東大に入るための最強の習い事はピアノと公文式?
超多忙な小学生たち
最近の小学生はやたらと忙しい、サッカーに水泳、ピアノにダンス、英語に算数にプログラミング――久しぶりに甥っ子の顔を見ようとしても、こちら以上にスケジュールがぎっしり詰まっている。
週7日、何らかの習い事が入っている小学生も珍しくないという。
いつから小学生はこんなに忙しくなってしまったのだろう?
そんな疑問を『習い事狂騒曲』などの著書もあり、習い事事情に詳しい教育ジャーナリストのおおたとしまさ氏にぶつけてみた。
「実は家計における習い事の支出はさほど増えてはいないんです。ただ肌感覚として一部の熱心な教育熱心な親たちが過剰投資をしているという実感はあります。あまり安易にこの言葉は使いたくないのですが、習い事でも二極化が進み、平均値としてはさほど変化していなくても意識の高い人たちは習い事にどんどん投資をしているという気がします」
学歴社会崩壊の恐怖と「詰め込み型ゆとり教育」
不況が続き、なかなか習い事にまで支出が回らない人がいるのは容易に想像できるが、なぜより積極的に習い事をさせる親が出てきているのだろうか?
「昔はいい大学に行って、いい会社に入ればいいというわかりやすいレールがありました。しかし近年、学歴社会が相対的に薄まってきているなか、別の力をつけないと生き残れない、学歴だけでは不安と思う親たちが増えているのだと思います。もともとゆとり教育はこうした側面を強化するためにあったのですが、不安な親たちが増えた結果『詰め込み型ゆとり教育』というようないびつなものが出てきているのだと思います」
また社会的環境の変化も少なからず影響しているという。
「ひとつには共働き家庭の増加ですね。放課後の時間をどうするかという問題が、習い事を加速させている面はあると思います。また大学入試改革で全人格的な教育や体験ベースの学びが謳われることによって詰め込み型ゆとり教育が加速されている印象があります」
では一体どのような習い事をさせるのがいいのだろうか?
最強の習い事はピアノ?
日本生命が2014年に行った子どもの習い事に関するアンケートによると、20代以下の人が子どもの頃に通っていた習い事1位は水泳で42.9%、2位は書道の32.3%、3位は学習塾の30.5%だった。
それに対して東大家庭教師の会が2016年に行ったアンケートによると、「現役東大生が子供のころに通っていた習い事」の第1位は水泳で65%、2位がピアノの47%、3位が英会話で27%だった。
2つのアンケート結果の中の「ピアノ」の項目に一時期注目が集まり、話題になった。
一般の人が通っていた習い事の中では「音楽教室」は26.1%で第4位なのに、東大生に限ると、一般の人の倍近くい割合の人がピアノを習っているのだ。
果たしてピアノは最強の習い事なのだろうか?
「ピアノを習わせることができるのは経済的に余裕がある人たちであり、東大生の親の平均所得が高いことを考えると、一概にピアノが脳の発達にいいと言い切ることはできません」
おおた氏はそう言って言葉を選びながらも一つの仮説を続けた。
ピアノと似た効果のある習い事とは?
「東大生にピアノ経験者率が高い理由として、親の所得が高い、左右の手が別の動きをするので脳が鍛えられるということはあるでしょうが、それに加え『習慣化』が身に付くのではないかと思っています。ピアノの場合は週に一度教室に通えばいいというものではなく、毎日30分でも1時間でも同じ曲を間違わないように緊張の中でコツコツやっていくのは、デスクワークや勉強を習慣化していくこととも近いのではないかと思っています」
その仮説を後押しするようにおおた氏は、東大生の中に公文式の経験者が際立って多いことを指摘している。
「独自に調査したところ、東大生の3人に1人近くは公文式の経験者でした」
ご存知の方も多いと思うが、公文式は自学自習のプリントを与えられ、それを自分のペースでひたすら解いていくという学習法だ。公文式でもやはり毎日こつこつプリントをこなしていかなければいけない。
では東大のような難関校に入るのには、ピアノや公文式のように毎日コツコツ作業をするような習慣が身に付く習い事をさせるのがいいのだろうか?
正解のない時代に正解を探す昭和的価値観
「子どもを東大に入れることを目標に、ピアノや公文式を習わせたとします。そういう場合は、今我慢すれば将来いいことがあるから、と言って子どもが絶対に嫌だといっても無理やりやらせることになるでしょう」
「その結果、実際東大に一歩近づくかも知れません。でも、そうやって東大に入ることにそもそもどれだけの意味があるのでしょうか?」
おおた氏は子どもたちに親の昭和的価値観を押し付けるのは危険だという。
「昭和的価値観だと社会は右肩上がりなので、いい大学に入っていい会社に入れば将来的な収入も計算できて安定した幸せが得られるということになります。そのため将来のために今我慢するということを是とする価値観がありました。でも今は計算のできるレールというものがなくなり、正解の生き方というものがありません」
それにも関わらず、一部の熱心な親は勝ち組・負け組の発想で、習い事にも正解があるのではないかと思ってしまっているのではないかというのだ。
正解のない時代を生き抜くために、正解の習い事を探すというパラドックス。
「レールがなくなった時代は、その都度風を読んで生きていかなければいけません。そのなかで、安定したレールが敷かれていることが前提の価値観や作法が身に付いてしまうと、子どもはかえって苦労してしまうかも知れません。大切なのは子どもが幸せになることですが、正解を求めて嫌々やらされているよりも、自由という不確定要素の多い道を選んで、大変であっても自分で選んでやっている納得感があった方が幸せに感じるでしょう」
「習い事が重要な学びの機会であるのは間違いないです。色々なことに挑戦することには大賛成です。でもそれが昭和的な『あれもこれもやっておかなきゃ』という発想になってしまうと、子どもが自分の力で道を切り拓いていく力をかえって削いでしまうかも知れませんので気を付けてください」
(鶴賀太郎)