黒田博樹【写真:田口有史】

ニューヨークだけでなく、ロサンゼルスでも愛された黒田

 ヤンキースからフリーエージェント(FA)となり、広島に復帰することが決まった黒田博樹投手の日本帰還を惜しむ声を上げているのは、ニューヨーカーだけではない。メジャー1年目の2008年から2011年まで活躍したドジャースの本拠地ロサンゼルスからも、鉄腕のメジャー離別を惜しむ言葉が捧げられている。

 地元紙ロサンゼルス・タイムズは「母国に戻る元ドジャースのヒロキ・クロダの数々の思い出に感謝する」との見出しで、番記者が書いた惜別のコラムを掲載。広島から海外FA権を行使し、ドジャースでメジャーの門を叩いた黒田の1年目を「33歳の右腕は英語も話せなかったが、ロサンゼルスのファンから愛されていた」と回想している。

 ドジャースでの4年間の成績は41勝46敗、防御率3.45、WHIP(1イニングあたりのヒット+四球)1.12。勝敗の見栄えはあまり良くないが、ロサンゼルスの人たちが実際に黒田に感じていた印象は全く違うという。

「まあいいピッチャーという印象を持つかもしれないし、あまり注視しないかもしれないが、それはとてもじゃないが正当な評価とは言えない。健康な黒田はチームのためにトップレベルの試合を作る脅威であり、いつもそうだった」

 記事では、勝敗の数字だけで計れない黒田のパフォーマンスをこう評している。

「彼は最高の打線の援護を享受することが一度もできなかった。彼の勝敗の成績は、彼がいかにいい投球を見せたかを示していない。2011年のドジャース最終年で、彼の最後の21試合の防御率は2.84だったにもかかわらず、8勝11敗に終わっている」

「トラブルを起こさないことから、完璧なモデル」

 打撃陣から援護を受けられず、見殺しにされてきた黒田の悲運をこう振り返っている。その理由には、苦しいチーム状況もあったという。記事では、その当時のドジャースが破産状態にあったことを説明。しかし、シーズン途中に強豪からのトレードのオファーが舞い込んだ時、黒田はチームへの忠誠心からトレード拒否条項を行使したことにも触れている。

 現在はヤンキースをしのぎ、メジャー最高の人件費を支払う金満球団と化したドジャースだが、黒田在籍の終盤は経営状態が悪化。NBAの元スーパースター、マジック・ジョンソンの参画した投資グループが買収するまでは、チームは危機的状況にあった。それでも、黒田は他球団でプレーオフ進出を目指すことなく、男気で当時は沈没船状態だったドジャースに踏みとどまった。

 そして、黒田はそのシーズンのオフにFAとなり、ヤンキースに移籍。メジャー随一の名門球団でも、安定感抜群の投球が変わることはなかった。その姿を、ロサンゼルスの人々も誇らしげに思っていたのかもしれない。

「30歳の終盤にもかかわらず、ニューヨークでも彼は同じピッチャーだった。彼はヤンキースの3年間で38勝33敗、WHIP1.16、防御率3.44という、ほとんどドジャース時代と見分けのつかない成績を残した。彼は安定したピッチャーだった。(メジーでのキャリア)序盤の負傷にもかかわらず、最後の5年間は平均32試合に登板した。安定感、堅実さ、依存度、トラブルを起こさないことから、完璧なモデルだった。むしろチームの方がより被害を与えた」

 こう絶賛しており、記事では黒田のメジャー移籍を「完全な成功」と断言する

「彼はラスティ・ライアルのピッチャー返しを頭に受ける恐怖を乗り越え、ドジャーズでいいピッチングを続け、メジャーの7年間で8800万ドル(約106億円)以上を稼いだ。短期滞在としては完全な成功だろう。そして、彼は家に帰る。キャリアをスタートさせ、最高の選手と認められているところへ。ここロサンゼルスにおいても、とても上質なピッチャーだったと記憶されることを願うばかりだ」

 締めくくりの文章には、ドジャースの苦しい時期を耐え抜いた黒田に対する筆者とロサンゼルスからの愛情が満ち溢れていた。