エッセイ『香港風味 懐かしの西多士』が話題の野村麻里さん 撮影/竹内摩耶

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 小籠包、雲呑麺などの定番から珍しい料理までが出てくる『香港風味 懐かしの西多士』(平凡社刊)。著者の野村麻里さんは6年半の香港在住の経験と食への飽くなき探求心をもとに、この本を書きました。旅行で訪れるのとは違う、住んでみて初めてわかること、香港の人々の性格や考え方、「医食同源」が根づく料理など、私たちの知らない香港の姿を伝えてくれます。

食へのこだわりが香港人の根底にある

「なんでこんなに香港に執着しているのか、自分でも不思議に感じることがあるんです」と、野村さんは言います。

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 野村さんが初めて香港を訪れたのは1988年。当時の日本では、チョウ・ユンファ主演の『男たちの挽歌』のヒットをきっかけに、香港映画ブームが起きていました。そのころ見た『ジャスト・ライク・ウェザー 美國心』に、野村さんは惹かれます。

「香港からアメリカに移民しようとする夫婦をドキュメンタリー風に撮った映画です。私は東京で生まれて育ち、田舎というものがなかったので、東京ではない場所に住んでみたいと思っていました。それで香港の企業で働きはじめたんです」

 中国に返還される前年で、香港の人たちは返還後の変化を不安に感じていました。「こんな時期になぜわざわざ香港に来たの?」と、野村さんは何度も聞かれたといいます。

「説明がめんどくさいので、“食べ物がおいしいから”と答えると、だいたい納得してくれましたね(笑)。香港の人は老若男女、食べ物の話をするのが大好きなんです。地方というものがなく、都市だけで成立している場所なので、住宅環境も悪くストレスがたまりがちです。そんななかで、食べることは安くて身近な娯楽なんでしょうね」

 それだけに、食へのこだわりも強いようです。本書でも、一緒にニュージーランドに行った香港人の頑固さに半ば呆れ、半ば感心するエピソードが語られています。

「どこで食べても広東料理が同じおいしさじゃないと我慢できないんです。外国だからしょうがないと思わないところがスゴイです(笑)。それと、香港では食材の鮮度を大切にするので、冷凍した材料だとおいしくないと感じるんですね」

 香港人には無意識に「医食同源」の理念が根づいていると、野村さんは言います。陰陽五行によって、すべての食材は「寒・涼・平・温・熱」の5種類に大別されます。

「カロリーの高い〈熱〉の料理を食べたあとは、〈寒〉のデザートを食べるというように、バランスをとることを心がけています。それとともに“おいしい”ことも重要。まずいものを食べたときに“砂を噛むような”と言いますが、まずいと身体が嫌がるんですね」

さまざまな場所で食べた料理の記憶

 下町の冰室(喫茶店)で食べたフレンチトースト、街市(市場)で買った叉焼、精進料理の店で食べた肉を一切使わない酢豚、屋台で食べる麺……。本書には香港のさまざまな場所で食べた料理が出てきます。

「料理って味だけがすべてじゃなくて、それを食べたときの風景や記憶とセットになっていると思います。同じ店でも、新築や移転すると味まで変わったように思えることもあります」

 野村さんは香港のあちこちに出かけて、地元の食堂に入っています。

「労働者のおじさんたちが食事する工業団地の食堂にも行っていましたね。当時の香港は安全な街で、女性がひとりで歩いていても危険はありませんでした。

 私は香港に住む前は広東語ができなかったんですが、生活しながら覚えました。香港の人は、広東語を話すときと英語を話すときでは感じが変わります。広東語のほうがウエットというか、人間くさくなるんです。香港人はお金の話も大好きですが、それはがめついからというわけでなく、値段に見合う買い物だったかが重要なんです。一種の合理主義ですね」

 野村さんが日本に帰国した翌年の'03年、香港を未曽有の事態が襲います。

「SARS(重症急性呼吸器症候群)の大流行です。発生後しばらくは原因が突き止められず、みんなが疑心暗鬼になりました。幸い早期に収束させることができましたが、あれ以降、香港人の意識は変わったと思います。土地に執着しない傾向があったのですが、この土地で生きていくという自覚が生まれ、デモに参加する人が増えたのでは? と」

 返還から今年で20年。今後の香港はどうなっていくのでしょうか。

「この20年の香港は受難の時期だったと思います。中国政府の政治への介入があり、大陸からの移民も増えています。食文化の面でも、大陸的な料理が多くなっています。それでも、まだ香港の食文化は根強く残っていると感じています。日本では知られていないそれらを、私なりに伝えていきたいんです」

 本書に、「香港と契る」という言葉が出てきます。

「“契る”というのは一種の約束ですね。6年半、いさせてくれた香港に対して、私は今も義理を感じているんです。その気持ちを“契る”と書きました」

 野村さんは旅行で訪れたときに黄色いスープの入った小籠包を食べ、そのおいしさを忘れられずにいました。そして移住してからその小籠包に再会します。その瞬間、彼女は香港と契っていたのかもしれませんね。

取材・文/南陀楼綾繁

<著者プロフィール>
のむら・まり 1965年、東京都生まれ。'91年よりフリーライターとして活動し、'96年から'02年まで香港在住。帰国後は執筆、編集、翻訳を手がける。共著『ひょうたんブック』(平凡社)、編著『作家の別腹』(光文社)、『作家のおやつ』(平凡社コロナブックス)、『稲垣足穂』『南方熊楠』(平凡社スタンダードブックス)など。翻訳『マクダルとマクマグ』(朝日新聞出版)がある。