■睡眠薬の服用を境に認知症の症状が出始める

訪問看護が週2回、訪問入浴とマッサージ、ホームヘルパーが各1回ずつと、月曜から金曜までの平日5日は介護サービスが入ることになりました。

それぞれのサービスは1時間程度で、1日の大半は私が介護をしているわけですが、それでも日に1回、介護の専門家が来てくれるのは心強いもの。父(89)もそのサービスを受けることに安心感があるようでしたし、その都度聞く父の状態や、それに対する介護のアドバイスは頼りになりました。

しかし、土日は彼らは来ないため私が判断して介護をしなければなりません。

父が寝たきりになった当初は介護サービスを受けておらず、ひとりで介護をしていたのですから、その頃のことを考えれば何てことはないのですが、彼らの来ない土日はなんとなく不安で、「この2日間をなんとか無事に乗り切りたい」という意識になっていました。

そんな土日を控えた金曜の夜のことです。

例によって携帯電話で呼ばれて父の寝室に行くと、父はこう言いました。

「以前、医者に処方してもらった睡眠薬があるから飲ませてくれ」

この時点の父は、まだ昼夜が逆転しており夜眠れない状態が続いていました。眠れずに過ごす長い夜、自由が利かないからだのことを考え、不安になるのでしょう。夜中の2時だろうが3時だろうが些細なことで私を呼ぶ状態にありました。

これまで睡眠薬を要求しなかったのは、以前(寝たきりになる前)服用した時、意識が朦朧としておかしくなったからだそうですが、これで眠れれば問題が解消されるわけです。

私は言われた通り、処方薬が入ったケースから睡眠薬を探し出し、1錠を服用させました。薬が効いて眠りにつけたようで、その夜は一度も呼び出されることなく、私も久しぶりにまとまった睡眠をとることができました。

翌日の土曜の朝7時、いつも通り血圧と体温を測るために寝室に行くと、父はまだ眠っていました。

■いっこうに起きない老父に必死で水を飲ませる

「朝だよ。血圧測るよ」

大声で呼びかけても反応がありません。まだ薬が効いているのだろうと思い、無理に起こすことはせず血圧と体温を測りました。どちらも平常値。目が覚めたところで朝食を食べてもらおうと思いました。

その後は1時間おきぐらいに様子を見に行きましたが、一向に目を覚ましません。そのまま正午になったので、無理やりにでも起こしてお昼ご飯を食べてもらおうとしたのですが、からだを揺すっても眠り続けています。

さすがに心配になり、訪問看護師さんの緊急連絡用の携帯に電話をし指示を仰ぐことにしました。

看護師さんに服用した睡眠薬の名前を伝えると、こう言いました。

「それほど強い薬ではなく、健康な人ならひと晩で抜けるものですが、高齢でからだが弱っている人の場合は2〜3日、からだに残り、意識が朦朧とすることがあります。とにかく今は水を多めに飲んでもらい、薬を出すようにしてください」

「なんなら今日伺いましょうか」とも言ってくれましたが、水を飲ませることぐらいなら私にもできると思い、お礼を言って断りました。

なんとか父を起こして水を飲ませなければなりません。

からだを揺すって「水を飲もう」と呼びかけ続けると、かすかにうなづきました。が、ベッドの背を立てて水の入ったカップを口に持って行っても、父は飲もうとしません。飲み方が解らなくなってしまっているようなのです。

ならば、とペットボトルにストローを差し込み、吸ってもらうことにしました。ストローを口に差し込んでも口は空いたままで、ストローをくわえることができないのです。仕方なく、口を手で閉じ「チューチューして」というと、やっと水を飲み始めました。

睡眠薬を1錠飲んだだけで、そんな状態になってしまった父には愕然としました。

■愕然……。箸もスプーンも使えなくなった 

その日はそんなことを続けて終わり、翌日の日曜日。看護師さんの言った通り、水を飲んだことで薬は少しずつ抜けているようで朝、呼びかけると目を覚ましました。

「朝ご飯、食べる?」

と聞くと、うなづいたので、おかゆを作り、少量でしたが食べることもできました。この日も、ほとんど眠っていましたが、朝昼晩と3食、おかゆを食べましたし、少し安心しました。が、父の状態が急変したことは事実なので、翌日の月曜日はホームヘルパーが来る日でしたが、訪問看護師にも特別に来てもらうことにしました。

月曜日になると薬はさらに抜け、多少呂律はまわらないものの会話もできるようになりました。訪れた看護師さんの問いかけにも応じることができましたし、これで完全に薬がからだから排出されれば、少なくとも3日前の状態には戻ると思いました。

ところが、そうではなかったのです。

最初の異変は食事でした。その日の昼食にはやはりおかゆを作って持って行ったのですが、箸をうまく持つことができないのです。スプーンなら食べられるだろうと思って渡しましたが、すくったおかゆを口まで持っていくこともできません。

結局、自力では食事を摂ることができず、私が食べ物を口に入れなければ食べられない状態になってしまったのです。介護認定には、食事に介助が必要かどうかも判定の目安になっていますが、この数日で要介護度は確実に重くなったわけです。

その日の夕方には、もうひとつの異変が起こりました。

夕食の支度をしようと2階の仕事場から階下に降りていくと、その足音に気づいた父が大声で私を呼びました。何事かと思って行ってみると、私を呼ぶために使っていた携帯電話の操作が分からなくなったというのです。

父が使っていた携帯電話は老人向けのシンプルなタイプでしたし、あらかじめ私の携帯番号をセットし送信ボタンを押すだけで呼び出せるようにしてありました。しかも昼夜を問わず頻繁に私を呼び出していたのですから、操作は慣れているはず。

しかし、父はどのボタンを押したらいいのか、分からないと訴えました。睡眠薬が効き過ぎて丸二日眠り込んだ。それを境に、ついに認知症の症状が出るようになってしまったのです。

(相沢光一=文)