移民の問題を労働力としてだけ扱うと、さまざまな問題が生じる(写真:picture alliance/アフロ)

テセウスはギリシャ神話に登場するアテネの王だ。クレタ島にいたミノタウロスを退治して帰る際に乗った船は、その後、朽ちた部材は少しずつ取り換えられて長年保存されていた。ギリシャの哲学者たちは議論した。いずれは船の部材は完全に入れ替わってしまうが、それでも保存されている船はテセウスの乗っていた船といえるのだろうか?


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日本の人口は2008年ごろから減少に転じている。一人の女性が生涯に産む子供の数である合計特殊出生率は、人口を一定に保つ水準である2.07を大きく下回って、2016年は1.44に過ぎない。

政府の取り組みにもかかわらず、出生率の大幅な上昇は容易ではなく、国立社会保障・人口問題研究所の「日本の将来推計人口」(2017年)では、中位推計ではほぼ横ばい、出生率が高めとなる高位推計でも1.66程度にまでしか上昇せず、今後長期にわたって人口が減少し続ける見通しとなっている。

日本の人口減少は移民で解決できない

人口減少の速度を低下させることは高齢化による現役世代の負担軽減にもなるので、日本はもっと積極的に移民を受け入れるべきという議論も多い。欧米のエコノミストと議論すると、必ずといってよいほど日本は移民を受け入れるべきだと意見される。

ただし日本の人口減少は急速で、2000年代半ばには毎年100万人近く人口が減少するため、この速度を目に見えるほど低下させるには、これまでとはケタ違いの規模で移民を受け入れる必要がある。


日本ではグローバル化は、モノ、カネ、ヒトという順序で進んできた。貿易によるモノの国際取引が拡大し、おカネの国際移動も活発化したが、ヒトの国際移動はなかなか進んでいない。しかし、世界の歴史をみると、貿易によって商品が活発に国際移動をするはるか前から、人間の大規模な移動が起こっていた。むしろ大規模な人の移動が世界史を形づくってきたといっても過言ではないようだ。

「19世紀を通じて、グローバル化の唯一最大の推進力は、貿易や国際的な資本の流れではなかった。それは人だった。産業革命が起こる前は、こうした人々のほとんどは奴隷だった。1820年までの間に1130万人が新大陸に移動したが、そのうちの870万人は、強制的にアフリカ大陸から連れてこられた」(注1)

2010年の米センサス局調査では、アメリカ・インディアン(アラスカの先住民を含む)の子孫と認識している人は約600万人で、米国の全人口3億人余りのうちの約2%に過ぎない。外部から大量の人が流入したのは、南北アメリカ大陸だけでなく、オーストラリア大陸やニュージーランドにも大量の移住者が移り住み、オーストラリアのアボリジニやニュージーランドのマオリ族といった先住民族も少数民族となってしまっている。

逆に、大量の人が海外に移住して、もともと住んでいた地域よりも海外に多くの民族がいるようになった国もある。アイルランド共和国の人口は2016年時点では480万人、北アイルランドを含めても約650万人だが、19世紀半ばのジャガイモ飢饉の際には、100万人程度の餓死者が出て、100万〜200万人が移住したという。アイルランド系の人口は、アメリカだけで約4000万人、そのほかの国々もあわせると8000万人ともいわれており、海外にいるアイルランド系の人口のほうがアイルランドに住んでいる人よりもはるかに多いといわれている。

労働力を移民に頼った後の問題

コロンブスが新大陸を発見したころ、人口は少なく土地は未活用の状態だった。人口密度の高いヨーロッパから大量の移民が新大陸に移動することは、世界の経済効率を大きく高めたはずである。ヨーロッパからの移民なしには、米国は現在のような経済大国にはなっていなかっただろう。米国という地域は移民のおかげで大発展し、この地域に住む人の所得水準は飛躍的に高まった。

しかし、「アメリカ・インディアン居留地の平均所得は米国全体の平均を68%下回る。年収5000ドル未満の世帯は全米では6%の世帯であるのに、居留地では20%の世帯だ。全米では15%である貧困水準を下回る人の割合も25%である」(注2)というように、先住民族の子孫の生活水準は米国内では相対的に非常に低い水準にあって、繁栄しているとはいいがたい。

注1)King, Stephen D.. ”Grave New World: The End of Globalization, the Return of History”, p.151, Yale University Press(2017), Kindle 版
注2)Anderson, Terry. “The Wealth Of (Indian) Nations”,  Hoover Institution, Tuesday, October 25, 2016, https://www.hoover.org/research/wealth-indian-nations-1

米国は長年にわたって世界一の綿花生産国だったが、今でも綿花生産量は、中国、インドに次ぐ第三位だ(2016年)。かつては綿花の栽培・収穫には大量の労働力が必要だった。米国の綿花生産が拡大したことには南部の奴隷制度が大きな貢献をしており、アフリカからアメリカ大陸へと強制的に移住させられた人たちは、1000万人規模ともいわれる。

トランプ大統領はメキシコとの国境に壁を作って違法移民の流入を阻止すると主張して、国内では賛否が分かれて対立が続いている。メキシコからの労働力が大量に流入するきっかけとなったのは、第二次世界大戦中に労働力が不足したことのようだ。議会は1942年にブラセロプログラム(Bracero program)を認めて、メキシコ人労働者の一時的な流入を促進した。

第二次世界大戦の終了後も、テキサス州などでは綿花の摘み取り作業を行う安価で使いやすい労働力としてメキシコ人労働者の利用を必要としていたため、ブラセロプログラムは1964年まで延長されている。1960年代になるとテキサス州の綿花農場では機械化が進み、1970年代には季節労働者に対する需要は大きく低下していた。さらに除草剤や遺伝子組み換えによる種子の利用によって綿花栽培に必要な労働力は著しく減少しているという(注3)。

統一前の西ドイツでは、労働力不足に対してトルコからの大量の労働量を受け入れたものの、経済が不振に陥るとさまざまな社会問題をひきおこしたことはよく知られている。労働力の不足という問題は経済の動向や、産業技術の発展次第でどのように変化していくか予測が難しい。

当面は労働力不足でも将来は余剰になる

今後AI(人工知能)の発展がどのような速度で進むのか予測することは困難だが、いずれは人間の仕事を奪ってしまい職の不足を招くのではないかと懸念されている。しばらくの間は、さらなる高齢化の進行が日本経済に深刻な労働力不足を引き起こすことは確実だが、その先はむしろ労働力人口の減少にもかかわらず、著しい労働力余剰が発生する可能性もあるだろう。

注3)Rivoli, Pietra. “The Travels of a T-Shirt in the Global Economy: An Economist Examines the Markets, Power, and Politics of World Trade :. New Preface and Epilogue with Updates on Economic Issues and Main Characters” , p.32, Wiley(2015), Kindle 版


世界の中でずっと同じ方向に人口が移動し続けているわけではない。欧州からアメリカ大陸へと向かった人の流れは、欧州の人口増加が減速すると縮小した。現在はアメリカへの移民で大きな割合を占めているのはアジアで、2014年に永住権を取得した人の42.3%がアジアの国からだった。

今後は、現在の労働力の供給源となっている中国や東南アジアでも高齢化が進んでいき、代わってアフリカで、衛生と栄養状態の改善や医療の普及により乳幼児死亡率が急速に低下し、人口が急増すると見られている。アジア各国で見られたように、乳幼児死亡率の低下はいずれ出生率の低下を引き起こすとみられるが、時間的なズレからアフリカ諸国の人口は大きく増加すると予想されている。国連の予測ではアフリカの人口は2015年の約11億人から、2100年には約45億人へと4倍以上に増加するが、アジアの人口は44億人から48億人に増える程度だ。

世界の人口上位10カ国に、1950年にはアフリカの国は一つも入っていなかった。2015年時点ではアジアの国は、中国、インドをはじめとして10位の日本まで6カ国が入っているが、アフリカの国は7位にナイジェリアが入っているだけだ。

しかし2050年には上位10位以内にナイジェリア、コンゴ民主共和国、エチオピアの3カ国が入り、2100年にはタンザニアとウガンダが加わって5カ国となると見られている。現在でもヨーロッパは、中東やアフリカからの大量の難民や不法移民の流入に悩まされているが、今後は人口が急速に増加するアフリカからの大量の人口移動が起こる可能性があるだろう。

グローバル化で「国民」「民族」の概念は揺らぐ

これまで日本は比較的地理的に近い、中国や東南アジア諸国から労働力を受け入れてきたが、これらの国々でも今後急速な高齢化が進むと予想される。中国は2015年の約14億人から、2100年には約10億人へと約4億人もの人口減少が予想されている。タイの人口も6800万人から大きく減少し、ベトナムは現在からはほぼ横ばいだが人口減少に転じていると見られている。インドネシアとフィリピンでは人口増加を続けるものの、人口増加速度の低下に加えて、日本との所得格差が縮小することから、アジア諸国から大量の移民を期待することは難しいだろう。

テセウスの船は時間をかけて少しずつ入れ替わって行き、同一のものなのかという議論を巻き起こした。現在われわれが国として思い浮かべる国民国家は、教科書などによれば「血縁、宗教、言語、伝統などの紐帯(ちゅうたい)によって結ばれた民族共同体を基盤とする国家」と位置づけられている。そもそも民族という考え方自体が虚構だという説もあるが、人のグローバル化が進んでいく中では、共通の基盤をもつ民族国家という考え方は揺らぎ、日本国とか日本国民とは何かなのかという根本的な問題を考えなくてはならなくなるのではないだろうか。