メフィスト賞作家が語る “科学的とは何か”

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 数式や記号に苦手意識を覚えて、文系の道へ進む人は多いだろう。そして、その中には「もう数式も見たくない」と拒絶反応を起こしている人もいるかも知れない。だからといって、「科学」について考えることをしていないと、いずれ困ってしまうことになるのではないか、と語るのは工学博士であり、『すべてがFになる』でメフィスト賞を受賞した小説家・森博嗣氏だ。

 森氏は『科学的とはどういう意味か』(幻冬舎/刊)において、自分が文系と思い込んでしまっている人たちが、科学から極端に目を背けてしまうことを危惧している。

 そもそも、科学とは何か。
 森氏は「誰にでも再現ができるもの」と定義する。そして、その再現できるというステップを踏むシステムが「科学的」という意味であるという。
 ある現象が観察されたため、それをみんなに報告したとしよう。それが誰もが同じ現象であると確かめられたとき、科学的に「確からしいもの」だとみなされる。逆に言えば、どんなに偉い科学者であっても、その人しか確かめられないものであれば、それは「正しい」とはいえないのだ。森氏は「科学というのは民主主義に類似した仕組みで成り立っている」と指摘する。

 また、他者によって現象が再現され、正しさがみんなから確認されるためには、情報の公開が必要だ。数値や数式による定量的な評価がなければ、議論はできないし、正しい結論に導けないのだ。「大変貴重」「相当大きい」と訴えても、主観的で曖昧な説明では、万人にとってどの程度の価値を持つものかは分かりにくい。

 森氏はあとがきで、「科学を好きになる必要はない、ただ、理由もなく嫌いになるのは損ですよ」というメッセージを読者に送る。そして、「ほんのちょっとでも、興味を持ち、ほんのときどきでも「もしかして、これ、好きかも」と思えるようなことがあれば幸いである」と述べている。
 すでに文系の道に進んでいる人でも、違う分野に興味を持つということに、もう遅いということはない。本書では、科学が楽しいものだとはストレートには書かれていないが、森氏は本音を書けば「めちゃめちゃ楽しい」ものだという。科学的思考の大切を解いた本書は、早い段階で拒否反応を起こしてしまった人でも読みやすく、科学に対する新しい見方を見つけることができることだろう。
(新刊JP編集部/田中規裕)



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