「自分は、『スペクタクル主義者』としばしば言われる。でも、負けてもいいなんて考えたことはただの一度もない。プロとして勝負に挑む限り、どんな試合でも結果を求める。それは当然のことだ」

 ヴィッセル神戸を率いていたフアン・マヌエル・リージョは、いつものように熱っぽく話していた。

 リージョが監督に就任して以来、神戸は目に見えて好転していった。チームの士気は高まり、「リージョの下でプレーしたい」という選手もやって来て、着実な成長を続けていた。控え組までもが奮起し、ルヴァンカップではグループステージの首位に立った。

 そしてリージョが”辞任”した後、結果は明らかに悪化している。その事実は、揺るぎようがない。


川崎フロンターレ戦を最後に欠場が続いているアンドレス・イニエスタ

 では、神戸は活路を見出せるか。リージョの言葉から答えを探す――。

「(神戸は)自分たちがボールを持つことによって、アドバンテージを作れる」

 リージョはそう説いている。

「着目すべきは、我々にはアンドレス(・イニエスタ)という唯一無二の選手がいる点だろう。彼はまるで、サッカーそのもののような選手。何が優れている、というレベルではない。チームとして、彼が最高のプレーができるかを突き詰めるべきだろう。まず、ボールが行ったり来たりするような展開にしてはならない。アンドレスを走り回らせても、勝利には結びつかないのだ」

 イニエスタは芸術的なイメージが強いが、実は走れる献身的なMFでもある。1試合平均11〜12kmを走破。Jリーグでも、上位と言える数字だろう。常に正しいポジションを取って、サポートに入れるだけに、必然的に距離が出るのだ。

 しかし、バルサ時代はひとつの真理があった。

<アンドレスが走っている距離が長くなる時はボールが走っていない証拠。バルサのプレーはうまくいっていない>

 イニエスタが無駄に走り回る。それは凶兆だろう。今月で35歳になる彼にとって、肉体的な消耗は想像以上に激しい。走れば走るほど、その肉体は限界を超え、最悪なことにチームは冴えを失う。

 今の神戸にとって、イニエスタ、そしてルーカス・ポドルスキという実力者の順に(ダビド・ビジャは同じく一流選手だが、ストライカーだけにあくまでゴールに集中する必要がある)チームを作るしかない。選手ありき。その基本に回帰するしかないだろう。

「選手がいなければ、サッカーはできない。私自身、プロサッカー選手に敬意を抱いている。子供の頃から、強く憧れていたからね。今でもそれは、少しも変わっていない。選手になったからにはそれだけの能力があるわけで、それに気づいてほしいし、一心不乱にトレーニングへ向かうべきなんだ」

 リージョはそう語っていた。彼は選手に対し、厳しい言葉も投げかける。しかし、戦う姿を見せる選手を、ひとりも見捨てなかった。伊野波雅彦(現横浜FC)のような気むずかしいところのある選手をやる気にさせ、気持ちが切れかかっていたポドルスキを鮮やかに蘇らせた。戦術面の指導だけでなく、サッカーに懸ける熱さが選手を感化し、本来のプレーを取り戻させたのである。

「私は、日本人よりも日本人選手の可能性を信じている。就任当初は、はっきり言って、プレーレベルが低いな、と思う選手がいた。しかし指導をするなかで、彼らはわずかな時間で変わっていった。その成長には、心から驚かされた。感動したんだよ」

 リージョは、嬉しそうに笑っていた。

 ルヴァンカップを挟んで5連敗となった前節の北海道コンサドーレ札幌戦、神戸は敵に蹂躙されるように敗れている。その後、ルヴァンカップで大分トリニータに敗れ、6連敗中だ。

 残酷なもので、リージョの色はすでにほとんど残っていない。リージョ神戸は負ける時も、激しく撃ち合い、迫力のある攻めを見せたが、その気配もなかった。付け焼き刃の4−4−2はまったく機能せず、選手の判断に迷いが見えた。厳しい状況はケガ人を生み、プレーを乱れさせている。

 選手は道標を失っているのだろう。

 しかし、リージョのコンセプトが「選手」にあったのだとすれば――。所属選手は変わっていない。イニエスタ、もしくはポドルスキが旗頭になることで、あるいは日本人の有力選手が立ち上がることによって、少しは流れが変わる。その変化は、活路になり得るだろう。さもなければ、悪い流れに丸ごと引きずり込まれることになる。

 5月12日、神戸は本拠地ノエビアスタジアムでアジア王者、鹿島アントラーズを迎え撃つ。頼みの綱はイニエスタだが、出場する可能性は低いと言われる。ピッチに立つ者が、力を振り絞るしかない。