「チームになってきた」の言葉に一抹の不安がよぎる<br>(photo by Kiminori SAWADA)

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  6月22日に行なわれた日本対バーレーン戦は、1−0の勝利に終わった。後半ロスタイムに生まれた決勝点は、シュートでもクロスでもないボールの処理を、相手GKが誤ったものだった。草サッカーでもあまりお目にかからないミスで、まるでプレゼントのようなゴールだった。

  それにも関わらず、得点が決まった瞬間の岡田武史監督は何度も拳を握りしめた。そして、試合後の記者会見では選手を讃えた。スーツに着替えていた会見場では、さすがに興奮した様子を見せなかったが。

「決して格好のいい、きれいな得点ではなかったけれど、これだけうまい、スマートな選手たちが、泥臭く点を取ってとれたのは、私にとってすごくうれしいことだと思っています」

 このコメントを聞いて、2005年3月のバーレーン戦を思い出した人がいたかもしれない。相手のオウンゴールで1−0の勝利を収めた試合後、ジーコ監督(当時)はこんな話をしている。

「オウンゴールであっても、我々があれだけプレッシャーをかけていなかったら、果たしてあのゴールは生まれていたか。選手全員がゴールを意識した結果として生まれたものだと思う。本当に立派な1点だと思うし、みんなの気持ちが乗り移った1点だと思う」

  ジーコは気持ちを大切にする人だった。個人が抱く「勝利への執念」と、その結集としての「チームの一体感」を大切にする人だった。

 6月7日に行なわれたアウェイのオマーン戦あたりから、岡田監督が「チームのまとまり」をしばしば口にするようになってきた。この日の記者会見でも「ひとつのチームになってきた」と繰り返している。

僕自身も、「チームの一体感」はとても大切なものだと思っている。ジーコや岡田監督の言っていることが間違いだとは思わない。

  ただ、あえて「一体感」を強調しなかったオシム前監督のチームにも、しっかりとしたまとまりはあった。岡田監督が「チームになってきた」と言うたびにジーコを思い出し、僕は少し不安な気持ちになる。

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