ジェームズ・ドゥティ氏

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スタンフォード大学の脳外科医、ジェームズ・ドゥティ氏は、父はアル中、母は深刻なうつ病の貧困家庭で育ちました。大学進学など想像も出来なかった人生を変えたのは、手品用品店で出会った女性から教わったマインドフルネスという心と身体の扱い方でした。それにより成功を手にしたドゥティ氏を待ち受けていた思わぬ苦難と救いを綴った自伝『スタンフォードの脳外科医が教わった人生の扉を開く最強のマジック』は、「マインドフルネスの教科書」として世界中で読まれています。現在、スタンフォード大学で共感と思いやりについての研究をリードしているドゥティ氏が語る、本当に「豊かな」人生を送るための条件とは……。

■お金があれば自由になれると思っていた

わたしにマインドフルネスを教えてくれたルースとの交流は、わたしが12歳だったあの夏の6週間だけだった。9ヵ月後、彼女がいた手品用品店に戻ってみると、ショッピングセンターごと取り壊され、そこはフェンスで囲われていた。まるですべてが幻だったかのようだ。それ以来彼女には会っていないし、彼女がどういう背景をもつ人だったのかはわからずじまいだが、彼女の教えてくれた「マジック」は東洋的、仏教的な哲学に基づくものだったと思う。

わたしが家庭のことで苦しんでいることを外見や言動から察知したのだろう。ルースはそこから抜け出すための手助けをしてくれた。仏教に「生徒の側に準備ができていれば、先生が現れる」という教えがある。それだったのかもしれない。ルースはまずわたしに呼吸法を教え、身体をリラックスさせる練習をさせた。それから頭の中の声を止める、つまり自己批判をやめる方法を習得させた。その後、心を開くことを教えてもらったが、これはわたしにとってとても難しく、その意味を理解するのにはずいぶん時間がかかった。

貧しい生い立ちの人間にとって、いちばん大切なのはお金を持つことだ。わたしもお金こそが人生の成功の鍵を握っていると思っていた。大学へ行き、いい職に就けば、自分の人生をコントロールできる。そう信じて疑わなかった。他人をだましたりするようなことはなかったが、それでもともかく金銭的な自由を得ることに集中していた。お金のせいで不自由をしたからこそ、そういう思いが強かった。ところが、そうした金銭的な成功をむやみに追いかけると自分しか見えなくなる。わたしは金銭的な成功を収めたにもかかわらず、幸せが感じられなかった。モノ、金、権力をたくさん手にしたのに、人生の意味や目的が理解できず、心の中は空っぽだった。他者や他者の苦しみを理解して、共感の念を持って行動するようにしなければ意味はない。それが、心を開くことの教訓だ。しかし、当時のわたしは共感の念が欠如していた。

自分ばかりにフォーカスするのをやめて、他者を理解することは、人生の意味や目的にとって肝心なことで、健康にも影響を与える。そのことがわかったのは、全財産を失った後だった。それまで腹一杯になるほど喰っていたが、何ら栄養になるものを口にしていなかったように感じた。大金を稼ぎ、ポルシェやフェラーリを乗り回し、豪邸に住み、美女に会い、プライベートジェットに乗って方々へ出かけ、特別なパーティーに行ったりしたが、毎朝空っぽで惨めな気分だった。

すべてを失ったあとに振り返ったのが、ルースの教えだ。そして、持てるものすべてを手放した後は、自分の心のエネルギーを他者のために費やすようになった。それでやっと満たされるようになった。もし、すべてを失っていなければ、いまでも億万長者として他の億万長者の仲間とパーティーをし、プライベートジェットを乗り回していたことだろう。意図的に他人をだますようなことはしなかっただろうが、自分のことばかり考えているナルシスティックな人間になっていたはずだ。自分の欲望を刺激することに懸命になり、ポルシェに飽きたから次はフェラーリだと乗りかえて、短命な喜びを次から次へと渡り歩いていたことだろう。これは「ヘドニック・トレッドミル(快楽の踏み車)」と呼ばれる状況だ。そんな喜びは移ろいやすい薄っぺらなものでしかない。

わたしは現在、子供の心臓手術をサポートしたり、血液バンクをつくったりといった活動を行っている。人々の命を救うための支援をし、感謝されることは、本当に深い心の経験であり、その充足感は長期にわたって続く。人は誰しもそのような充足感を求めている。他者を思い、他者も自分も結局はひとつだと理解し、それを実践することは、人生に大きな意味を与えてくれる。

■他人を助けていい気持ちになるのは自己満足?

ところで、こんな見方もあるだろう。他人を助けていい気持ちになるのは、自己満足にすぎないのではないかと。これについて、ダライ・ラマにたずねたことがある。彼はそんなことはどちらでもいいと言った。他人を救おうという意図があってやったことならば、いい気分になってもまったくかまわない。これは、利己的になってもいい唯一の例なのだ。人によっては、完全な利他主義などありえないという意見もある。だが、そんなことはどうでもいい。仏教やヒンドゥー教では意図したかどうかがすべてだ。たとえ、それがホームレスに1ドル、2ドルを手渡すような小さなことでも、他者を気遣うという気持ちがあれば、何もしないよりずっといい。

わたしがダライ・ラマの協力を得て設立したスタンフォード大学のCCARE(共感と利他精神研究教育センター)では、共感の分野に関わるさまざまな研究活動をおこない、医療、教育、ビジネスなどの世界における共感の重要性を検証している。グーグルでもこれまでトップの大学出身者ばかりを雇用していたが、それがサステイナブルでないことを痛感しているといった話も聞いている。あらゆる業界で、共感がどんな恩恵をもたらすかを考える時代になった。

人は成功するといくつかの間違いを犯す。そのひとつが、この成功は自分の特別な知恵や知識があったからこそだと都合よく考えてしまうことだ。しかし実際のところは、偶然にすぎない。また成功した人間は、自分のことをあがめる人々に囲まれていたいと感じるようになる。自分が弱いからそうなるのだ。

わたしは毎日、自分が抜きん出た人間などではなく、まだまだ学ぶべきことがたくさんあると言い聞かせている。毎朝ベッドの端に座って、10分ほどの意識的なメンタルエクササイズを行い、次のようなことを唱えるのだ。

どんな状況からも学ぶことはできる。社会的地位の最も高い人でも最も低い人でも、誰からでも分け隔てなく学びたい。また、自分に挑戦してくる人間、自分の言うことをすぐに聞き入れない人間にそばにいてほしい。つつましく謙虚で、エゴへのこだわりを持たず、他者のために役立つ人間でありたい。

目覚めた最初に、今日はどうやって他者のために役立とうかと考えれば、それはその1日の気分や行動に影響を及ぼすものになる。

■心を開くための10カ条

本の中では、心を開く10カ条として「10文字の心のアルファベット」を紹介した。これを木製のビーズにして、誰もが使えるようにしてくれた人がいる。わたしも毎朝、そのビーズを使って10カ条を思い出し、日中はポケットの中に入れて持ち歩いて、ときどき触れてみる。日々の生活では気が散って、何をしようとしていたのかを忘れがちだし、心を乱されることもあるだろう。そうしたときに手で触れられるものがあると、自分のゴールや意図が何だったのか思い出せる。

●COMPASSION【共感】
共感とは、他者の苦しみに気づき、その苦しみをやわらげようとする意識だ。他者に共感するには、自分に共感しなければならない。自分に厳しくあたりすぎ、他者に差し伸べるのと同じやさしさを自分にゆるさない人は多い。自分に本当にやさしくできなければ、愛とやさしさを他者に与えることはできない。

●DIGNITY【尊厳】
尊厳は、どんな人にも生まれながらにして与えられているものだ。人は誰しも、その存在を知られ、認められる価値がある。わたしたちはよく、見かけや話し方やふるまいで他者を判断してしまう。多くの場合、そうした判断は否定的であり、間違っている。わたしたちは他者を見て、こう考えなければならない。「彼らはわたしと同じ。わたしの望みも彼らの望みもひとつ。それは幸せでいること」。

●EQUANIMITY【平静】
困難なときにも気分にムラがない状態でいること、それはいいときにも悪いときにも役に立つ。人はいいときの高揚した気分を保とうとする傾向があるが、高揚を保とうとすれば、悪いことから逃げるときと同じように、「いま、ここ」にいることができなくなる。いいことも悪いことも長くは続かない。気持ちを一定に保つことで、頭と意志が澄みわたる。

●FORGIVENESS【ゆるし】
ゆるしは、人間が他者に与えられる最高の贈り物だ。そして、自分にとっても最高の贈り物だ。怒りや憎悪を誰かに抱くことは、誰かを殺すために自分が毒を飲むようなものだ。他者との関係も毒される。世界への見方も毒される。人はみな、はかなく脆い存在で、人生のいろいろな局面で、自分の意に反して、誰かを傷つけたり苦しめたりしてしまう。

●GRATITUDE【感謝】
感謝とは人生の恵みを認めることだ。たとえそれが痛みと苦しみに満ちていたとしても。世界中で多くの人が苦しみ、よりよい人生への希望を持てない状況にいる。それなのに、わたしたちは、お互いを見くらべて嫉妬したり羨んだりしてばかりいる。ほんの一瞬の時間を割いて感謝するだけで、突如として自分がどれほど恵まれているかに気づくだろう。

●HUMILITY【謙虚】
人はみなプライドを持っている。自分がどれほど重要な人間かを他人に知らせたがる。自分が他人よりどれだけ優秀かを示したがる。だが実際は、そんな気持ちは不安の表れだ。人はみな、自分の価値を自分以外の人に認めてもらいたがる。だが、そうすることで自分と他人を切り離してしまう。誰しも自分と同じように、いいところも悪いところもあることを認め、お互いを等しい存在として見ることができたとき、人は本当につながり合える。

●INTEGRITY【誠実】
誠実さには意志が必要だ。誠実であるにはまずあなたにとっていちばん大切な価値を決め、他者とのかかわりの中でその価値を絶えず実践しなければならない。人の価値観は簡単に崩れ、最初は崩れたことに気づかない。だが、一度誠実さを曲げてしまうと、二度目ははるかに曲げやすくなる。最初から不誠実を目指す人はいない。油断せず、真摯に励まなければならない。

●JUSTICE【正義】
正義とは、正しいことがなされるのを見たいという、すべての人の中にある欲求の表れだ。リソースと特権のある人にとって、正義を手に入れることはそれほど難しくない。だが、わたしたちは弱い人や貧しい人の正義を守らなければならない。弱い人のために正義を求め、彼らを気にかけ、貧しい人に与える責任が、わたしたちにはある。それがわたしたちの社会と人間性を決め、人生に意味をもたらす。

●KINDNESS【思いやり】
思いやりとは、自分への見返りや賞賛を求めずに他人が大切にされるのを見たいと思う気持ちにほかならない。親切な行いはその受け手だけでなく送り手にも役立つことが、研究でも証明されつつある。親切な行いは波のように広がり、友だちや周囲の人を親切にする。思いやりはよい気分を生み出し、いずれ自分に戻ってくる。自分が他者から思いやりを受ける番になる。

●LOVE【愛】
無償の愛は、あらゆる人とあらゆるものを変える。愛にはすべての美徳がある。愛は傷を癒やす。最後に癒やしをもたらすのは、テクノロジーでも医療でもなく、愛だ。愛こそが人間を人間たらしめている。

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James R. Doty, M.D.(ジェームズ・ドゥティ)
スタンフォード大学医学部臨床神経外科教授。スタンフォード大学共感と利他精神研究教育センター(CCARE)の創設者兼所長。ダライ・ラマ基金理事長。カリフォルニア大学アーバイン校からテュレーン大学医学部へ進み、ウォルター・リード陸軍病院、フィラデルフィア小児病院などに勤務。米陸軍では9年間軍医として勤務した。最近の研究対象は、放射線、ロボット、視覚誘導技術を使った脳および脊髄の固形腫瘍治療。CCAREでは共感・利他精神が脳機能に及ぼす影響、共感の訓練が免疫をはじめとする健康への影響などの研究に携わっている。起業家、慈善事業家としても幅広く活動。

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(スタンフォード大学医学部臨床神経外科教授 ジェームズ・ドゥティ 構成・撮影=瀧口範子)