ジムニーになれなかったパジェロミニの悲哀
「パジェロミニ」の最終モデル(写真:MITSUBISHI MOTORS Library)
この夏、20年ぶりにフルモデルチェンジしたスズキ「ジムニー」。軽自動車ながら本格的なオフロード走行ができる4輪駆動車として、武骨なスタイル、硬派なコンセプトなどがファンのみならず、幅広い層に受け入れられ大ヒットしている。
そんなジムニーと同じく、軽自動車ながら本格的な4輪駆動車としての位置づけを持ったクルマがあった。三菱自動車「パジェロ」の名を冠した軽自動車「パジェロミニ」である。1994年に登場、2012年に生産を終了したモデルだ。
「パジェロミニ」とはどんなクルマだったのか?
ジムニー人気の一端には日本のみならず、世界的なSUV(スポーツ多目的車)ブームもあるだろう。折しもホンダは「CR-V」を2年ぶりに日本で復活。トヨタ自動車もいったん日本での販売を打ち切っていた「RAV4」を2019年春にも復活する。
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「もし、パジェロミニがいまだに残っていて、最新モデルに切り替わっていたら、ジムニーのようなヒット車種に再びなっていたかもしれない」と話すモータージャーナリストの声もある。試しに中古車情報サイトのカーセンサーで検索してみたところ、パジェロミニの最終モデルの中には本体価格が140万円を超える値をつけるタマもある。そんなパジェロミニとはどんなクルマだったのか。ジムニーとの違いはどこにあったのか。
三菱自動車から「パジェロミニ」が発売された1994年は、国内でRV(レクリエイショナル・ヴィークル)ブームとなっていた。
火付け役は、いすゞ自動車「ビッグホーン」であり、三菱「パジェロ」であった。ことにパジェロは、1982年に誕生後、1985年にはパリ〜ダカール・ラリーで優勝するなど、メルセデス・ベンツやポルシェ、プジョーといった欧州競合との戦いを制することで悪路走破性における実力をいかんなく印象付けた。1997年には篠塚建次郎、2002〜2003年には増岡浩といった日本人ドライバーによる総合優勝もあって、国内外を問わずブランド化していった。
1980年代末から1990年代初頭にかけて国内ではバブル経済が咲き誇り、自動車メーカーから数知れない高級、高性能車が誕生し、何でもアリという空気が充満していた。そうした時期に、パジェロミニが生まれ、翌年には登録車のパジェロジュニア(後継はパジェロイオ)も登場している。
パジェロミニ発売の翌1995年には年間10万台以上が生産され、好調な滑り出しであった。初代のモデル末期でも5万台弱の生産台数であり、当然のように2代目へ受け継がれた。その折には軽自動車規格の変更もあり、車体寸法が衝突安全性向上のため大型化している。
しかし、販売動向は下降線ぎみとなりだし、2000年ごろを境に半減しはじめた。背景にあったのは、社員による内部告発に端を発した乗用車とトラック・バスのリコール隠しであったといえる。これにより、それまで国内第4位の自動車メーカーであったが、三菱車を買う意味を消費者に失わせたといえるだろう。2012年にパジェロミニは製造を中止し、以後、2017年まで在庫販売が続けられた。
小柄でありながら本格的4輪駆動車「ジムニー」
この間、スズキ・ジムニーもつねに順風満帆の販売を行ってきたわけではない。やはりバブル期の1990年前後に売れ行きを大きく伸ばしたが、1998年以降は徐々に台数を減らし、低位安定の時代に入る。しかし、それを支えたのは海外販売であったとみることができる。国内での販売台数に比べ海外ではその2倍、あるいはそれ以上の販売台数を保持し続けたのであった。
米国の「ジープ(Jeep)」を筆頭に、イギリスの「ランドローバー」、ドイツの「ゲレンデヴァーゲン」(メルセデス・ベンツGクラス)、そしてトヨタ「ランドクルーザー」や日産自動車「サファリ」といった4輪駆動車はあるが、ジムニーほど小柄でありながら本格的4輪駆動車として悪路走破性を実現するクルマの数は多くない。そこに需要はあった。
スズキ・ジムニーは、1970年に初代が発売されている。きっかけとなったのは、鈴木修会長(当時常務)が、「もっと軽の特徴が活かされるユニークなクルマはできないか」の一言であった。
当時、国内では排ガス規制が動き出し、排ガス中の有害物質をそれまでの1/10に削減することが求められた。そのことで各自動車メーカーは必至であり、トヨタと日産は研究開発を集中させるためレース活動を中止したほどであった。そして世界で最初の排ガス規制達成として、1973年に「シビックCVCC」がホンダから発売される。
これに対しスズキは、国内有数の2ストロークエンジンメーカーとして排ガス対策に苦戦していた。それでも1977年に2ストロークで昭和53年度排ガス規制を達成するが、いずれ4ストロークへ移行せざるをえない状況になっていった。ジムニーも、4ストロークエンジン化されていくことになるが、そうした時代の流れの中で、ジムニーは本格的4輪駆動車として生まれたのである。
それらの実績を踏まえつつ1978年に鈴木修社長が誕生する。以来、永年にわたりスズキの経営に大きな影響を及ぼしてきた。ジムニーのほかにも、「フロンテクーペ」(1971年)、「アルト」(1979年)といった独創的な商品がスズキから次々に誕生した。
スズキの一時代を支えた画期的な商品の1つがジムニーであり、鈴木修会長の発想から生まれた車種を、簡単に終えるわけにはいかないといった社内事情もあったかもしれない。存続のため、モデルチェンジの周期は極めて長く、2代目は11年後、3代目は17年後、そして現行の4代目は20年後という、新車効果に依存することのない粘り強い販売が続けられてきた。これは、三菱パジェロミニとの比較だけでなく、ほかのどの自動車メーカーもまねのできない取り組みといえるのではないだろうか。
本格的4輪駆動車の本家といえるジープも、軍用ジープから民政用として1945年に「シビリアン・ジープ」が発売され、その後、1987年に「ジープ・ラングラー」が後継として受け継いで以降、ほぼ10年ごとのモデルチェンジ周期となっている。
パジェロミニは、誕生時期のバブル経済や、リコール隠し問題含め、さまざまな情勢によってジムニーと同じ道を歩むことは難しかったといえるだろう。そして今、三菱の軽自動車は2011年設立のNMKVという日産との合弁会社によって開発が進められている。その中で本格的4輪駆動車の軽自動車を復活させることも難しいだろう。
今の時代に希望の夢となるのは
一方で、プラグインハイブリッド車の「アウトランダーPHEV」は国内外で堅調な販売を続けている。その電動化の要素技術は、軽EVのi‐MiEVを基にしている。片や日産は、「リーフ」によって世界で最もEV販売台数の多いメーカーである。この2つを組み合わせ、EVの本格的4輪駆動の軽という商品を誕生させれば、独創的な存在となりうる可能性がなくはない。
実は、日本EVクラブの会員の1人は、エンジン車のジムニーを電動化して南極点を目指そうとしている。そのような冒険が今の時代には希望の夢となる。
パジェロミニでもジムニーでも、軽の本格的電動4輪駆動車が誕生したら、それはそれで、安価で環境に優しく、そして面白いクルマ生活や冒険を考えることができるのではないか。少なくとも未開の荒野へ旅立つのではなく、郊外の自然に囲まれた地で生活したり、林業に従事したりする範囲の利用であれば、ガソリンスタンド軒数が半減した今日、自宅や事業所で充電し、モーターで未舗装路を走れる軽自動車の4輪駆動車は重宝するのではないだろうか。モーターの駆動力制御は、エンジンより緻密にもできるはずだ。
まして日産や三菱なら、EVの知見は豊富に持っている。テスラ「モデルX」やジャガー「I‐PACE」のようなSUVでは、EV化がすでに実現している。