【F1】振り出しに戻ったマクラーレン・ホンダは再浮上できるのか
カナダGPのレース中盤、燃料セーブを指示するマクラーレン・ホンダのエンジニアの無線に対し、フェルナンド・アロンソが語気を強めて言った。
「No! 僕はそんなことはしたくない!」
それに対し、エンジニアは「今ここでセーブしなければ、後で大きな問題に直面することになる」とガス欠の危険性を訴えた。今のレギュレーションでは1レースで100kgの燃料しか使用できず、直線主体のモントリオールのサーキットではどうしても燃費が厳しくなる。
それでも、アロンソは突っぱねた。
「これじゃアマチュアみたいだ。今はレースをさせてくれ。燃料のことは後で考えようよ」
13番グリッドからスタートしたアロンソは、1周目に11位まで順位を上げた。しかし、その後は周回を重ねるごとに次々とストレートで抜かれ、16位まで順位を落としていた。
今のF1において最も効果的な燃料セーブの方法は、全開で走るストレートエンドでスロットルを戻す"リフト&コースト"と呼ばれるものだ。
本来は高い回転数で走るところがスロットル全閉になるのだから、燃料消費を抑えることはできる。しかし、F1マシンの場合、スロットルを戻しただけでも空気抵抗の規模は凄まじく、一般車のフルブレーキに匹敵するほどの減速が生じる。そのため、激しいバトルを演じているときに"リフト&コースト"を実行することは致命的なロスとなる。
※F1マシンのフルブレーキングは一般車の4、5倍の減速度
つまり、ドライバーにとって、燃料セーブを指示されることは、とてつもなく酷なことなのだ。
アロンソはレース後、「苛立っていたのではなくレースがしたかっただけだ」と言った。
「フラストレーションを感じていたわけじゃないよ。バトルをしているときに、タイヤをセーブするとか、燃料をセーブするといった指示が3回も4回も来たから、僕は『まずはレースをさせてくれ。周りにマシンが何台もいてモチベーションがあるのだから』と言ったんだ。『燃料をセーブするのはレースの最後に単独走行になってからでいいじゃないか』とね。もちろんレースを走り切るために燃料セーブは大切だけど、バトルをしてレースを楽しむことも大切だからね」
燃料セーブは何もマクラーレン・ホンダに限ったことではなく、独走で優勝したメルセデスAMGのルイス・ハミルトンでさえ「ブレーキングの100m手前でリフト&コーストをしてくれ」という指示をされていた。しかし、マクラーレン・ホンダの場合、それができるだけの余裕がなかった。
「ストレートで時速35kmも速いスピードで抜かれるのだから、まるで別のカテゴリーみたいだ(苦笑)。みんな簡単に抜いていくし、アマチュアドライバーみたいに見えるのは良い気分じゃないよ」(アロンソ)
カナダGPに先立って、ホンダは"トークン"(※)を使用してパワーユニットに改良を加えてきた。これは、開発凍結下でも一定の開発を認めるという各メーカーに与えられているもので、パワーユニットの各部位にそれぞれ1〜3のトークン数が割り振られている。その数字はパワーユニット全体で66になるが、このうち各メーカーに32トークンが与えられ、1年でパワーユニットの48%の開発が許されていることになる。
※信頼性に問題があった場合、FIAに申請して認められれば改良が許されているが、性能が向上するような改良・開発は認められていない。ただし「トークン」と呼ばれるポイント制による特例開発だけが認められている。各メーカーは、与えられた「トークン」の範囲内で開発箇所を選ぶことができる。
昨年から参戦している3メーカー(メルセデス、フェラーリ、ルノー)はそのうち20前後のトークンを2015年の開幕までに使用し、いくつかはシーズン中の開発のために残している。そのため、新規参入のホンダには、3メーカーの残り数の平均値である9トークンが与えられた。
今回、ホンダはそのうち2トークンを使用した。これはどちらかといえば信頼性確保のための改良だが、パワーユニットの出力効率を向上させるものでもあるため、「トークンなしでの開発が認められなかった」とホンダの新井康久F1総責任者は語った。
「トークンを使った開発というと、馬力がすごく上がると思われるかもしれませんが、今回はパワーユニット全体として効率的になるように改良しました。ですから、馬力が大幅に向上するようなものではありません。パワーの向上は"少しだけ"です。長期的に見て、変えるタイミングとして今が最適と判断してここで投入しました。シーズン後半戦に向けて、今回変えた部分はこの仕様で最後までいって、あとは他の部分の開発をします」
カナダGPの金曜日からマクラーレン・ホンダの2台は揃ってターボチャージャーとMGU-H(※)を新たなコンポーネントに交換しており、このいずれかもしくは両方にトークンを使用した改良が施されたものと思われる。
※MGU-H =Motor Generator Unit - Heat/排気ガスから熱エネルギーを回生する装置
カナダGPが開催されるストレート主体のジル・ビルヌーブ・サーキットで、マクラーレン・ホンダは楽な戦いを予想していたわけではない。しかし、金曜日のフリー走行後から想定外の事態に見舞われた。
「FP-2(フリー走行2)の後に、フェルナンドのパワーユニットにダメージの兆候が見つかり、このままいくと決勝を走り切れないだろうということでICE(内燃機関)の交換をしました」
これで、年間4基までに制限されているICEの4基目の投入を余儀なくされ、交換作業のため土曜朝のFP-3(フリー走行3)の大半の時間を失うこととなった。さらに、FP-3ではジェンソン・バトンのパワーユニットにもトラブルが発生して途中でマシンを止めた。
「ERS(エネルギー回生システム)のトラブルということで止めたんですが、結果的にICEにダメージがあるようだったので、『予選は無理』と判断しました。2台それぞれまったく異なるトラブルです」
バトンはパワーユニット交換のため予選出走を断念し、最後尾から決勝に臨むこととなった。さらにターボチャージャーとMGU-Hは年間使用可能数を超える5基目の投入となったため、合計で15グリッド降格のペナルティが科され、最後尾スタートのバトンは、降格の代わりにドライブスルーペナルティとして消化することとなった。
そんな「踏んだり蹴ったり」の状態で臨んだ決勝で、マクラーレン・ホンダは2台ともに前述のように苦しい戦いを強いられた。そして、2台そろってパワーユニットのトラブルでリタイアという最悪の結末を迎えてしまった。
「フェルナンドの方は排気温度が上昇して何かが起きたのだろうと判断して止めました。ジェンソンの方はセンサーで監視している他のところの温度が上がったので、このまま走るとどこかにダメージが出るということでピットインしてリタイアしました。これもおそらくはエキゾーストに起因するものですが、フェルナンドとはまったく違うものです。同じ問題だったらまだいいのですが、違うトラブルが出るというのは、結構厳しいですね......。今回投入した開発部品ともまったく無関係です。むしろそれが原因だったらまだ良かったかもしれない......」
レース後、ミーティングや日本との電話連絡に追われた後、新井はガックリと肩を落としてそう語った。結局、カナダの週末だけで4つのトラブルが立て続けに発生し、状況の把握と原因究明、そして対策に追われた。
「すべてがうまくいかず、噛み合わないまま終わってしまいました。厳しい戦いになると覚悟していましたが、金曜からトラブルが多すぎて十分なセッティングができず、今日も走らせるので精一杯で、最後はリタイアですからね......」
これまで一歩ずつ前進し、前戦モナコGPではついに今季初入賞(8位)したマクラーレン・ホンダだったが、カナダGPでこれまで積み上げてきたものが崩れ落ちた。新井にとって、そのショックは大きかったようだ。どんな時でも前向きに語り、メディア対応の矢面に立ってきた新井だが、この日ばかりは弱音が口を突いて出た。
「目指す所が高いだけに極限まで攻めていますから、色んな事が起きてしまうのは自分たちでも分かっています。それにしても、これだけ一度にトラブルが起きなくてもいいのにという気分です......。ファンの人たちにも申し訳ないですし、これまでで一番ツラい週末でした......」
しかし、新井を慰めるように、ドライバーが「僕らはあきらめない」と言った。苦しいレースの後でも、ふたりはチームを責め立てたり弱音を吐いたりしなかった。
「ゼロから始めたプロジェクトなのだから、時間がかかるのは当然だ。これだけ競争の厳しいF1で、最初から勝つことなんてできないことも分かっているよ。だけど、トップから4秒遅れでシーズンをスタートしてからここまでの進歩は評価すべきだし、だからこそ僕らは自信を持っている」
バトンがそう言えば、アロンソも未来の成功を信じ、そのために今努力しているのだと語る。
「タフだけど、僕らは多くを学んでいる。リタイアすることは、チャンピオン争いをしているのならとても大きな代償を払うことを意味するけど、今のマクラーレン・ホンダはそうではないのだから、今のうちに学んで将来に生かさなければならない。今回の結果は、ファンのみんなにとってもツラいと思う。だけど、今の僕らは将来に向けた開発を懸命に進めているし、その計画はとてもポジティブだ。すばらしい未来が待っていると信じてほしい」
レース週末の間、現場のデータは栃木県さくら市にある本田技術研究所「HRD Sakura」でも、エンジニアたちがリアルタイムでチェックを行なっている。カナダGP決勝が終わった時、日本はすでに月曜の朝を迎えていたため、決勝直後に今回のトラブルへの対策に着手している。2週間後にはもう次のレースが待ち受けている(オーストリアGP)。それがF1という厳しい世界で戦うということなのだ。
米家峰起●取材・文 text by Yoneya Mineoki