人生やり直し願望の普遍性「僕だけがいない街」

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ライター・編集者の飯田一史さんとSF・文芸評論家の藤田直哉さんの対談。今回はTVアニメ版が放送されているマンガ『僕だけがいない街』を扱います。

『僕街』は『ジョジョ』4部+『ひぐらし』+『スペクター』?



飯田 『僕だけがいない街』は29歳の売れないマンガ家(またこの設定!)が主人公。彼が小学5年生のときに戻って、クラスメイトの女の子が殺されず、自分の母親が死に至らずに済むルートを探すという、ループもの。

藤田 『僕だけがいない街』、めちゃくちゃ面白く読みました。ある程度ネタバレしつつ、簡単に紹介するとしたら、『ジョジョ』第四部、『ひぐらしのなく頃に』と、『007 スペクター』を合わせたみたいな話ですね。
 事件が起きたら、主人公が持っている超能力みたいなもので、時間を巻き戻して救える。これはジョジョのスタンド戦みたいですが、やがて街(だけではないですが)に潜む殺人鬼を追跡する物語にもなる。少女を時間をループしながら救うところは『ひぐらし』要素。『007』要素は、主人公が犯人に仕立て上げられるところ。

飯田 作者の三部けいさんはまさに第四部のころ荒木飛呂彦先生のアシスタントをしていた(あとがきマンガによると二部終盤から五部中盤まで)。

藤田 そうなんですね。こういう表現を作者さんは好まないかもしれませんが、その頃の『ジョジョ』の興奮に近いものを感じます。
 連続殺人犯が知能犯で、別の犯人を作り上げるので、その冤罪を晴らさなければいけない。全体としては、すごい狡猾な知能犯と戦うときの人間関係の再編成のダイナミズムや、当人の感情などを非常にうまく描けているし、マンガならではの長さを使って、本当に複雑で多重的な情況を描けている。すごいですね。

飯田 物語の魅せ方、つくりが海外のテレビドラマ的。謎や迫り来る危険を小出しにしてサスペンスで引っ張る。視聴者の興味が引けなかったところ、あるいはそんなに使えないと思った設定や伏線はスルーしながら進めているところまでいっしょなのかも。

藤田 主人公が(売れない?)マンガ家だというメタ要素も、最初にちょっと出てきて、そのあと意外と出てこない設定ですね。フィクションの中で過去を改変して救う、というトニー・スコットの『デジャヴ』という作品があるのですが、そういう方向性の余地も残しているってことなのかな。

飯田 主人公が元いた時代が2006年で、小学生時代に戻ると1988年が舞台。この時代設定って意味があるのかと思って読んでいたけど、現実の事件や社会風俗とのリンクは(今のところ)していない。

原作が完結していないのにアニメはどうまとめるのか?


藤田 単行本や連載だと、実質的に第一部が終わって、第二部が始まった感じですね。
 久々に、本当にわるーいやつがいて、みんなの力を合わせて戦う、っていう必然性をリアルに感じる敵役ですね。その戦い方も、幼稚なものではなくて、社会制度なども使う「大人」な部分もあるので、按配がいいですよね。気合や気持ちだけでなんとかなってしまう少年漫画とは、一味違う苦味がある。

飯田 原作だと真犯人がわかったあともそう簡単には終わらなくて斜め上の展開できたのがめっちゃおもしろいところなんですが……。いま放映中のアニメはどうするんだろう。終わってないのにどうまとめるのかな。

藤田 わかってから、真犯人の内面を描く(探偵小説で言う、倒叙ミステリ)方向にモードチェンジしたのも興味深いですよね。
 ジョジョ第四部で言えば、吉良を主役にしたスピンオフが出て内面が描かれているので、そこにもリスペクトを感じます。でも、連続殺人鬼の内面は、こっちの方がより生々しくてエグい感じ。
 これは言ったら怒られるかもだけど、ひょっとしたらジョジョ四部と同じ場所を舞台にした8部『ジョジョリオン』が連載始まるときに多くの人が期待していた話に近いものが、本作かもしれません。『ジョジョリオン』は、それはそれで、ぼくは好きだし、興味深く読んでいますが、『ジョジョリオン』の凄味はもう別次元なので。

「父の不在」が作品世界にもたらすもの


飯田 『僕街』は「父が不在の話」だよね(ある人物が成長して父親になるけれども、基本的には)。『だがしかし』が「母が不在の話」であることとは逆で。街を統御する秩序や規範の機能不全が描かれている。

藤田 父が何故いないのかって、まだ直接は描かれていないですよね?

飯田 そうですね。主人公も、主人公が救おうとしている雛月加代という女の子も、母親は印象的だけど父親はかすんでいる。

藤田 その辺りの、おそらくは意図的に出されていない謎が沢山残っているので、この後の展開も楽しみですね。『だがしかし』の母の不在も、それほど重大に扱われていない。

飯田 そうだね。だけど、いないことが作中世界にもたらす効果は大きい。たとえば『だがしかし』は父子の世界だから、いつまでもガキっぽくいられる。

北海道の警察や公権力が信頼できないというリアリティ?


藤田 ちなみに、(過去編の)舞台となっている場所は北海道、ぼくの実家に近いところなので、空気感がよくわかります。……田舎は、リアルに警察が機能不全だったりしますからね、面積の広さと人員の問題などでカヴァーできないとか。あるいは組織が腐敗しているとか、ジャーナリズムがろくに機能していないとかで。
(途中からは)冤罪と戦う弁護士の話でもあるわけで…… 冤罪がポンポン出てしまうということは、警察も司法も信頼できるような作動をしていない。

飯田 どうなんだろう、僕の地元の青森はそんなことない気がしますがw
『僕街』は雪ですべてが塗りつぶされる感じも印象的だよね。南国だったらああはなってない。ラテンアメリカ文学みたいな血の濃密さと神秘性は出てきたかもしれないけどw

藤田 たとえば、道警はこんな感じです。「毎日新聞」2016年1月14日東京朝刊を引用すると「暴力団組員に捜査情報を漏らしたとして、地方公務員法(守秘義務)違反に問われた元北海道警札幌中央署組織犯罪対策課係長(伏字にします)被告(55)の初公判が13日、札幌地裁であり、被告は起訴内容を認めた。検察側は懲役1年を求刑し即日結審」
 去年の11月には、虚偽調書作成で33名が送検されてますね。道警って、そういう体質がある(あるいはそういう報道がある)から、信頼できない感じはある。それが作品に反映されている可能性はあるかもですね。場所の設定が効いている。

飯田 そういう意味でも、父なるもの(秩序や規範)が機能していないがために、時間を巻き戻しててでも自分たちでそれを立ち上げなければいけない、という話なのかなと。

藤田 逆に、ぼくは、秩序や規範は、機能していると思うんですよ。ただし、それが正義や公平に奉仕するものとしてではなくて、邪悪な個人の欲望に資する機能の仕方をしているだけであって。「父」がいないわけではなくて、むちゃくちゃ悪い父である、という方がぼくは近いと思います。
 そのようなリアリティとしても、場所の設定は良いと思います。あの空間のスカスカ感や、アジトが作れる=死角や、大人の目が行き届かないところがある感じや、公団住宅的な平屋が均質に並んでいる絵も、実際の土地のリアリティを感じます。

飯田 舞台設定が、地に足がついている。

藤田 母親が石狩のローカル局に勤めていた元ジャーナリストで、善意で「報道統制」に加担して実行している、というのも、面白いところで。子供たちを対象にした連続殺人のニュースを極力放送させないようにして、見せないようにして、記憶にトラウマとして残さないように努力する。そんなことを実行しようとしてできてしまうリアリティが、実際にある。
 そのせいで過去や事実が隠蔽され、タブーが形成され、それによって記憶やアイデンティティにすら影響を受けて、リアリティが揺らいでくる感じが、本作の中でかなり肝になっている部分だと思います。

他人の一生に干渉していい/善意が裏目に出ない、でいいのか?


飯田 「ループもの」も「田舎街で起こる連続怪事件」もさんざんやられてきたし、そういう点で今まで見たこともない新機軸をやっているかというとそうでもない。でも「またかよ」みたいにうんざりさせることなくグイグイ読ませる。キャラクターの感情の描き方、謎の魅せ方、キャラ同士のブラフのしかけかた、互いを想って情報をコントロールしあう感じがいちいちうまい。しかし職人芸的なおもしろさが目立つという意味では若干論じにくい……。

藤田 ループの設定がもしなかったら、母親たちが、子供たちにトラウマにならないように事件の報道などを伏せたせいで、殺人鬼が野放しになっちゃったという、救いのない話ですよw

飯田 たしかにそうだw 僕も高校の一年後輩に秋葉原で連続殺傷事件を起こした加藤智大がいるので、(当時も今もまったく面識ないけど)高校時代に戻ったらどうにかできたんじゃないかとか思ったこともあるので、この作品で主人公が抱いているような気持ちはわかるつもりです。ただ、そうは思う一方、「他人の一生を変えられる」なんていう発想は、本来おこがましい思い上がりでもある。責任取れっこないしね。フィクションではこれでいいけど。

藤田 「善意でやったことが悲劇に終わるはずがない」っていうのが作品のテーマになってきている。想いを貫きたいという情動が一貫しているのが、作品の魅力になっている。でも、本音を言うと、ぼくはそこが物足りない。善意でやって悪い結果や悲劇に転がることだってたくさんある。そういう人はあまり描かれていない。

飯田 それをやると話がややこしくなりすぎるよ。過去のどこをやり直せば変わるのかが計算不能になる。

藤田 でも、現実は、そのぐらい複雑なものですからねぇ。真犯人に辿り着くまで、あるいは、どこを直せばどう変わるのかを試行錯誤するプロセスの中に、それも入れて欲しかったなぁ、と思う。

飯田 そうすると、作品が語るメッセージが一貫しなくなっちゃうからね。また違う話になる。

藤田 想いさえ正しければ、いい結果になるなんて、目的は手段を正当化する、みたいな話であってね。ソ連の収容所群島に帰結してしまうような、共産主義を信じた人たちだって、善意ではあったわけですからね。でも、善意で行った行為が悪い帰結を招くという絶望感を踏まえた上でそれを乗り越えたいという情熱には、打たれる部分がある。
 多分作劇の(情動の)根幹にあるのは、その問題なんですよね。最初に大きく過去に飛ぶのは、母親が、自身の善意による「情報統制」の報いを受けて、死んでしまった瞬間ですからね。だから、きっとループもそこに関係している。「善意」を「悲劇」にしないための方法論を模索している。

飯田 まとめますが、『僕街』のヒットからは「人生やり直し願望」とか「忘れてしまったあの時代のことを取り戻したい願望」の普遍さを改めて感じます。現代性よりも普遍性。

藤田 ぼくは、権威や信頼できるはずの機関が信頼できない状態にある共同体の闇と立ち向かう、という物語の持つリアリティを感じます。これに似た状況は、稀ではないのかもしれません。あるいは、こういうことがありうるという時代の空気を感じ取っているのでしょうか。生々しくも、スリリングな物語の行方を楽しみに追いたいですね。