約60年にわたり、スポーツカーメーカーとして不動の名声を築き上げてきたポルシェ社ですが、2015年度の売り上げは大半がSUV。なぜこのような事態になっているのでしょうか。そして今後、同社のスポーツカーはどうなってしまうのでしょうか。

スポーツカーメーカーの雄「ポルシェ」、約7割がSUV

 スポーツカーの代名詞ともいえるドイツの「ポルシェ」。その歴史は1948(昭和23)年、フェルディナント・ポルシェ博士が自らの名前を冠したオリジナルのクルマポルシェ356」を発表したことに始まります。

ポルシェ356」はふたり乗りの小さなスポーツカーで、その走りの良さからポルシェ社は一躍、スポーツカーメーカーとして世界中に知られることになります。そして1963(昭和38)年にデビューしたポルシェ「911」が、ストリートやサーキットで大活躍。同社のスポーツカーメーカーとしての名声は不動のものとなりました。


ポルシェ「911」、その初代901型のプロトタイプ。1963年に発表され、翌1964年より本格生産が開始された(写真出典:ポルシェ)。

 ところが現在、ポルシェ社の実際の販売台数からは違った姿が見えてきます。同社の2015年における世界販売台数は約22万5000台、前年比19%増という過去最高の販売台数を記録し、まさに絶好調です。

 その理由はSUVである「マカン」と「カイエン」の人気で、どちらも前年よりふた桁の伸び率を達成。「マカン」は年間8万台以上、「カイエン」は7万3000台以上を売上げました。両モデル合算すると15万3000台、つまりポルシェの年間売上全体における7割近くが、ふたつのSUVモデルで占められているのです。

 一方、スポーツカーである「911」は3万2000台弱、全体の15%もありませんでした。販売するクルマの7割がSUVでは、もはや「SUVメーカー」と言ったほうが正確でしょう。なぜポルシェ社は、こんな状況になっているのでしょうか。

経営不振に陥っていたポルシェ 2社の思惑が一致、そして

 ポルシェ社は1990年代まで実質、2シーターを中心としたスポーツカーを作る専業メーカーとして経営されてきました。そして1970年代はまだ良かったのですが、1980年代後半から1990年代初頭にポルシェ社は経営不振に陥ります。主力商品である1963(昭和38)年デビューの「911」が旧式化し、同車をしのぐ新しいヒットモデルを生み出すことができなかったからです。当時、ポルシェ社の年間販売台数は3万台規模にまで落ち込んでおり、20万台を越える現在の数分の1程度しかありませんでした。


ポルシェ社の転換点ともなった「カイエン」、その最新特別仕様車であるプラチナエディション(写真出典:ポルシェ)。

 事態の打開を図るべく、ポルシェ社は1996(平成8)年に新しい水冷エンジンを載せた新型モデルの「ボクスター」をリリース。そして同じく「911」にも水冷エンジンを載せてモダン化、商品ラインナップの刷新を行います。これらにより販売は好転しますが、売上げが劇的に良くなるわけもありません。

 一方で当時、世界最大の市場であったアメリカでは、“オンロード派SUV”の人気が高まっていました。泥だらけなイメージであるオフロード向けのクルマではなく、街中をスマートに乗れる新しいキャラクターが与えられたSUVがヒットしていたのです。

 そんななか、同じポルシェ博士にルーツを持ち、設立当初から深い関係を維持していたポルシェ社とフォルクスワーゲン社(ドイツ)のあいだで、SUVの共同開発計画がスタートしました。「ボクスター」や新しい「911」により経営危機を乗り越えたばかりのポルシェ社、アメリカ市場進出に苦戦していたフォルクスワーゲン社、いずれもドル箱であるSUVはノドから手が出るほど欲しい車種だったのです。

 2社の共同開発にすれば、ポルシェ社は開発費用を抑えられ、フォルクスワーゲン社は「ポルシェ」の名声と技術を利用できるというメリットもあります。その結果として生まれたのが、ポルシェ「カイエン」とフォルクスワーゲン「トゥアレグ」でした。ポルシェ博士は、「フォルクスワーゲン・タイプ1(通称「ビートル」)」を開発し、フォルクスワーゲン社(ドイツ)の基礎を築いた人でもあります。

 SUVに、「ポルシェ」の名声とスポーツカーの走りをプラスした「カイエン」は、2002(平成14)年の発売と同時に大ヒットします。北米市場だけでなく、欧州やアジアでも大人気となり、結果、「カイエン」はあっという間に「911」を抜き、いつのまにかポルシェ社の販売の半数を占めるほどになりました。

 そしてこの「カイエン」のヒットは、ポルシェ社のみならず、世界中の自動車メーカーにも大きな変革をもたらしました。

日本メーカーによる買収話もいまは昔 今後、ポルシェの動向に注意すべきワケ

「カイエン」の成功をきっかけに、ポルシェ社は右肩あがりの成長を始めます。2005(平成17)年には10億ユーロ(約1130億円)の巨費を投じ、4ドア・セダン「パナメーラ」の開発をスタート。「カイエン」の成功が2ドアスポーツカーからの脱却をうながし、またそうした巨額な開発資金のねん出を可能としたことは間違いないでしょう。

 同社は2007(平成19)年、年間総生産台数が10万台を突破し、2009(平成21)年には待望のセダンである「パナメーラ」を発売。さらに2014(平成26)年には、ミディアムサイズのSUVである「マカン」を投入。それぞれヒットさせます。


ポルシェ「パナメーラ4S」。ターボやハイブリッドなど7種のラインナップで販売されている(写真出典:ポルシェ)。

 振り返ってみれば、スポーツカー専業だった1980年代に年間販売台数が5万台規模であったポルシェ社は、SUVやセダンに商品ラインナップを広げることで、いまや4倍以上の20万台を売り上げるメーカーに成長しました。1990年代初頭の経営不振のときには「日系メーカーに買収されるのではないか」といううわさが流れたのも、いまや懐かしい昔語りとなっています。そうした「いま」も、スポーツカーからの脱却を図った「カイエン」の挑戦があるからこそではないでしょうか。

 そんなポルシェ社の挑戦と成功は、ほかのブランドへの大きな刺激となりました。いまとなっては「ベントレー」をはじめ「マセラティ」「ジャガー」といったスポーティなイメージの強いプレミアムブランドも続々とSUVへ参入を始めています。

 2015年の「フランクフルトモーターショー」でポルシェ社は、電気自動車のコンセプトカー「ミッションE」を発表しました。同社はハイブリッドの採用も積極的ですが、このコンセプトカーは動力に電気のみを使用する完全な電気自動車で、かつ、スポーツカーとしての走りと実用性を兼ね備える「EVスポーツカー」を標榜しています。スポーツカー専業からの脱却を図り、成功したことが、「ポルシェスポーツカー」を新たなステージへ進化させる挑戦をも可能にしているというわけです。

 もし、こうしたポルシェ社による電動化への挑戦が成功裏に終われば、「カイエン」と同様にほかのプレミアムブランドも追従する可能性があります。これからのスポーティブランドの未来を考えるうえで、「ポルシェ」の電動化への動きは注目すべきものでしょう。