そこからの動きは迅速かつ的確だった。現役時代さながらの情報処理能力と決断力で、チーム改革に乗り出したのだ。

 7月になると宮本はJ3での指揮に専念するため、トップチームの練習に参加していなかった。試合もシーズン当初からスタンド上部に陣取って戦況を見守っていた。あるいはこれが、奏功したのかもしれない。前政権からなにを継続させ、どこに改善ポイントを見出すのか。先を見据えながらの強化がスタートした。

「まずは、守備から。上から試合を観ているかぎり、ちょっと守備の部分のルーズさが目立っていましたから。前線から中盤にかけて連動するところでの決まり事や約束事を、しっかり与えていく。そうすればスムーズになるという考えではいました。攻撃もポジショニングがどうかなという部分があって、良く言えば自由なんやけど、規律のなさがありましたね。自分が監督なら改善すべきだなと、思い描きながら観てはいました。ベースは残しながら細かいところに手を加えていく。そんなイメージでしたね」
 報道陣もファンもすべてシャットアウトの非公開練習をみっちりこなした。そして迎えた5日後の第18節、鹿島アントラーズ戦。宮本新監督への期待感もあいまって、ホームゲームには2万8000人を超える大観衆が集まった。宮本は「感動的で熱狂的な光景が広がっていた。彼らを悲しませるようなことがあってはいけない。かならず結果を掴もう!」と檄を飛ばし、選手たちを送り出したという。

 結果は1-1。わずかな期間ながらチームには確かな変化の跡が見て取れた。

 合言葉は「ハードワーク」だ。

 それまでどこかサボりがちだったファン・ウィジョやアデミウソンにも繰り返しビデオを見せて説明し、前線からのチェイシングの重要性を理解させた。選手起用でも、象徴的な若手を先発に抜擢登用している。2年目の高宇洋だ。市立船橋高校卒のダイナモは、宮本がU-23チームで手塩にかけて才能を育んだ秘蔵っ子。90分間を通してタフに闘うヤングタレントを起用することでチームにひとつのメッセージを発信し、刺激を与えるのも狙いだった。

「ヤン(高)を使おうと思ったのは、やっぱり中盤の守備のところに物足りなさを感じていたからで、競争を促進したいという考えもありました。それぞれの選手が特長を出してピッチ上で輝くのが一番。でもその前提というかベースとして、ハードワークを求める。守備の約束を守りながら、例えばヤット(遠藤保仁)ならボールを受けて時間を作りながらゲームを組み立てていく。まずなにをやるべきなのかをみんなに伝えました」

 
 采配デビューの鹿島戦を1-1で終えた新生ガンバ。だがその後、思うようにポイントは積み上げられなかった。先制しながらも終盤の土壇場で追いつかれる、決勝点を奪われるというゲームが相次ぎ、就任からの7試合は1勝3分け3敗。第20節の名古屋グランパス戦では2-0から大逆転負けを喫するという屈辱も味わう。誰もが産みの苦しみを体感していた。

 それでもツネ監督は冷静沈着に、状況を見定めていた。
「あの夏の7試合は、ほとんど1か月で集中的に消化しなければならなかった。自分としては普段の練習と試合のなかで、選手の得意、不得意を見極めていた時期。試合が立て続けにあるなかでどう回していくのか、どう乗り切るべきかを考えていましたね。どうしても8月は連戦のため、トレーニングの量をセーブしなければいけない上に、春先から課題として見ていたフィジカルコンデションを上げる時間がない。これは大変やなと思いながらも、ウィジョがいないフロンターレ戦(9月1日/第25節)までの8試合は、耐える時間なんかなと。9月になったらトレーニングの量が増えて、試合も1週間に1回のペースになる。そうなれば戦術的なものとフィジカルのところにもっと踏み込める。当然、最後まで残留争いをする覚悟でいたんで、9月以降の巻き返しに向けたイメージを膨らませていました」