つである。エパレクでは、訓練を受けた熟練の喘息患者が同病の患者初心者を支援し、自己マネジメントできるようになることを目指して活動をしている。

一方、病院の中で活躍する熟練患者は多くはない中で、患者会などにおける患者同士の交流は日本でも活発になってきた。

患者会の活動はさまざまなものがあるが、日本難病・疾病団体協議会(JPA)のホームページには、患者会の役割を次の3つに分類している。

(1)病気を正しく知ること

(2)病気に負けないように

(3)本当の福祉社会を創るために

これらの役割は、今後その比重が時代とともに変遷していくことになると考えられる。以下、それぞれについて解説する。

1、病気を正しく知ること(情報の提供)

インターネットの普及により患者の情報の収集の仕方も大きく変化してきた。単に病気の情報をえることだけが目的ならば、患者会に参加をしなくてもよい時代が訪れている。

一昔前は、自分の病気に関する情報をえようと考えても、一般の人にとって医療の情報をえることは難しかった。とくに、希少病・難病では難しく、患者やその家族にとって、病気に関する情報をえることは絶望的な状況であった。

そのような時代には、患者会へ参加し、患者会の集会や会報誌から得られる情報が貴重なものであった。患者会の存在を知るきっかけも、病気に関する情報を得たいということが大きな部分であった。

しかし、多くの情報がインターネット上で得られるようになり、医療の情報も行政や医療機関、製薬会社など患者会以外のさまざまな組織から得られる。医療情報を得るために患者会に参加するという必要が感じられなくなってきている。今後の患者会の活動は、情報提供以外の部分への移行する、すなわち、患者会の役割が1から、2や3へと比重が移されることになるだろう。

2、病気に負けないように(日常生活に対する支援、情緒的サポート)

慢性病の患者は、病気の症状や障害を抱えながら生活することになる。身体面で大変なだけでなく、勤務することが困難になったり、医療費の出費が増えたりするなど、経済的な困難にも直面する。また、職場や社会から差別や嫌がらせ、ハラスメントを受けることもある。

患者自身、病気になったことを受容することは難しい。病気の受容とは、必ずしも病気が治癒することを完全に諦めることではない。現在持っている症状や状態を前提に、今を生きることが受容である。

しかし、多くの場合、病気と診断されるのは突然の出来事であり、そんな中で病気を受容することは容易ではない。突然失った身体的機能を受容することも難しいし、病気を抱えたことによる環境変化も受容しがたい。悲しみや怒りがこみ上げている。ドクターショッピングを重さねたり、うつ状態になることもある。

患者同士の支え合い

そんなときに役立つのが、同じ症状や病気をもった人からの支えである。同病の人であれば、悲しみや怒りの気持ちに共鳴して聞いてくれるし、うつ状態になっていることにも理解を示してくれる。このように親身になって聞いてくれる人をもつことによって、患者の感情の乱れは癒やされていく。

そして、何よりも大切なことは、エキスパート患者が、病気を抱えた状態を受容し日常生活を送っているよい手本となってくれることだ。病気を抱えて生活することなど考えてもいなかった患者にとって、彼らはよい先輩となってくれる。前述のクルーガー氏も、このような役割を病院の中ではたしている。

同病者によるこのような支援をピアサポートと呼ぶ。ピアとは仲間という意味だ。今後、ピアサポートが患者会の役割の大きな部分になっていくことになるだろう。

病気になったとき、あるいは病気を抱えて悩むときには、このようなピアサポートを求めて患者会にアプローチするときっと役立つだろう。ネット上で検索するとさまざまな患者会がでてくるが、その中から自分の思考法や嗜好に合ったものを見つけることが大切だ。

3、本当の福祉社会を創るために(社会に働きかける)

患者会は社会に働きかけて、福祉社会を創ることにも貢献してきた。例えば、2006年6月に議員立法で成立したがん対策基本法は、患者会からの運動の盛り上がりがもたらした成果である。

それまでは、患者の声は蚊帳の外に置かれて行政が進められてきたが、この法律の成立は、患者の声を医療政策に活かすきっかけとなった。がん対策協議会の中に、患者・家族を委員とすることも明記されることになった。

その後、肝炎対策基本法(2009年12月)、アルコール健康障害対策基本法(2013年12月)、脳卒中・循環器病対策基本法(2018年12月)など次々に病気に対する基本法が成立し、そこで患者会の果たした役割は大きい。とくに、肝炎対策基本法は、患者会によるB型肝炎やC型肝炎の訴訟がもたらした結果でもある。

それ以前の医療は、病気を研究する研究者が有効性を示し、その効果と副作用、経済的効果などを学会が厚労省に提出し認めてもらうことにより保険適用となり、普及するという形をとってきた。しかし、これらの対策基本法では、患者が要求することにより、法律がつくられたことになる。つまり、患者の声が医療に活かされる方向へと動いた結果なのである。

真の患者を中心とする医療には、医療のエンドユーザーである患者の声を活かす仕組み作りが欠かせない。その意味で、これらの対策基本法の成立は社会が新しい医療の仕組みへと一歩を踏み出したことを意味する。このような議員立法だけではなく難病法(難病の患者に対する医療等に関する法律)においても、患者会の声が施策に反映されてきた。

今、病気などない健康な人にとって、このような法律は自分に関係ないものと考えてしまうかもしれない。しかし、病気はいつ襲ってくるかはわからないし、どんな人も病気になる可能性はあるのだ。そのようなときに向けて、先人が奮闘してくれていると考えることも必要だろう。むしろ、患者の声を活かす社会の仕組み作りが創られていることを感謝すべきではないだろうか。

患者会とどのように付き合うことができるのか

患者会の連絡先に電話をしてきて、無料で利用することが当たり前かのように考えている人がいるそうだ。もちろん、患者会での医療相談は無料でおこなわれているのだが、いろいろと教えてあげても感謝の一言もないことにがっかりするそうだ。あるいは、自分が必要な情報だけを聞き出して、それでもう患者会とは関係なしとする人もいる。

患者会を単に利用すべきもの、消費すべきものと考えているためではないだろうか。筆者は、患者会の存在は社会が共有すべき財産と考えている。情報を得るだけであれば、商業的サイトで得ることもいいだろう。それは料金をとったり、宣伝費が含まれているだろう。

しかし、病気を抱えて生きる、本当の福祉社会を創るなどの機能は、患者会だからこそできるものだ。そして、それは消費するものではなく、市民が協働することにより創っていくべきものであり、社会の基盤となる財産だ。医療そのものが、社会の共有財産として、市民が声を上げて育んでいくべきものだ。

そんな意識で市民の方が患者会と付き合い、そして活用してほしいと思う。多くの患者会は、自分自身が病気を持ちながら、同じ病気を持つ患者のためにほとんど無料奉仕で活動しているのが現状だ。元気なときには関心を持てないかもしれないが、真の意味での福祉社会をつくことは、ほかならぬ私たちのためでもあり、市民の役割であるのだ。