専業主婦は「三食昼寝つき」でヒマだと揶揄されることもあるが…(写真:Puzzle / PIXTA)

新聞記者を辞めた後、会社員と女性活躍に関する発信活動、さらに大学院生と3足の草鞋を履きながらバリバリ働いてきた中野円佳さん。ところが2017年、夫の海外転勤により、思いがけず縁遠かった専業主婦生活にどっぷり浸かることに。そこから見えてきた「専業主婦」という存在、そして「専業主婦前提社会」の実態とそれへの疑問を問い掛けます。

近くて遠い、専業主婦

1980年ごろ、専業主婦世帯数は1100万を超えていた。ところがいまやそれは650万世帯を切り、一方、共働き家庭が1100万世帯に増加。かつてと趨勢を逆転させている。


それでも、内閣府の調査によると、2010年から2014年にかけて出産した女性のうち、第一子出産後も就業を継続する人の割合は53.1%。2000年から2004年に出産した女性が約4割だったのに比べ大きく増えているが、子どもを産んだあと半数は専業主婦になっているとみられる。

が、私はこれまで専業主婦の生活というものから縁遠かった。育休中に多少は専業主婦体験をしたものの、保育園に預けはじめてからは、仕事から帰ってバタバタと子どもに夕飯を食べさせ、お風呂に入れ、寝かしつける……というワーキングマザーの生活で日々、精いっぱいだった。

周囲に幼稚園に通わせる専業主婦ママがいなかったわけではない。ただ、保育園ママにとって幼稚園ママというのは、隣に住んでいても少し遠い、知らない世界の住人のように見えるのだ。もちろん幼稚園ママにとって、保育園ママもそんな感じではないだろうか。

その保育園ママの側にいた私が昨年、夫の転勤に伴いシンガポールに住むことになった。こうして在宅でものを書きつつも、かつてないほど「専業主婦」的な生活をすることになった。

まずそこで痛感したことがある。専業主婦は、実は結構忙しいということだ。専業主婦は「三食昼寝つき」でヒマだと揶揄されることもあるが、とりわけ幼い子どもがいる場合など、はっきりいって、とんでもない。

専業主婦は、はっきり言って忙しい

多くの共働き家庭が保育園に0〜1歳から子どもを預け始めるのに対し、専業主婦たちが幼稚園に子どもを預けるのは3歳。いったいそれまでの2〜3年間、どう子どもと過ごしているのか。


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女性自身や子どもの性格などにもよると思うが、乳幼児や幼稚園児の子どもを持つ専業主婦たちの平均的な一日は、たぶんこんな感じだ。

家族よりも早く起きて身支度などをし、朝からお弁当・朝ごはんなどを作り、子どもを起こし、ぐずるのを着替えさせて食べさせて身支度させて、9時前に幼稚園に子を送る。幼稚園送りのあと、スーパーやパン屋に夕食や翌日の朝食の買い物に行く。

子どもが複数で、まだ幼稚園に入らない年齢の弟・妹がいる場合は、とくに忙しい。0〜2歳の子は、うまく昼寝ができないとぐずって収拾がつかなくなる。そうなる前に午前中に体力を使ってもらい、昼寝をすんなりしてもらおうと、午前中は全力で一緒に遊んだり、ベビーカーでぐるぐる歩き回ったりする

同じくらいの年齢の弟妹がいるママ友がいれば、行動を共にすることが多い。子ども同士で思い切り遊べるし、大人との会話がママ同士の息抜きにもなる。それから下の子にお昼を食べさせ、ようやく下の子が昼寝をすると、朝の片付け、掃除などが待っている

そうこうしているうちに、あっという間に上の子の幼稚園のお迎えの時間

帰ってきたらもう大騒ぎだ。

「ママ、あそぼう」「おかーさん、こっちきて」「だっこ」「ママー、みて」「まま」「おかあさん!」「おなかすいた」「うんち」

基本的に幼稚園から帰ってきてから夕飯、お風呂、寝かしつけまでママの自由時間はない。共働きに比べて時間に余裕があるとはいえ、子どもの相手をする時間はとてつもなく長い

子どもに年の近い兄弟がいると一緒に遊んでくれる面はあるものの、喧嘩をさばき、ママの取り合いに対応する労力も増える。夏休みなどの長期休暇はこれが1日中、続くことになる。ワーキングペアレンツの皆さんも、週末やゴールデンウィークのほうがぐったり疲れたという経験はあるだろう。専業主婦はこれが毎日!

家にいると子どもたちがヒマを持て余すので、平日の夕方に習い事を入れたりするケースも見かける。が、そうすると送迎、練習・宿題をさせるなどの付帯業務が発生する。友だちの誰ちゃんのうちで遊ぶ、あるいは誰くんがうちに来る、という予定も日々入ってきて、毎日がしっちゃかめっちゃか

忙しいから働けない

子どもがいない場合や、夫の育児参加が見込める場合、一番下の子が幼稚園に行き始める年齢になれば、1日のタイムラインはだいぶ違ってくるだろう。会社と保育園を行き来して両立に息つく間もないワーキングペアレンツに比べれば相対的には忙しくはないとは思う。

だが、それなりに忙しい。そして、疲れる。幼稚園の行事のための手作り準備など突然降りかかる作業もばかにならない。手作りにこだわった料理、子どもの教育などに力を入れようとすれば、ほとんど自分の時間はない。

もちろん好きずきや、向き不向きがあるから、楽しくやっている人もいるだろう。子どもの性格などによってもだいぶ変わってくる。うまく手を抜ける人もいるだろう。でも、専業主婦が「結構忙しい」ことには変わりはない。

この忙しさが前提になってしまうと、「本当は働いたほうがいいと思っている」場合ですら、彼女たちはなかなかもう一度働き始める踏ん切りがつかない。今現状、ただでさえ慌ただしいのに、他のことが入ってくるなんて考えられない。具体的に言うと、たとえばこういったことだ。

3歳児未満の子は基本的に(必死で保活をしないと)預ける場所がない。
3歳児以上になってからは(預かり保育などを探さない限り)幼稚園のお迎えに間に合う時間の仕事しかできない。そういう仕事を見つけるのが大変だし、大した金額にならない。
3年以上も仕事を離れているブランクがあったら社会人として不安。
2人目3人目の出産、そして夫の転勤があればまた働けなくなってしまう。
小学校に入ってからも宿題とか見ないといけないし……。夫には「働いてもいいけど、家のことがおろそかになるのはやめてね」と言われる……。

一部思い込みもあるだろうが、彼女たちからは「働き始められない」理由が、いくらでも出てくる。 夫の稼ぎがそれなりにあり、働かなくても済むからというケースも多いものの、専業主婦世帯のうち12%程度は貧困に陥っているとの指摘もある(周 燕飛、2015 「専業主婦世帯の貧困:その実態と要因」〈RIETIディスカッションペーパー〉)

今の「専業主婦前提社会」では主婦業が忙しいから働けない、働けないから専業主婦前提社会が維持され、主婦業だけで忙しくなる。このループは明らかに存在し、専業主婦前提社会を強固なものにしている。

社会のOSが高度成長期のまま

これらを知らずに、女性たちに働き出て活躍せよというのは、ムリというものだ。

そもそも日本における「サラリーマン」という働き方は、1950年代半ばからの高度経済成長期に、都市部への人口流入とともに激増した。それまでの農業や自営業は家族ぐるみで働き、女性の労働力率も高ければ、子どもも家事や稼業に駆り出されていた。それに対し、核家族で団地に住む「サラリーマン」スタイルは男性が正社員で一家の稼ぎ主となり、専業主婦が支えることを前提としてきた仕組みだ。

夫が長時間労働を担い、子どもは3歳まで家庭でみる。専業主婦が将来の労働力である子どもや、激務の夫を家庭で癒し、職場などの「生産労働」へと再び送り込む。このような家庭での家事労働を、社会学では「再生産労働」と呼ぶ。こうした妻の支えを前提として、家族手当が払われ、会社が家族ごと丸抱えで責任を負うような仕組みが企業の福利厚生や給与体系に盛り込まれてきた。

このスタイルが始まり、過労死や育児ノイローゼなどのリスクを包含しながらも一見うまくいっているように見えていたのは、たかだか1955年ごろから、女性の就労率がかつてないほど低くなった1975年ごろのピークを挟んだ数十年間のことではある。

しかし、近年、正社員になれない男性が増え、なれたとしても終身雇用が怪しくなり、扶養手当、家族手当を持たない企業も増え始めている。政府も女性に外で働いてもらうための配偶者(専業主婦)控除の見直しの過程で企業の扶養手当も見直すことを呼び掛けている。ときに孤独な育児の延長にある虐待の問題や、長時間労働がさまざまにもたらす害悪も、もはや見逃せないものになっている。

これまで、日本は国が費用を負担しない子育てや教育の大部分を女性が家庭で補い、それを企業が手当などで支給してきた。その手当がカットされ、家庭内の無償労働はますます無償になりつつある。にもかかわらず、企業側でも専業主婦が働き手を支えてくれるという前提の制度が残っている場合があるし、社会全体はバージョンアップできていない。

女性活躍と言いながら、一定の収入以下に抑えるインセンティブが働く税や社会保障の仕組み、配偶者が仕事をやめるキッカケになりやすい転勤の仕組みなどはあまり変わらず、働き始めようと思っても子どもを預けるところがない。非正規の仕事は低賃金に抑えられており、働き方改革は道半ばで柔軟な働き方を認めてくれる場所はまだ少ない。

もちろん専業主婦あるいは夫が専業主夫になる片働きスタイルを続けたい、続けられる、あるいは一時期そのようになる家庭がまだまだあるだろうし、もちろんあっていい。しかし、共働きが実態的に数として専業主婦世帯を凌駕し、男性稼ぎ主モデルのリスクが高まっている中で、社会のOSは「共働き前提社会」にしておく必要がないか。

家事育児を誰か1人がつきっきりで見ることを前提にした社会を、企業の仕組みとしても、子育て制度の枠組みとしても、見直していく必要があるのではないか。