日本では1940年から、農家に対して、自家消費用のものを除いてコメを国に売る義務が課された。そのコメは、翌年から始まった配給制度で国民に配られることになったが、戦争の激化で量は徐々に減り、敗戦後は交通機関の破壊、戦時中に供出で痛めつけられた農家のコメの出し渋りなど、様々な理由で極度の食糧難に陥った。都市住民は、焼け跡を耕して農作物を栽培したり、ヤミ市で高値のヤミ米を買ったり、或いは汽車に乗って農村に向