東京タワー下の富士見坂

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さて今回は、長らく続いた大田区の坂道の話は終わり、ひさびさに港区にある坂道を取り上げてみたいと思います。場所はずばり東京タワーの真下にある坂道で、かつて富士見坂とよばれていた坂道です。
なぜ“かつて”という言葉をつけたかといいますと、単純に現在の場所には港区公認の坂の碑がないからなのですが、資料としては「新撰東京名所図会」などいくつかの古い書籍にも記録は残っているため今回歩いた坂道を富士見坂と呼ばしてもらうことにしました。

写真1


では実地のほうに移りまして、写真1はタワー下に隣接していた坂道です。
実はここ、僕が12年ほど前にはじめてここを訪れた時、当時の文献に書いてあった住所からこの坂が富士見坂と勘違いしてしまった坂なのです。
坂上あたりの軸線も南西の方向に向いていて、東京タワーもよく見えていかにもそれらしい坂道だったもので・・・。

写真2


ではかつての富士見坂がどこにあったかというと、実はすぐそばにあったのですよ。
場所は写真1の坂の途中にタクシーが2台停まっているのが見えると思うのですが、その右側あたりに写真2のような階段がありました。

写真3


とにかく気になったので階段を上っていくと、山道のような道がずんずんと続いていました。(写真3)
でもその割には掃除も行き届いているためかゴミや落ち葉なども見当たらずやはり都会の階段なのだなあと思いつつ。

写真4


さらに階段は続いていて、気がつけば坂下あたりからもかなりの高低差のある場所まできているようでした。(写真4)

写真5


横をちらりと見ると、すでに崖のようになっていて写真1で見えていた坂道がかなり下のほうに見えるほどの高低差になっていました。(写真5)

写真6


また上空を見上げるとばばんと東京タワーも。(写真6)

写真7


そしてやっと階段をのぼりきり頂上と思われる場所にやってきました。(写真7)
するとそこには観音堂らしきものがありました。
12年ほど前にはじめてここを訪れた時はこんなところにこんなものがあるなんて気がつかなかったので隣の坂道を歩いただけでそのままスルーしてしまったわけですが、実はこの観音堂のことは、江戸東京坂道事典にも取り上げられていて、
『芝公園の東京タワーの東向かいにある観音堂のところは、もとは富士見台と呼ばれて一九号地(現・東京タワーの下辺)のほうから上がっていく台地で、そこへ上がる細い坂道を富士見坂とよんでいた。現在は八段ほどの短い石段が、観音前にあるにすぎません。「新撰東京名所図会」芝公園之部には「富士見坂 十九号地切通しの上なる山をいふ。山上に観世音の座像あり」と記されています。タワーの前の切通しは江戸時代にはなくて、明治以降にひらかれたもので、タワー敷地の一部(前方のあたり)には増上寺の子院宝珠院があったが、その寺が廃絶したあとはしばらく草ぼうぼうの場所だったという。』
ということだそうです。
なので、この文の観音堂が写真7で見えている観音堂のはずなので、このあたりがかつての富士見坂の頂上あたりということになりそうです。

写真8


そして最後は同じく坂上の頂上から富士山の方向を眺めてみたものです。
写真8はちょうど写真7の観音堂に対して背を向ける方向を見ているわけですが、現在は富士山方向に背の高いビルが建っているため、おそらく目の前の樹々の緑が少ない時期にきたとして富士山は見えないだろうと思います。

住所
港区芝公園4-3