ワールドカップには2大会連続で出場した。(C)Getty Images

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岩政大樹 熊谷選手は、小さな頃から自分で考える習慣はありましたか?
 
熊谷紗希 めちゃくちゃありました。小学校の頃は男子にも勝てたんですが、中学になると「この前まで私のほうが速かったのに」とか「高かったのに」という経験ばかりで……。そのなかで、自分がどうやって生きていくかを必死で考えました。
 例えば、1位抜けのランニングをする時も、始めは力をセーブするんです。チームメイトの男子たちは1本目から全力疾走するので、そのうち全員落ちます。私はそこからが勝負。絶対にチームで5番目に足が速いわけじゃないのに、その方法で5番目くらいには抜けていました。
 16歳で初めて代表に呼んでもらった時も、周りとの力の差に打ちのめされて、そこで何が違うのかを考えましたね。
 
岩政 自分がどうしたら勝てるかを考えていたんですね? 改めて、熊谷選手は、なぜ日本代表まで来られたと思います。
 
熊谷 ひとつは、今言った中学校の部活の経験です。自分が男子に勝つために試行錯誤していたら、女子チームでプレーする時にすごく余裕が出ました。私は、そういう成功体験が多かったように思います。
 あとは高校ですね。宮城県の常盤木学園に行き、そこでの仲間や先生との出会いが今につながっています。
 
岩政 悔しい経験をした時は、反骨心を燃やすタイプですか?
 
熊谷 そうですね。私は高校の先生に褒められたことが、おそらくありません。怒られることが多くて、いつも「見返してやる」と思っていました。だから、間違いなく言われて伸びるタイプ。褒められては伸びません(笑)。
 
岩政 兄弟はいますか?
 
熊谷 兄がいます。4つ上です。
 
岩政 兄に対する対抗心もあったのでは?
 
熊谷 最初はありました。4歳も違うのでまったく敵いませんでしたが、高校を卒業する頃には絶対に負けなくなりましたよ。
 
岩政 私は高校進学の際に、山口県内の一番強い高校に誘われたんですが、親元を離れることになるので断りました。そもそもプロサッカー選手になるつもりがなかったんです。でも、熊谷選手は常盤木学園に越境入学した。そのパワーはどこから来たんですか?
熊谷 高校の練習に参加させてもらった時に上手い人がいっぱいたし、中学生の男子や社会人の男子との練習試合にも出してもらって「ここでサッカーをしたらもっと上手くなれるな」と思ったんです。
 
岩政 両親からの反対はなかったんですか?
 
熊谷 最初はすごく反対されました。うちは両親が教師なんですが……。
 
岩政 うちも一緒です。しかも、私は3つ上に兄もいるし、環境が似ていますね。
 
熊谷 それで勉強のこともうるさく言われて……公立高校に進学して社会人のチームでサッカーを続けるか、道外に出ていくしかなかったんです。もし北海道で続けたら、全国大会は年に1回の皇后杯しかない。「それはどうなの?」と考えていた時に、お話をいただいて、行ってみようかなと。常盤木学園はサッカー推薦で大学に進学しているOGもいて、両親も大学に進学する約束で行かせてくれました。
 
岩政 高校でもサッカーと勉強の両立を?
 
熊谷 中学校の遺産でなんとかなりました。高2くらいからA代表とU-20代表などを掛け持ちして学校は公欠だらけ。2、3年の時は100日くらいあったかもしれません。それでも内申点を落とさなければ「大学は推薦でなんとかなりそうだな」という感じでした。
 
岩政 そこから浦和レッズレディースに入ると決めますね。
 
熊谷 高校2年の時に皇后杯でレッズと対戦して「まさか勝っちゃうかも」という試合ができました。その時に声をかけていただいて、安藤さんもレッズにいたので決めました。