業務効率の向上では、長時間労働は解消できない。/川口 雅裕
情報技術の進化や機械化によって業務効率が良くなれば、当然のように労働時間が短くなるはずだと考える人は多い。しかし実際には、職場にパソコンがなかったような昭和50年くらいから現在まで、正社員の総労働時間は年間2,000時間前後で推移しており変化がない。手作業や力仕事が減って業務効率は飛躍的に上がったように感じるが、労働時間は減っていないのである。であれば、ITなどによる業務効率の向上は、労働時間には影響しないと考えるほうが普通である。
業務効率が上がっても、労働時間が減らないのはなぜか。
第一に、効率化された業務では人数が減らされるために、一人当たりの業務量が変わらないからだ。組織は常に、効率化された部門から人員不足の部門への配置転換をしたり、手付かずの課題や強化すべき業務に担当替えをしたりする。昔、銀行の窓口にはたくさんの行員が並んでいたが、ATMの登場によって数名しかいなくなっているのが典型だ。人数がそのままなら一人当たりの業務量は減るので労働時間も短くなるが、業務量に応じた人数に調整されるので働く時間は減ることがない。
第二に、働く側にとっては、労働時間の減少が収入の減少につながるからである。業務効率が上がって早い退社が可能になっても、月々の残業代が生活費として重要なら早くは帰れない。だから、早く帰らなくていいようにゆっくりと仕事を進める、新たな課題や別の業務を作る、他の業務を手伝うといったことになりがちだ。根本的には、「労働時間に応じた賃金を支払う」という労働法の基本的な考え方が、労働時間の短縮を難しくしているということになる。
第三に、早く会社を出ても、特にすることがない人が多いからだ。様々な国際比較調査では、日本人はスポーツ・自己啓発・学習・地域活動への参加など、仕事以外の活動状況や意欲が低調であると報告されている。もちろんこれまでの長時間労働がそれら活動の障害になってきたという面もあるが、仮に今、年間労働時間が2,000時間から1,800時間になったとして、200時間を費やしたいと思えるようなことを持っている人は多くないだろう。やることがないなら早く帰る意味がないから、労働時間は減っていかない。
長時間労働の解消には、業務の効率化だけでなく、これら3つの問題を解決する必要がある。それには、個人個人の能力開発が重要だ。組織は一人当たりの業務量を鑑みて人員を調整するから、業務量は常に一定である。一定であり続ける業務量をより短時間で仕上げるには能力を向上させるしかない。残業代を稼がなければならないような定型的な業務や、上司の管理下で指示を受けながら働く階層から抜け出すにも、能力の向上しかない。会社の仕事以外の活動を楽しむのも、充実した人生を創る能力であり、その力や活動で得られた経験は仕事にも大いに活かされるから、短時間で成果を上げることができるようになる。
長時間労働の解消は、ITなどによる業務効率化はもちろん、ノー残業デーなどの労働時間制限、有給休暇の取得促進などではなかなか実現できないだろう。企業が長時間労働を解消するには、遠回りのようでも、結局のところ個々の能力開発への投資が欠かせないのである。