山手線沿線で異色の駅・鶯谷(写真:筆者撮影)

東京の中心をぐるりと囲んでいる山手線。最近は新たなE235系車両が登場し、品川と田町の間には新駅も開業予定。都心の開発が進むことで車窓風景も変化していく。一方で、今も残る昭和の香りや江戸からの歴史あるスポットも点在する。
本稿ではそんな表情豊かな各駅の魅力を、全29駅の散歩ガイド『山手線をゆく、大人の町歩き』から一部抜粋しお届けする。

鶯谷は山手線の駅で一番乗車人員数が少ない駅。この駅は京浜東北線の駅でもあるのだが、日中は快速運転のため、京浜東北線の電車はこの駅を通過してゆく。山手線で次いで乗車人員数が少ないのは私の生まれ育った地元の目白駅。ビリを争う同朋ということで鶯谷駅には勝手に親近感を持っている。

文人たちが清遊した風雅な土地

この鶯谷駅の山手線線路外側は江戸時代から、根岸の里と呼ばれた地域で、「日暮らしの里」=日暮里と隣り合う、文人たちが清遊した風雅な土地だった。

山手線線路内側の崖上には徳川将軍家の菩提寺・寛永寺やその墓地が広がっている一方、線路外側の崖下は現在は見渡す限りのラブホテル街。こんなに聖俗のコントラストがはっきりしている駅前風景は、東京という都市においてもめずらしい。

私が中学生の頃だったと思うが、ラジオの深夜放送で「うぐいすだにミュージックホール」という曲が流行っていた。関西の落語家・笑福亭鶴光が架空のストリップ劇場の司会者に扮して歌いあげる一種のコミックソングだったのだが、私はこの「ミュージックホール」が鶯谷駅周辺に実在するものだと、かなり最近まで思い込んでいた。駅前のラブホテル群や昼間から営業している居酒屋街、生バンドが入っている都内随一のダンスホール「新世紀」の並ぶ街並みの中には、その伝説のストリップ劇場が潜んでいるはずだというある種の幻想を抱いていたのだ。

この駅前のラブホテル街は、上野駅に近い立地のために、かつては、上京してきた出稼ぎや集団就職の人たち向けの旅館街だったとか。しかし時代の変化とともに現在のような風俗街的なものになったということらしい。

J‌R鶯谷駅には崖上側に出る南口と、崖下側に出る北口の2つの改札口がある。その北口改札から駅を出て路地の先の言問通りに出ると、数台の車が客待ちをしているのをよく見かける。ある時、これは吉原のソープランドのお客の送迎車なのだと知った。浅草の北にある吉原という土地は、J‌Rや地下鉄各駅からも離れているので、こんなサービスが定着しているらしい。

そんなラブホテル、ソープという駅前の風俗最前線地帯を乗り越えて言問通りの北側に達すると、ようやく昔ながらの“根岸の里”地域に達する。根岸には江戸時代、明治以降に文人たちが侘び住まいし、富裕な町人たちが別宅を構えた。

言問通りと交差する尾竹橋通りを歩いてゆくと、根岸小学校の向かいには江戸時代から続く豆腐料理の老舗「笹乃雪」の店がある。かなり昔に訪ねたことがあるが、コース仕立てで豆腐料理に次ぐ豆腐料理をいただいた記憶が。1人につき2皿出てくるあんかけ豆腐がこの店の名物。この「笹乃雪」の店は1922(大正11)年の区画整理のときに近くから移転。絹ごし豆腐というものの元祖で、そのなめらかな豆腐は、日暮里・芋坂下の羽二重団子とともに江戸の頃から風流人の好むものだったとか。

正岡子規の住んだ家・子規庵

「笹乃雪」のあたりから日暮里方向に路地を歩いていくと、正岡子規の住んだ家・子規庵がある。子規は1894(明治27)年、この地の旧加賀藩前田家下屋敷の侍長屋だった家に移り住み、8年半後、34歳で亡くなるまで暮した。現在の子規庵は戦災で焼けたものを門人たちが再建したもの。しかしこの子規庵に到達しようとすると、周辺は再びラブホテル街。言問通りを越えたこのあたりまでラブホ街が及んでいたとは。

この子規庵のはす向かいにあるのは書道家・中村不折の旧宅だった書道博物館。そしてそのさらに近くには昭和の爆笑王と言われた落語家・林家三平の記念館の「ねぎし三平堂」がある。私が子どもの頃、三平師匠は「どうもすいません」「身体だけは大事にしてください」といったギャグで大受けしていた。


落語家・林家三平の記念館「ねぎし三平堂」(写真:筆者撮影)

初代三平は、名人と言われた7代目林家正蔵の息子として根岸に生まれ育った。「ねぎし三平堂」にあった年表によると、“下町の学習院”根岸小学校の卒業生。

三平堂の展示はなかなか見ごたえがあり、大量の出演番組の台本、端正な文字で書かれたネタ帳など、爆笑王の意外な几帳面さを知る。

根岸には大正時代末に開設された花柳界もあった。関東大震災後、そして昭和20年代後半には繁昌したそうだが、今はその跡形もない。ただ、メインストリートだった柳通りでは、1925(大正14)年創業の洋食「香味屋」が盛業中。ビーフシチュー、オムライス、メンチカツなどメニューはいずれも老舗の味わい。こんないい店が今も健在ということで、根岸の風流は今にも受け継がれていると感じた。

鶯谷駅のランドマークは

鶯谷駅のランドマークとなっているのは、南口の赤い瓦屋根の可愛らしい駅舎。一昔前まで山手線や中央線にはこの手の瓦屋根駅舎がよく見られたが、今は数少ない存在となってしまった。南口へと続く構内の通路にも、他の山手線駅には失われてしまった昭和の頃の懐かしい雰囲気が残っている。


南口の可愛らしい駅舎(写真:筆者撮影)

ホームの柱は古レールがアーチ状に曲線を描く優雅なデザイン。昭和20年代のこの鶯谷駅ホームの様子を撮影した木村伊兵衛の写真を記憶しているが、木製のベンチに座る少女たちはもんぺ姿。駅名表示は「うぐひすだに」だが、古レール製の柱の曲線は現在と同じだ。

南口駅前に架かる大きな跨線橋は、新坂跨線橋とも凌雲橋とも言われている。橋上からは、上野方向に向かっての310Rという急カーブを一望できて、そこに何本もの列車が同時にやってくることも多く、金網でさえぎられることもなく眺望も開けている。鉄道展望にとってかなりすばらしい条件の場所だ。そしてこの橋は、駅のある高台と坂下の言問通りをつなぐ坂道状になっているので、立ち止まる地点によって変化に富んだ鉄道風景を楽しむこともできる。


特にすばらしいのは、坂下側の橋のたもとにあるエレベーター前からの眺め。ひな壇のように並ぶ線路を、何本もの列車が同時に往き来する場面に出合うと、そのメリーゴーラウンドのような風景にひたすら圧倒される。

山手線に乗っていて、このカーブを通過する時はいつもガラガラ、ゴトゴトという轟音を列車は響かせてゆく。環状運転しているためカーブの多い山手線の線路のなかでも有数の急曲線。カーブ好きの私がつねに通過するのを楽しみにしているグッ鉄ポイントだ。

駅南口から新坂跨線橋の坂道をおりてゆくと、左手に飲み屋街があり、その先がラブホテル街。線路沿いにはなぜか児童公園があり、そこからは駅を通過していく常磐線や東北線の列車が真近に見える。