チャド・マレーン『世にも奇妙なニッポンのお笑い』(NHK出版新書)

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日本のお笑い芸人は、社会風刺や時事ネタをあまりやらない。これに対して「欧米ではコメディアンも権力者に批評の目を向けている」などと、日本のお笑いを批判する人がいる。その評価は妥当なのだろうか。オーストラリア出身の現役漫才師チャド・マレーンさんは、「欧米のお笑いで政治や宗教、人種がネタになるのは、それが手っ取り早くウケるというだけ」と指摘する――。

※本稿は、チャド・マレーン『世にも奇妙なニッポンのお笑い』(NHK出版新書)の第3話「ところ変われば笑いも変わる」を再構成したものです。

■日本ならではのあるあるネタ

サラリーマンやおばちゃんなどよくいる人物だったり、日常生活のよくある場面だったり、「なんかいそう」な人や「なんかありそう」なことをいじってお客さんの共感を呼び、笑いをとる。こうした手法は、これまでも漫談や漫才の中でさんざん使われてきました。それが、レギュラーの「あるある探検隊」をはじめ、「あるある」だけにフォーカスしたネタをつくる人たちが現れ、いまや世間的にも一ジャンルとして認められるようになっています。

なぜ、あるあるネタが日本的なのか。それは、海外の人にあるあるネタを説明しようとしたら、まずはその概念から説明しないといけないほど、通じないものだからです。

あるあるネタは、見ている人の間にある程度共通した意識があってこそ成り立つもの。でも欧米の国々では人種や階層が多様で、共通意識を持つということ自体がそもそも難しい。だから、海外であるあるネタをやったとしても「いやこういうのもあるんじゃないか」「こういうのもあるだろう」となってしまって、「あるある!」とはならないのです。

海外の人だって、自分がよく知るタイプの人やシチュエーション、その昔に経験したことをネタにされたら笑いますし、実際、特定の人たちに向けたコメディにはそういう「あるある」ネタも盛り込まれますが、結局みんなの「あるある」がバラバラなため、ほかへ行っても通じず、ジャンルとして確立しないわけです。

■欧米の笑いは「ツッコミ」不在

これは、海外のお笑いにツッコミが不在であることにもつながっています。ツッコミは常識人であり、観客の代弁者です。ツッコミがそうした役割を担えるのは、見ているみんなの常識が一致している、という大前提があるからです。

一方、欧米の国々では育ったところもいろいろ、宗教観もいろいろ、人種もいろいろ、人生観もいろいろと、人それぞれ価値観がだいぶ異なります。なので、ツッコミは共感を得られないだけでなく、下手したら反感を買ってしまう危険がある。だから、「ボケのあとはそれぞれ勝手に心の中で受け止めてね」ということになるのです。

昨今の日本では格差が広がっているとかいろいろ言われていますが、ある程度まではみんな同じような教育を受けていて、同じようなものを見てきている。まだまだ一つの共通意識、一つの文化が共有されているんだと思います。一つのことをみんなが同じように理解できるから、ちょっとした細かいところで笑いがとれる。あるあるネタというジャンルが確立されていること自体が、その表れでしょう。

日本のお笑いがこれだけ細分化され、発展してきた理由の一つとして、お客さんが共有している意識の幅が広く、その中でボケやすいこともあるのです。

■欧米で社会派ネタが多いワケ

僕は日本に来たとき、日本のお笑いが政治や宗教、人種といった社会ネタをあまりやらないことに驚きました。欧米ではこれに下ネタを加えたのが四大ネタだというのが、僕の意見です。

そうしたことを題材にせずにお笑いをやっていることに、まず驚きました。そして、「じゃあこの人たちは、いったい何で笑いをとっているんだ」と興味がわいたのです。

「日本のお笑いには政治や社会風刺が足りない」というのは、今年巻き起こった「日本のお笑いはオワコン」騒動でも言われたことです(※)。

※編集部注:今年2月、脳科学者の茂木健一郎氏がツイッターに「日本のお笑い芸人たちは、上下関係や空気を読んだ笑いに終止し、権力者に批評の目を向けた笑いは皆無。後者が支配する地上波テレビはオワコン」などと投稿し、ネット上で騒動になった。

でも僕に言わせてもらえば、欧米のお笑いで、政治や宗教、人種がネタになるのは、大衆にウケるからです。これらを取り上げれば手っ取り早くウケるのがわかっているから、ネタにしていることが往々にしてあるのです。

■「お笑い」に何を求めるかの違い

そうなったのには、歴史的な背景も影響しているのかもしれません。欧米でコメディアンという職業が成り立つようになったのは、もともと王様が道化師を抱えたことに始まるという話を聞いたことがあります。

権力者にはみんながすり寄ります。だから宮廷には、王様をヨイショする人しかいない。中にはそのことに気づいている賢い王様もいて、真実が知りたいと考えた。でも「ほんまのことを言え」と言ったところで、誰も言わないのがわかっているから、道化師を雇った。そしてその国の実態を、笑いにくるんで教えてもらうようになった、というのです。

時の為政者が、きつい事実を笑いにくるんで受け入れる。それは欧米で長く行われてきたことです。それだけに、政治や宗教、人種といった社会に絡む話題をネタにするのは、やっているコメディアンみんなに問題意識があるからでしょうけど、それがもはやテッパンネタだからという理由も大いにあると思います。

対して日本のお笑いは、もともとが祝福芸です。「笑う門には福来る」精神で始まっているわけですから、小難しい話だったり、誰かを揶揄したりするネタとは根本的に相いれないものなのです。

それにもし、日本人が社会派ネタをお笑いに求めているならば、もっとそのたぐいのネタにあふれているはずです。お笑い芸人たちは、「ちょっとでもウケたい」と必死になっているのですから。そう考えると、日本人自体がそういう笑いを求めていないことがわかります。

日本のお笑いが社会派じゃないからといって、「オワコン」とは言えない。それは単に、お笑いに何を求めるかという違いなのです。

■どうして欧米のお笑いは大味になるのか

欧米と日本のお笑いの違いについて述べてきましたが、最後にもう一つ、大きく違うところを語っておきたいと思います。それは、ターゲット層の違いです。

日本では、ターゲットはあまり強く意識していないと思います。若者に人気か、年寄りに人気か。はたまた万人ウケする「笑点」系か、マニアックな人にしかウケないゴリゴリの大阪の深夜番組系か。その程度の差しかないと思います。

一方、たとえばアメリカだと黒人だけにターゲットを絞ったお笑い、富裕層のユダヤ人だけを狙ったお笑いと、その層ごとに笑いをとる人がいます。「同じ層だけに通じるギャグ」というのが多いんです。そうなると、万人ウケするのはどうしても誰もがわかるものということで、大味になってしまいます。

■Mr.ビーンのキャラクターが生まれた理由

わかりやすい例は、日本でも一時大流行したイギリスのMr.ビーンです。Mr.ビーンに扮するローワン・アトキンソンには、コメディアンとしてだけでなく、俳優、脚本家としての顔もあります。コメディアンとしても、いろんなキャラクターをネタに持っていて、イギリスでは「Gerald Gorilla(言葉を取得しすぎたゴリラのジェラルド)」、「The man who likes toilet(トイレが好きすぎた男)」をはじめとする名キャラクターや、とんでもなく皮肉で毒舌な性格が代々受け継がれてしまう「Blackadder(ブラックアダー家の長)」という、すごくはやったキャラクターがありました。けれど、世界の人に伝わるようにと、誰もがわかるアホなおじさんである「Mr.ビーン」を売り出したのです。

Mr.ビーンは、言葉は一切なし。動きと表情、そしておかしなシチュエーションだけで、世界の人が笑えるキャラクターをつくったのです。それまでは、すごく細かい話芸や社会風刺もやっていたにもかかわらずです。

2012年のロンドンオリンピックの開会式でも、ローワン・アトキンソンはMr.ビーンとして登場しましたが、そのあと「ビーンをもう引退する」と表明しました。年を取って体を張った演技が大変になってきたのはもちろんのこと、「50代にもなって幼稚なキャラクターをやっているのが嫌になった」というようなことを、インタビューで語っていました。僕が思うに、いちばん大きいのは、初老のMr.ビーンがウケないからです。ちゃんとしたおじいさんになったら、またみんなを困らせる姿が見られると思います。

アメリカでも、広く売れようと思ったら、多少なりとも大味にならなければいけないところがあります。その点、日本はあまりターゲットを絞らずに、好きなように自分のスタイルを突き詰められる。芸人にとって、日本は素晴らしい環境やと思います。

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チャド・マレーン
お笑い芸人
1979年、オーストラリア・パース生まれ。高校生の頃に留学で来日した際、日本のお笑いにハマり、卒業後、芸人養成所のNSC大阪に入学。その後、ぼんちおさむに師事。加藤貴博とお笑いコンビ「チャド・マレーン」として活動中。松本人志が監督した映画作品などの字幕翻訳や、芸人の海外公演のサポートなども行っている。
 

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