戦国武将たちの“性の指南書”『黄素妙論』とは?
性豪が多いといわれる戦国時代の武将たち。その性知識を支えていた人物が「日本医学中興の祖」といわれる名医・曲直瀬道三(まなせどうさん・1507〜94)であることはあまり知られていない。彼は多くの戦国武将たちの主治医として、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康たにも重んじられる存在だった。その曲直瀬の記した『黄素妙論(こうそみょうろん)』は、“セックス指南書”として戦国武将たちに広く読まれていたという。
『黄素妙論』は冒頭で次のように説いている。
《養生は毎日の飲食の管理と男女の交合。ただこの2つの点で決まる。暴飲暴食を慎んで、交合をほどほどにしていれば、病気にならず誰でも長命を得られるはず》
「男女交合のバイブル『黄素妙論』は、戦国時代は権力者の間で愛読され、明治以降は地下で好事家の間に流布していました。その基礎となったのは、中国のセックス指南書である『素女妙論(そじょみょうろん)』であり、曲直瀬道三が自分流にアレンジしたのが『黄素妙論』なのです。戦国武将の一人である松永久秀に与えたという記録が残っています」(新潮新書『戦国武将の養生訓』の著者である山崎光夫さん)
では、実際にどういったことが記されているのか? その気になる中身を紹介しよう。まずは、正しい男女の交合を記した部分では、女が交わりたいという欲望が起きていないうちは、男はけっして行為に及んではいけないと説いている。体位の指南については、現代でいう、正常位・後背位・座位・側位・背面騎乗位など、九つの体位を解説している。
年齢に応じた射精の回数も記してある。20歳なら3日に一度、30歳で5日、40歳で7日、50歳以上は半月に一度が目安。むやみやたらと交合すると、老年に及ばないうちに諸々の病気がいっせいに発症して、長命できるはずの命が縮まってしまうと警告する。
さらに興味深いのが、交合してはいけない日の教えである。一部抜粋すると、「大風の吹くとき、急に雨が降りだしたとき」「雷鳴がとどろき、稲妻の光るとき」「月末と月初め」「大寒の日、大暑の日、日蝕の日、月蝕の日」「立春、立夏、立秋、立冬の日。夏至と冬至」など。この基準は、古代中国の陰陽五行説を基本としている。
このほかにも、男女の交合について詳細な教えがいくつも記されている。しかも、『黄素妙論』に書かれている男女の交合は、けっして男性本位ではなく、女性への配慮が見え隠れしているのだ。週刊誌などでセックス記事が氾濫するなか、戦国時代の“セックス指南書”で、現代女性を快楽に導いてみてはいかがだろうか。
なお『黄素妙論』の原本は現存していないが、京都大学附属図書館に所蔵されている「富士川文庫」の古書が公開されており、インターネット上からアクセスすれば、資料画像が閲覧できる。
(週刊『FLASH』2月18日号)
《養生は毎日の飲食の管理と男女の交合。ただこの2つの点で決まる。暴飲暴食を慎んで、交合をほどほどにしていれば、病気にならず誰でも長命を得られるはず》
「男女交合のバイブル『黄素妙論』は、戦国時代は権力者の間で愛読され、明治以降は地下で好事家の間に流布していました。その基礎となったのは、中国のセックス指南書である『素女妙論(そじょみょうろん)』であり、曲直瀬道三が自分流にアレンジしたのが『黄素妙論』なのです。戦国武将の一人である松永久秀に与えたという記録が残っています」(新潮新書『戦国武将の養生訓』の著者である山崎光夫さん)
では、実際にどういったことが記されているのか? その気になる中身を紹介しよう。まずは、正しい男女の交合を記した部分では、女が交わりたいという欲望が起きていないうちは、男はけっして行為に及んではいけないと説いている。体位の指南については、現代でいう、正常位・後背位・座位・側位・背面騎乗位など、九つの体位を解説している。
年齢に応じた射精の回数も記してある。20歳なら3日に一度、30歳で5日、40歳で7日、50歳以上は半月に一度が目安。むやみやたらと交合すると、老年に及ばないうちに諸々の病気がいっせいに発症して、長命できるはずの命が縮まってしまうと警告する。
さらに興味深いのが、交合してはいけない日の教えである。一部抜粋すると、「大風の吹くとき、急に雨が降りだしたとき」「雷鳴がとどろき、稲妻の光るとき」「月末と月初め」「大寒の日、大暑の日、日蝕の日、月蝕の日」「立春、立夏、立秋、立冬の日。夏至と冬至」など。この基準は、古代中国の陰陽五行説を基本としている。
このほかにも、男女の交合について詳細な教えがいくつも記されている。しかも、『黄素妙論』に書かれている男女の交合は、けっして男性本位ではなく、女性への配慮が見え隠れしているのだ。週刊誌などでセックス記事が氾濫するなか、戦国時代の“セックス指南書”で、現代女性を快楽に導いてみてはいかがだろうか。
なお『黄素妙論』の原本は現存していないが、京都大学附属図書館に所蔵されている「富士川文庫」の古書が公開されており、インターネット上からアクセスすれば、資料画像が閲覧できる。
(週刊『FLASH』2月18日号)