9月12日、言葉を交わす両首脳(写真:Valery Sharifulin/TASS /REUTERS)

「プーチン大統領とは一昨年(2016年12月15日)の長門会談で平和条約を私たちの手で締結するという真摯な決意を表明した。その後の両国の関係、また平和条約の問題は着実に進展している」

「領土問題を解決して平和条約を締結する。その報告に向けてしっかりと前進していきたい」

9月10日午後、「東方経済フォーラム」が開かれるロシア極東ウラジオストックに飛び立つ直前、安倍晋三首相は羽田空港で記者団にこのように意欲を語っている。ウラジオストック到着直後にはさっそく日ロ首脳会談が予定されていた。

これまでは信頼関係をアピールしていた

これまでロシアのウラジーミル・プーチン大統領とは互いに「ウラジーミル」「シンゾー」と呼びあう親密な関係で、今回で22回目の会談となる。2014年に起こったウクライナ危機の際、日本政府はロシアに対して経済制裁を行った欧米に追従したが、あくまで名目的な範囲にとどまった。ロシアもそれを理解し、食品輸入禁止措置から日本を外していた。

だがその「信頼関係」をぶち破しかねない事件が勃発した。プーチン大統領が12日に開かれた東方経済フォーラムの壇上で、突如として「年内に前提条件を付けずに平和条約を締結しよう」と提案したのだ。通訳を通じてそれを聞いた安倍首相に、苦笑とも思える表情が浮かんでいた。

とはいえ、プーチン発言の呼び水になったのは、安倍首相の発言だったかもしれない。プーチン大統領の直前、安倍首相は日ロ関係の将来について次のように言及している。

「戦後70年以上の長きにわたり、平和条約が締結されていないのは異常な状態だという思いにおいて私とプーチン大統領は一致している」

そして「日本とロシアに永続的な安定がうまれたあかつき」に世界を支える「北半球と東半球の平和の柱」を建て、北極海、ベーリング海、北太平洋、日本海という「平和と繁栄の海の幹線道路」が繋がり、その先には中国、韓国、モンゴル、インドその他太平洋諸国に繋がる「大きくて自由で公正なルールに支配された平和と繁栄、ダイナミズムに満ちた地域」が登場すると述べた。

さらに安倍首相はプーチン大統領に以下のように呼びかけている。

今やらないで、いつやるのか

「プーチン大統領、もう一度ここでたくさんの聴衆を承認として、私たちの意思を確かめ合おうではないか。今やらないで、いつやるのか。私たちがやらないで、他の誰がやるのか、と問いながら歩んでいきましょう」


(写真:Valery Sharifulin/TASS /REUTERS)

「我々の子供たちを我々の世代を悩ませたと同じ日ロ関係の膠着で、これ以上延々と悩ませてはならない」

ここで安倍首相はあえて具体的に「北方領土問題の解決を急ごう」と口にしなかったのは、日本にとってそれがあまりにも当然なものであるからに違いない。しかしそれはプーチン大統領に伝わらなかったようだ。「前提条件なしの平和条約の年内締結」はまるで安倍首相の呼びかけに呼応するかのように提案されている。

ではプーチン大統領の提案は、安倍首相のスピーチに対して反射的に発せられたものだったのか。いやそうではないだろう。ロシアはそれを表明する機会をうかがっていたに違いない。

たとえば東方経済フォーラムの閉幕時の会見で、ユーリ・トルトネフ副首相はプーチン大統領の提案について「まず友人になってから歩みを進めようとするものだ」と述べた。要するにロシアにとって、日本とロシアはまだ友人関係ではないと解することができる。ロシアは極めて冷静に日本を見ているということだ。

一方で日本もロシアにただ甘い面を見せるだけではない。今回の訪ロでは、安倍首相は「ウラジーミル」と呼びかけるのを止めている。それまではスピーチの中で一度は必ずファーストネームで呼びかけた。2016年12月の長門会談での共同記者会見では5度までも「ウラジーミル」と呼び、その親密ぶりをしつこいほどアピールした。

ところが、今回の東方経済フォーラムでは一度も「ウラジーミル」と呼びかけなかった。実はこれは安倍首相の判断だ。事前に準備された原稿には1カ所だけ「ウラジーミル」の呼びかけがあったのだが、安倍首相はそこを「プーチン大統領」と言い換えた。

それが前述の「プーチン大統領、もう一度ここで、たくさんの聴衆を証人として、私たちの意思を確かめ合おうではありませんか。今やらないで、いつやるのか、我々がやらないで、他の誰がやるのか、と問いながら、歩んでいきましょう」のくだりだ。

9月25日にはトランプ大統領と会談

東方経済フォーラムに合わせて、ロシアは中国とともに大規模な軍事演習を行っている。いうまでもなく、これは日本の安全保障にとって大きな懸念材料だ。安倍首相はこの大規模軍事演習を「注視している」とプーチン大統領に伝えているが、「ウラジーミル」とは呼ばないことも、警戒感を持っていることを示すシグナルだったのかもしれない。

プーチン大統領が安倍首相からのシグナルを感じ取ったかどうかはわからないが、その直後に日本を震撼させるような「前提条件なしの平和条約締結案」を提唱した。これは想定していたような反応ではなかったため、安倍首相が複雑な表情を浮かべたのだろう。

9月25日にはアメリカのドナルド・トランプ大統領との会談も予定している。安倍首相は、通商問題でかなりハードな交渉を強いられることは間違いない。ロシアの次はアメリカ。安倍首相の外交手腕が問われる難しい局面といえるだろう。