さまざまな「女」を演じてきた、安藤サクラの「やさぐれ」の魅力について語る(写真:Emma McIntyre/getty)

「萬平さん!」「萬平さん……」「萬平さん♡」

ヒロインが愛する夫の名を連呼しまくる朝ドラ「まんぷく」(NHK総合)。初めは違和感を覚えていたものの、もうすっかり慣れた。安藤サクラ演じる福子は、夫の才能を信じ、精神的にも経済的にも支えて、身を粉にして尽くす優秀な妻である。そもそも彼女がこの手の「昔気質な滅私の女」を演じることに疑問を抱いていた。

奥田瑛二と安藤和津の娘として、かなり恵まれた芸能界人生を歩き始めたサクラ。映画に多く出演し、主演作も多数ある。期待されてきたのは、脱ぎっぷりのよさと心の闇。あるいは底辺と狂気の二刀流。新興宗教や反社会勢力が似合うただずまいでもある。小綺麗に着飾ってお膳立てされた舞台ではなく、いかにやさぐれるか、いかに背負わされるかを主戦場にしてきた強みがある。

だから、朝の顔になって、「ああ、私の好きなやさぐれサクラが封印されてしまうのか」とまで思っていたのだ。

「容貌を武器にしない」独自路線

女優界には「容貌重視の着せ替え人形で、人生勝ち組の女しか演じられない」人材が多い。たいていが大きい事務所所属、いつまでも若さと美しさしか報じられない気の毒な女優が多い中、サクラは異なる路線で生きてきた。演じることができる役柄の「増幅」が大きく、今や映画界だけでなくドラマ界も席巻。この幅と流れについて、勝手に検証してみたい。

つねに完璧なスタイルでハイブランドに身を包み、高飛車に振る舞い、周囲を巻き込みつつ何事も解決に導くデキる女、なんてイメージは一切ない。逆だ。サクラは美しく見せようなんてこれっぽっちも考えていない。アイデンティティからして違う。

くたびれたTシャツを無造作に着た猫背に、つっかけサンダルがよく似合う。世の中に対して斜に構え、不幸と不運を呪う。実際、社会にものすごく傷つけられてもいる。隙あらば文句を言う。揚げ足も取る。なんなら友人の男も寝取る。人間関係に波風立てて、開き直ることもある。やさぐれ、あばずれ、文句たれ。それでも、したたかに生き抜く女の代表格が、サクラだった。

例えば、映画『その夜の侍』では、やさぐれているが陽気でぶっとんだホテトル嬢役が印象的だった。妻の死からいつまでも抜け出せない主人公(堺雅人)と対照的な立ち位置である。また、『クヒオ大佐』では同僚女性(満島ひかり)の彼氏を寝取るはすっぱな女役を、『娚の一生』では不倫で傷ついたヒロイン(榮倉奈々)の友人で、コロコロと意見が変わる「世間」を暗喩するような役でもあった。

サクラが脇役として出ると、「色を添える」ではなく「墨を添える」感覚がある。善人や正しい人ではないからこそのリアリティが、じゅっと脳裏に焼き付けられるのだと思う。

超短期間で体を絞ったことが話題になった主演作『百円の恋』では、引きこもりニートからボクサーに変身する不器用な女を演じ切った。あまり賢くはない女が、ろくでなしのボクサー(新井浩文)に恋をする。ひとつの作品の中で「愚鈍と俊敏」の両極端を見事に体現。圧巻だった。

かつては好感度も高くなかった

今やCMにも引っ張りだこの人気者ではあるが、一般的に、好感度が高いタイプの女優ではなかったのも確かだ。口の中に綿を詰めたかのような話し方にやや鼻濁音調の声、眉間が広くて決してイマドキの顔ではない。「突拍子もない無邪気さがいかにも甘っちょろい2世芸能人っぽくて苦手だ」という女性も私の周りにいた。ま、そこは十人十色ということで。

私は劇中のやさぐれサクラが好物だ。脱ぎっぷりとやさぐれで言えば、同じ類の尾野真千子も好きだし、脱ぎっぷりに気骨ある2世芸能人の類で言えば、寺島しのぶも好きだ。ただし、テレビドラマ界は制限や自粛に忖度だらけ。彼女たちの持ち味は「個性派」「実力派」の一言で片付けられて、活かされない。見たいサクラは映画で見るしかない。一時期、テアトル新宿でサクラ作品ばかり見に行った記憶がある。それくらい諦めていた。

ところが、だ。サクラのドラマ街道を切り拓いたのは、やはりというか案の定というか、みなさまのNHKだった。

今じゃ懐かしい響きとなったワンセグ。NHKが2010年にワンセグ2で放送(Eテレでも再放送)していたのが、柘植文(つげ あや)の漫画原作『野田ともうします。』のドラマ版だ。主演は江口のりこ。地味で実直だが好奇心旺盛な女子大生・野田さんが繰り広げるキャンパスライフを描くショートドラマで、サクラは野田さんの所属する手影絵サークルの部長を演じた。

原作と見比べてほしいのだが、江口も安藤もそのまんま! ここまで原作に忠実で絶妙なキャスティングはほかに見たことがない。当時、まだダークサイド傾向の強い安藤をしれっと起用したNHKに盛大な拍手を送った覚えがある。

朝ドラ「まんぷく」の原点

で、サクラの一般人化を試みた後、原点に戻った主演作「ママゴト」(2016年)を用意したのもNHKだ。同作の舞台は中国地方の田舎町にあるスナック。赤別珍のソファー席に、タバコのヤニでけぶる壁と天井。2階に住居はあるが、酔いつぶれて寝るだけの部屋で荒れ放題。絵に描いたようなスナックママのやさぐれ生活。それがサクラである。

タバコを片時も離さず、秋波を送りつつも常連客をあしらう、手練れな夜の女感。あけすけなだらしなさと妙な色気を醸し出すも、悲惨な過去も背負っている。10代の頃に風俗で働き、妊娠・出産したものの、貧困から抜け出せず、幼いわが子を真夏の車内で死なせてしまったのだ。

正義を振りかざす女性警察官に心ない言葉でなじられ、過呼吸になったトラウマも。それでヘビースモーカーになった経緯がある。サクラは風俗時代の同僚(臼田あさ美)の息子(甘えん坊の肥満児)を一時的に預かることになり、物語は「疑似子育て=ママゴト」を軸に思いがけない方向へと広がっていく。

いいドラマだった。セリフも設定もキャストもよかったし、なんといってもサクラの持ち味を活かした作品だった。優しいウソで子どもを包み込む温かさに涙を誘う場面もあれば、女の幸せの定義を考えさせる言葉の応酬もあり。私が見たいサクラ+αのポテンシャルを発揮。不朽の名作だと思う。

もちろん、民放局でもサクラ増幅計画に拍車をかけた作品がいくつかある。おそらく大きな転換は、宮藤官九郎脚本の「ゆとりですがなにか」(日テレ・2016年)ではないか。営業畑で仕事もできる、性欲も主語で語ることができる、でもダメな彼氏(岡田将生)の尻をたたかなければいけない。結局のところは滅私の「おっかさん」にならざるをえない女を演じていた。

もう、これが朝ドラ「まんぷく」の原型と言ってもいい。安藤サクラのおっかさん化・国民的ヒロイン化が完成したわけだ。

安藤サクラがドラマ界にもたらすもの

毎朝、夫を励まし続けるサクラを見て、これはこれで味わいがあると思い始めたし、今はサクラの増幅を喜ばしく思っている。「ヒロインには新人女優を」という長年の伝統を断捨離したNHKの意図も、うっすらわかる。

朝ドラの視聴者層は、新人女優の初々しさや物足りなさ、あるいは突飛な言動に疲れて、脇役の男性俳優を愛でるシフトに入っている。男性俳優のすっぽこな魅力を引き出す、間合いと引き算が手練れなヒロインが必要なのだ。サクラはまさに適役である。

ドラマで見たいのは、きれいに着飾ったセレブ女や変わり者のインテリ女の荒唐無稽で華麗な成功物語だけじゃない。勝ち負けの壇上にもあがらない、あこがれの対象にもならない、歴史にも残らない、金や権力と無縁の日々を淡々と生きている、市井の女も描いてほしい。

そこに必要なのは、両極端を演じられる幅である。富と貧、動と静、愚鈍と俊敏、知性と痴性、寡黙と冗舌、まっとうと狂気。サクラのように両極端を演じられる女優を主演に迎えることで、ドラマにはもっと多様性や新奇性が生まれるはず。

さらには、実力のある俳優を活かす、良質な作品が求められる時代になっていくと思いたい。演技力のある俳優が映画や有料放送ばかりに出るようになるのは、数字と世間を気にしすぎるテレビドラマ界の落ち度であり失態だ。

なんつって、エラそうにテレビドラマ界の構造まで持ち出して、サクラにいろいろと背負わせすぎちゃったが、たぶん彼女は背負って踏ん張って立つことができる人だから。「まんぷく」収録も無事終えたようだし、ちょっと休んでから、またテレビドラマでがっつがつやさぐれてほしいな。