公務員の年金積立金は手をつけず「サラリーマンの積立金を株に投入」許せるか
■国民の年金資産を市場運用にさらす
安倍政権が公的年金の積立金約130兆円の半分をリスクの高い株式市場に投じようとしている。
運用を担当するGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)の現在の基本ポートフォリオ(資産構成)は国債60%、日本株12%、外国債11%、外国株12%。それを日本株25%、外国株25%にまで高め、国債を35%まで下げることを10月31日にGPIFが発表した。
しかも日本株の許容範囲は±9%、外国株±8%であり、最大で67%までの株式運用が可能となる。金額にして50%は65兆円、67%だと87兆円を株式に注ぎ込もうというのである。
だが、積立金の中身は老後に支給される基礎年金と2階部分の報酬比例年金であり、いうまでもなく会社と従業員が拠出する年金保険料が財源になっている。余裕資金どころか、損失が発生したら将来世代の年金カットにつながりかねない大事なお金であり、しかも株式比率は分散投資の域を超えている。
法律では「積立金の運用は、専ら被保険者のために、長期的な観点から、安全かつ効率的に行う」と定めている。だからこそ安全資産である国債比率を60%にしていたのである。
にもかかわらず、なぜリスクの高い運用比率の見直しを行ったのか。その狙いは、年金資産の拡大と同時に株式投資による日本経済の活性化という成長戦略の実現にある。
GPIFの運用見直しの発端は、2013年6月に閣議決定された日本再興戦略。その中で公的資金の運用(分散投資の促進等)リスク管理体制等のガバナンス、株式への長期投資におけるリターン向上を目的に有識者会議で検討することが明記された。
これを受けて7月に甘利明経済再生担当大臣の下に「公的・準公的資金の運用・リスク管理等の高度化等に関する有識者会議」が発足したが、メンバーのほとんどが積極運用派の学者や民間の金融専門家で占められ、年金の専門家は1人もいなかった。
報告書が11月に出されたが、運用見直しの理由として「被保険者の利益を優先する資金運用は、結果的に、日本経済に貢献することになり、また、各資金は、資金運用により経済成長の果実を享受する立場にもあることから、経済成長と資金運用との好循環が期待される」とバラ色のシナリオを描いている。
資産拡大と経済成長の二兎を追う作戦だが、果たしてそんなにうまくいくのか。
■「俺が倍に増やしてやるから、このカネを使わせろ」
そもそも年金資産は市場運用にさらす性質のお金ではないし、給付を確実に実施するのが大前提だ。それを経済成長に使うこと自体が法律を逸脱している。政府のやり方は、たまたま年金資産に目をつけて「俺が倍に増やしてやるから、このカネを使わせろ」というギャンブル的発想に近い。
年金の専門家の中には有識者会議の報告書に批判的な意見も出ている。
たとえば、報告書には米国、カナダ、ノルウェー、オランダ、スウェーデンの5カ国の年金の運用の基本ポートフォリオの事例を挙げて日本の公的年金がいかに国債の運用に偏りすぎているかを示している。
しかし、日本総合研究所調査部の西沢和彦上席主任研究員は比較対象の年金が決定的に間違っていると批判する。
「米国のカリフォルニア州職員退職制度(カルパース)とオランダ公務員総合型年金は公的年金の上乗せ部分の企業年金。カナダとスウェーデンは公的年金制度の2階部分の積立金、日本で言えば報酬比例部分だ。カナダ、スウェーデンの1階部分は税方式による最低保障の年金であり、運用もされていなければ、2階部分の運用結果の影響を受けることもない。ノルウェーの政府年金基金グローバルは年金という名前はついているが、同国の年金制度とは直接関係なく、しかも原資は石油事業収入であり、年金保険料ではない。これに対して日本の場合は運用成績しだいでは基礎年金も影響を受ける。年金制度の本質を見ないで比較することは決定的に間違っている」
日本の公的年金制度は、1階部分が全国民共通に支給する基礎年金(国民年金)、2階がサラリーマンに支給する厚生年金、そして3階が企業独自に支給する企業年金の3層立てになっている。つまり、諸外国では日本の基礎年金に相当する最低保障年金は運用リスクにさらされていないというのだ。
アメリカには全国民を対象とした日本の厚生年金と国民年金に相当する最低保障年金の積立金がある。しかし、この全額が非市場性の国債で運用されている。じつはクリントン政権時にこの積立金の一部を株式に投資すべきという案が政権内から出たことがある。
「その時に当時のグリーンスパンFRB議長は『積立金の一部を株式に投資することは間違いなく資本市場と経済の効率性をリスクにさらすことになる。どんなに手を尽くしたとしても、積立金を政治的圧力から遮断できるかは疑問である。陰に陽に圧力がかかり、積立金の生産的な利用とは異なる資産構成になってしまう』と批判している。有識者会議はなぜアメリカが国債でやっているかを何も学んでいない」(西沢氏)
グリーンスパン氏は年金が毀損するだけではなく、政治家に利用されることで健全な資本市場にも悪影響を与えると指摘しているのだ。金融先進国アメリカですらも国民共通の年金は堅く守られているのに対し、日本の場合は運用成績しだいでは基礎年金も影響を受けることになる。
■なぜ公務員の年金は一切手を付けないのか
もう一つの最大の問題点は運用成績が悪く、年金資産が失われた場合の対策について有識者会議はもちろん、政府首脳の誰もが言及していないことだ。現状では、仮に損失が発生すれば即座に償却しないで後で取り戻すという仕組みであり、いわば将来世代に先送りされることになる。
この点について経団連の幹部もこう言っている。
「そもそもGPIFが何のために運用しているかといえば将来世代の年金保険料の負担を少しでも軽くするためだ。当然、毀損した場合の対応は議論するべきだ。ただし、年金保険料の引き上げだけで対処するのは避けてほしい。今の受給世代と現役世代の負担と受益の関係を考えると、受給世代と現役の負担世代の双方が応分の負担をすべきだろう」
つまり、受給者の年金額の給付カットと現役世代の保険料の値上げで損失を穴埋めするべきだという。じつは公的年金の2階部分を運用しているカナダとスウェーデンには、損失が発生した場合は受給者の年金額カットと現役世代の保険料値上げで穴埋めするというルールがある。そうしないと将来世代の年金額に影響を与えるからだ。
当然、日本でも1階の基礎年金までも運用のリスクにさらそうというのであれば、そうした仕組みが必要になるはずだ。
ところが、そんなルール作りをしないままに多額の年金資産を株式に投じようとしている。そもそも最大の得票層である高齢者の年金額をカットする提案を政治家がするとは思えない。そうなると、現役世代の保険料値上げという不公平な仕組みしかない。すでに今の現役サラリーマンは高齢者に比べて年金の受益と負担の関係がアンバランスになっており、これ以上の格差の拡大が許されるのか。
ところで、年金積立金を実際に運用するのはGPIFの担当者ではない。
運用委託先の投資顧問会社のファンドマネジャーであり、GPIFは運用成績をチェックするだけの間接運用である。巨額の資金の運用について元外資系ファンドマネジャーはこう言う。
「日本株と外国株比率が50%を超えるとポートフォリオ的に見ても怖い。経済成長率が1%もないのに2〜3%の運用利回りを出すのは大変難しい。現役のファンドマネジャーであれば10人中8人はできないと言うだろう。国債は元本の確実性が高いが、株は倒産すればゼロになる。(株で運用する)25%は年金資産の33兆円に相当するが、リーマンショックのように6割も下がれば、日本株だけで20兆円近くの資産が吹っ飛ぶことになる」
もちろん、好不況によって株価は変動し、数十年単位の長期の運用であれば損失は取り戻せるかもしれない。
じつは、今回の国債比率を引き下げて株式投資を増やした理由の一つとして、今は日銀の国債買い入れで超低金利にあるが、アベノミクスで脱デフレが達成されると金利上昇(国債価格の下落)を招く恐れがあり、それを回避するためだと言われている。
もしそうなら、安倍政権の成長戦略の第一の矢(金融戦略)が招いたひずみであり、それを回避するために年金資産の国債比率を下げるというのは、あまりにご都合主義的な考えではないか。
もう一つ。来年10月にはサラリーマンの厚生年金と公務員の共済年金が一元化される予定だ。しかし、共済年金の積立金は独自に運用されることになっている。制度は同じなるが、運用は別なのだ。現在の共済年金の資産構成割合は国債70%以上、日本株は8%にすぎない。
運用を担当する厚労省・GPIFの職員は公務員だ。つまり自分たち公務員の年金積立金には手をつけずに、サラリーマンの積立金を不安定なマネーゲームに費やそうしていることになる。
安倍首相は今年1月の世界経済フォーラム年次会議の演説で「日本の資産運用も、大きく変わるでしょう。1兆2000億ドルの運用資産をもつGPIFについては、そのポートフォリオの見直しを始め、フォーワード・ルッキングな改革を行います。成長への投資に、貢献することとなるでしょう」(首相官邸HP)と述べている。
大切な年金資金を株式市場に流すことを各国の代表者はどう受け取ったのだろうか。よく国民がOKしたものだと驚いた首脳もいたのではないか。
(溝上憲文=文)