カルーセル麻紀×マダム信子の“姉妹”対談 オススメ美容はセロハンテープ!?
すべてにおいてのレジェントであるカルーセル麻紀(75)さんと、スイーツ界のレジェンドを生み出したマダム信子会長(66)。姉妹にしか見えないふたりは、性格もそっくり!? パワフルなことこのうえないレジェンドたちがポンポンと繰り広げる会話は、まるで人生の栄養剤!
マダム信子(以下、信子) 麻紀姉(ねえ)! 会いたかったぁ〜! 相変わらずきれいやねえ。
カルーセル麻紀(以下、麻紀) もう、何言ってんの。近くで見ないでよ〜。いろいろやってるんだからさ。まあ(某有名人の)〇〇さんほどじゃないけどね(笑)。
信子 私たち、よくソックリだって言われるの。似てるでしょう?
麻紀 昔ね、信子が「ウチは大阪のカルーセル麻紀やー!」って、テレビで言ってるのをたまたま見たのよ。それが空き巣に入られて、3億円分の被害に遭ったっていうニュースでね(笑)。最初は「どこの誰よ!」と思ったんだけど、気になって「マダム信子って知ってる?」って聞いたら、みーんな知ってるわけ。それがもう8年くらい前かな。
信子 それからしばらくして、共通の知り合いのパーティーで偶然一緒になって。お互いを見つけるなり、何も言わずに抱き合ったよね(笑)。
麻紀 あのときは生き別れになった妹と再会したみたいな感じだったわよ〜。
信子 麻紀姉は、本当に人間ができてるの。1度、新宿二丁目のゲイバーを貸し切って、私の誕生日会を開いてくれたことがあってね。私のためにシャンソンを歌ってくれて……あまりに感動して、チップを払おうとしたんだけど、断固として受け取らなかった。
麻紀 当たり前じゃない! 主役がなんでお金を払うのよ。
信子 それまで付き合ってきた芸能人の中には、お金でつながろうとしてきた人もいたのよ。でも麻紀姉は違う。愛のある人。しかも、ヒョウ柄を日本に持ち込んでくれた!
麻紀 “持ち込んだ”っておもしろいこと言うわね(笑)。あたしが最初にヒョウ柄に出会ったのは17歳のころだったかな。青森の八戸に遊びに行ったら、たまたまヒョウ柄の生地が売っててね。一目惚れしちゃって、その生地ですぐにドレスとコートを作ったの。それからずっと、「金持ちになったら絶対、本物が欲しい」って思いながら必死で働いた。
で、その数年後にパリに行ったら、サントノーレ通りの毛皮のお店に、本物が置いてあってさ。「これは絶対買う!」って思ったものの、持ち合わせがなくて……。当時はクレジットカードなんてなかったから、慌てて日本の友人に電話して、「金庫に300万円入ってるから、〇月〇日のエールフランスに乗る知り合いにそのお金を渡して持ってきてもらって!」って頼んだわけ。
信子 よくそのお友達も引き受けてくれたなあ。
私がヒョウ柄を「自分の柄!」って決めたのは、水商売を始めたころやから、40年くらい前やね。それ以来、ヒョウ柄でないと安心しないねん。去年、私の自伝『やまない雨はない』が映画化したんやけど、主演の川上麻衣子ちゃんはそれまで黒とかグレーとかしか着なかったけど、私の役をやってからヒョウ柄が好きになったって。“会長のヒョウ柄が伝染した”って言ってたわ(笑)。
麻紀 そう、ヒョウ柄ってうつるのよ(笑)。あたしはアクセサリーもヒョウの形とか大好きよ。おっきいのが好きなの。銀座のクラブで働いてたときにね、お店のママやホステスが意地悪で、小さい宝石とかしてると陰でバカにするの。そのたびに、もっともっと稼ごうって思ったわね。
信子 昔のクラブのママやホステスは意地悪だったねー。私は北新地も銀座も知っているけど、やれあの子の宝石は偽物だの、あのママの帯の締め方は格好悪いだの、そんな悪口ばかり。麻紀姉なんか性別違うし有名人やったしよけい大変やったろ? ホント強いと思うわ。
麻紀 今じゃ戸籍だって本物の“女”ですから!(笑)
そういえば、ゴヤールってブランドあるじゃない? あれもあたしが最初に日本に持ち込んだのよ。45年くらい前になるかな。みんながルイ・ヴィトンに群がってたころにパリでたまたま見かけて、トランクを1個買ったのが最初。「これは素敵」と思って、それから集め出したのよね。昔は布製でさ。今でこそみんなが知ってるけど、昔、泥棒に入られたときには、ゴヤールは盗まれずにそのままだったのよ。コレクションを取材に来た人が“こんなビンテージを持っているなんて!”とビックリしてたわ。
信子 そのゴヤールたち、麻紀姉が亡くなったら今度はウチに置いとくわ(笑)。
甘いものが苦手でもマダムブリュレは別
信子 麻紀姉はほんと、なんでも初よね。日本のレジェンドやね。
麻紀 そんなこと言ったら、あんただってバウムクーヘン界のレジェンドでしょう! あたし、もともと甘い物なんてほとんど食べなかったのに、マダムシンコのバウムクーヘンだけは食べるのよ。
信子 やーん、そんなふうに言ってもらえてうれしいわあ。
麻紀マネージャー ワンホール、麻紀さんがほとんどひとりで食べちゃうんですよ。
麻紀 そうなの。だから太っちゃったら信子のせいよ(笑)。でも、マダムブリュレっておもしろいわよね。初めて食べたのに、なんか懐かしい思いがしたのよ。若いころを思い出すというか。子どものころとか、パリにいたころとか。
信子 でしょう? ブリュレ以外もおすすめよ。私はよく、うちの商品のわらびもちを冷凍しておいて、ゴルフに持って行ってる。ちょうど小腹がすいたくらいに食べるのにちょうどいいんよね。そういえば麻紀姉、ゴルフはやらへんの?
麻紀 昔はやってたけど、60歳くらいのときにやめたのよ。
信子 えー、今度やろう!『マダムシンコのゴル友!』(サンテレビ 毎週月曜23時〜)にも出てほしい! 一緒にウエアも買いに行こう!
麻紀 しかたないわね、可愛い妹の頼みだからやるわよ(笑)。
信子 やったー! おそろいのウエアを着たら、ますます姉妹に見えるわね(笑)。
美容整形よりもセロハンテープがいい!?
―それにしても、おふたりとも変わらずおきれいですが、バウムクーヘンも食べていらっしゃるのに、どうやって体形を維持されているんですか?
信子 バウムクーヘンを買ってくださるみなさんのためにも、きれいにしておかなきゃって思うからね。いつまでも好きな洋服を着たいし。でも忙しくて、ジムとかエステとか行く時間ないから、私は毎晩寝る前に、1時間くらいストレッチしてる。骨盤底筋を締める運動とか、かかとをつけてひざを外に広げるスクワットとかね。
麻紀 あたしはできるだけ、2階に物を忘れてくるようにしてるわね。1度に全部持って1階に下りてしまったらそれで終わりだけど、忘れ物をしたら取りに階段を上らないとでしょう? あと、歯磨きしながらとかコーヒーを淹れながら、片足立ちして腰をひねるストレッチもやってる。
信子 習慣にして、毎日やるのがいいよね。テレビを見てるときとかも、ひざの下から上に向かって手でマッサージしたり、小さいダンベルを持って腕を上下に動かしたり、ながら運動は常に意識してやってる。
―お肌もすごくきれいです。
信子 1年中、日焼け対策をバッチリしてるからね。これだけで肌はほんまに違うよ。あとは寝すぎない!
麻紀 それはあたしも一緒。睡眠は毎日5時間くらいで十分。8時間寝ちゃうとその日は1日ボーッとしちゃうからダメなのよね。
信子 よく食べるのも大事かな。今でも週に3、4回はお肉食べてるし。
麻紀 そんなに? あたしは70歳くらいから肉はあんまり食べられなくなっちゃった。今は2か月に1回くらい。でも、おいしいものを積極的に食べに行くようにしてる。
逆に、安易な美容整形はオススメしないわね。人にすすめられてしわ取りのボトックス注射をしたんだけど、おでこのところがヘンな形になっちゃった。しかたないから、テレビに出る前は顔の皮膚を外側に引っ張ってセロハンテープでとめて、形状記憶させてるんだから。
信子 効果あるん?
麻紀 意外とたるみがなくなるのよ。でもこの前、そのテープをはがし忘れたままテレビに出ちゃって、大失敗(笑)。
信子 うちら似てるから、私も10年後はセロハンテープを貼ることになるんかなあ。うまくできるかしら。
麻紀 大丈夫。そのときは、私が秘策を教えてあげるわよ!
<プロフィール>
カルーセル麻紀(かるーせる・まき)◎1942年、北海道生まれ。本名・平原麻紀。15歳で高校を中退し、札幌の「クラブ・ベラミ」などで働き始める。その後、クラブホステスをしながらテレビや舞台などでも人気を博す。1972年にモロッコで性転換手術を受け、2004年には戸籍上の性別も変更。性的マイノリティータレントの草分けとして、後輩たちには「ボス」と呼ばれ慕われ続けている。
マダム信子(まだむ・しんこ)◎1951年、島根県生まれ。本名・川村信子。数か月待ちも珍しくない「マダムブリュレ」を生み出した、カウカウフードシステム会長。幼少のころの貧困を乗り越え、20歳で飲食店経営をスタートさせ、銀座のクラブのオーナーママ、焼き肉店経営を経て、現在の会社を設立。
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(構成/千吉良美樹)