アナウンサー 桝 太一  
司会を務める「快脳!マジかるハテナ」(日本テレビ系木曜19時〜)のセット前で。

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「前の番組は子供の頃から大好きで、本も持っていました。ですから、その冠がつく番組の司会ができるのは光栄の一言です。本当は解答者側にまわりたいぐらいなんですよ」。日本テレビアナウンサーの桝太一さんは、そう言って顔をほころばせた。

桝さんの言う“前の番組”とは1990〜99年に放映された「マジカル頭脳パワー!!」のこと。知識でなく、頭の柔らかさを競うクイズ形式のバラエティー番組は、脳トレブームの火付け役になった。

その人気番組の“進化版”をうたう「快脳!マジかるハテナ」が10月25日からスタートした。桝さんにとっては、朝の情報番組「ZIP!」に続く大抜擢で、ゴールデンタイムでの初司会でもある。

「『ZIP!』の総合司会に決まったときには90%の不安と10%の恐怖で、喜びはまったくなかった。それに比べると、今回は気持ち的にも多少ラクというか、司会と解答者には『雨上がり決死隊』のお二人がいらっしゃるので、僕はでしゃばらず、番組がつつがなく進行するようにやっていこうと思っています」

語り口はテレビと同じく、誠実でさわやか。お茶の間での好感度もうなぎ上りで、女性誌が主婦を対象に行った「好きな男性アナウンサー」のアンケートでは、堂々、第4位にランクイン。まさに若手のホープだ。

そんな桝さんといえば、華々しい学歴も話題である。中高は名門・麻布学園に通い、東京大学に現役合格。最終学歴は東京大学大学院修了。大学院ではアサリを研究テーマとして、貝殻の縞(しま)模様を数えて、その貝が生まれた年を推定していく地道な作業をひたすらこなしていた。アナウンサーとしては異色中の異色である。

「性格は暗めでネガティブ思考です。中高時代も一般的に明るいといわれる麻布生の中にあって、いつも隅っこにいるようなマイナーキャラ。小学生の頃から本の虫で、完全な文系だったんですが、生物好きが高じて高3のときに理系に方向転換しました。昆虫の研究者になりたかったので京大を目指すべきか迷いましたが、塾で密かに好きだった女の子が東大を受験しそうだと知り、最終的に僕も東大に決めて。それなのに、その子は別の大学を受けていた(笑)」

そんな話を聞くにつけ、気になるのはなぜアナウンサーになったのかということだ。桝さんによれば、転機は大学院の1年の時だったという。

「大学院にはすごい人たちがたくさんいて、自分は研究者としては一流になれないと悟ったんです。じゃあ、自分に何ができるだろうと考えた時、浮かんだのがメディアの仕事でした。多少なりとも理系の知識は持っているので、難しい科学などの話をわかりやすく伝える懸け橋にはなれるのではないかと。ただし、当初の希望はテレビ番組のディレクター。昔からNHKのドキュメンタリーが大好きだったんです。その試験の前にメディアのことが少しでもわかれば、と、先行していたアナウンサー試験にエントリーをしたら、幸運にもご縁をいただいた。アナウンサーという仕事は人前でしゃべる、空気を読む、笑いを取るなど、僕が人生でカットしてきたものを全て必要とする職業。これは自分の殻を破るチャンスだと思って入社を決めました」

当然のことながら、父親や大学院の教授は渋い顔。その中で、唯一、喜んでくれたのは母親だった。

「思い返すと、小学生の時、母親にはよく『福澤さん(元・日本テレビアナウンサーの福澤朗さん)みたいになれるといいね』と言われていました。ファンだったんでしょうね。その記憶が頭の片隅にあったから、この道に進んだのかもしれません」

しかし、それまでとは180度異なる世界に飛び込んで、当初は戸惑いの連続だった。特に、桝さんを悩ませたのはバラエティー番組だ。

「学生時代からバラエティーを見る習慣がなかったので、笑いのツボがわからなかったんです。入社して1年目に、『エンタの神様』の前説(まえせつ。本番前に番組の流れを説明しながら会場を和ませる役)を任されたんですが、フリートークで笑いを取るなんてとても無理。収録日の前日は憂鬱(ゆううつ)で眠れないほどでした」

窮状を打ち破ったのは、持ち前の粘り強さと集中力だ。バラエティー番組のDVDを見たり、先輩アナウンサーの話術を学んだりして、人はどの場面でどう言えば笑うのか、徹底的に研究したのである。

定評のあるスポーツ実況についても然(しか)りだ。子供の頃から運動は大の苦手。野球やサッカーは好きでよく見ていたものの、他のスポーツの知識は皆無だった。そんな彼にラグビーの実況の仕事が回ってきた。

「話を振られたのは本番の3カ月前。ラグビーのルールも知らなかったので、焦りました。まずラグビー雑誌のバックナンバーや解説本を徹底的に読み込みました。そして、元ラグビー部の友人と一緒に試合に行き、解説してもらいながら観戦をして、実況の練習を繰り返しました」

本番までは寝ても覚めてもラグビーのことばかり。このときの精神的プレッシャーに比べれば、大学受験のほうがずっとラクだったという。

「受験って落ちても自分がヘコむだけじゃないですか。でも、実況はアドリブですし、失敗すれば出場しているチームやファンに申し訳が立たない。会社にも迷惑をかける。世間に自分の恥をさらすことにもなるわけです。人生で一番勉強したのはいつかと聞かれたら、『社会人になってから』と答えますね、今は」

桝さんが中学や大学受験勉強で得たのが、自己マネジメント力だ。

「受験時は、たとえば3月から6月にこの参考書を終わらせようとか、細かく計画表を作りました。そうすることで多くの課題から、何を優先させるべきかが見えてくるんですね。計画通りにいかない場合にはどうリカバリーするかを考える。自分はどのくらいの負荷に耐えられる人間なのかも、受験勉強を通じてわかりました。こうした経験は社会人になった今、すごく役に立っています」

現在は入社6年目に突入。場数を踏んで、経験でカバーできることも増えている。しかし、どんな番組でも全力投球するのが桝さんの信条だ。

「尊敬するアナウンサーの一人は、故・逸見政孝さん。逸見さんの魅力は“ブレない真面目さ”にあったと思うんです。僕もこの『快脳!マジかるハテナ』でそんなアナウンサーを目指したいと思っています」

(上島寿子=文 葛西亜里沙=撮影)