フィーゴ、レアルへの禁断の移籍を振り返る…運命を変えた2つの会長選

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 元ポルトガル代表のルイス・フィーゴ氏が、自身の経験した禁断の移籍についてコメントした。スペイン紙『マルカ』が13日に伝えている。

 2000年7月、バルセロナに所属していたフィーゴ氏は宿敵であるレアル・マドリードへ6000万ユーロ(今のレートで約76億円)の移籍金で加入した。その後バルセロナ戦で出場したフィーゴ氏にはバルセロナファンから様々なものが投げつけられ、2015年にはFIFA主催のフレンドリーマッチにバルセロナOBとして出場することをクラブ側が拒否するなど現在までも遺恨を残す「禁断の移籍」となった。

 同年夏の出来事についてフィーゴ氏は「私はバルセロナで私生活面でも、スポーツ面でも素晴らしい5年間を過ごしていた。だがあの夏、会長選で(ジョアン・)ガスパールの勝利が濃厚になっていたんだ。私は奴を信用していなかった。そしてそれから事態はより深刻になっていった。レアル・マドリードの会長選に立候補していた1人(フロレンティーノ・ペレス現会長)と私の代理人が合意していたのさ。もし私がレアルと契約しないならばベルナベウのシーズンチケットを払えと言ってきた。だがまだ私はサインしなかった。それは彼の責任だから、私は言葉だけで何にもサインはしていなかった。それからバルセロナ、彼らは金さえ払えば移籍しても良いと言ってきた。ともかくフロレンティーノなど知らなかったがね」と2クラブの会長選が大きく影響したことを明かした。

 その後本当にレアル・マドリードへの移籍が決定することになるが、フィーゴ氏は「私はサルデーニャでバカンスを送っていた。そしてその頃フロレンティーノが会長選に勝利し、代理人と弁護士は私を説得しにサルデーニャへやって来た。それから私はリスボンへ飛び、直接フロレンティーノと会った。そして妻にマドリードへ行くことになったと電話したんだ」と振り返り、「チャンピオンズリーグで優勝してから、新しいアイディアやプロジェクトの中で困難な年を迎えた。リーガを制したことは幸運だったね。そして(ジネディーヌ・)ジダンや(フェルナンド・)イエロといったセンセーショナルな仲間と出会うことになった」と“銀河系軍団”誕生するまでの苦労についても語っている。