こんなときくらい中日ドラゴンズファンとして書かせてくださいm(_ _)m

※本記事は、(株)Z会
http://www.zkai.co.jp/
勤務の筆者の個人的見解です。

WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)で、応援している球団、中日ドラゴンズの井端弘和選手が大活躍しています!
初戦のブラジル戦の同点タイムリーに続き、8日(金)の台湾戦では、9回2死、土壇場での同点タイムリー!!
※その直前に盗塁した阪神の鳥谷選手も凄かった。。。
台湾戦を見て、野球が好きになった方もいらっしゃると思います。


そんな井端選手。名選手として

・勝負強い!
・練習熱心!
・二遊間のアライバは鉄壁!(注:「アラ」はセカンドの荒木選手)

などという声とともに語られることが多いです。
とくに「アライバ」の守りは有名ですね。


幼少時から中日ドラゴンズの大ファンで、大学時代は東大昇竜会の一員として、何度も球場に駆け付けた…
1999年のセ・リーグ制覇のときは、なんと年間33試合もナマ観戦した…
そんな僕から見ると、井端選手の中日ドラゴンズでの最大の功績は

それまで固定できなかったショートストップを守り続けていること!

なんです。


1980年頃から、中日のショートと言えば、宇野勝選手。バッティングフォームは豪快な一方で、エラーも多く(一度もゴールデン・グラブ賞をとっていません…)、記憶に残る選手でした。
その宇野選手をセカンドに移し、1988年からショートについたのは、これも名選手、立浪和義。高卒ルーキーでの大抜擢。
…しかし、肩の調子が芳しくなく、1992年から立浪選手はセカンドを守り始めます。
ここから中日ドラゴンズの「ショートがいない…」現象が始まりました。1991年に大学に入学し、そこから10年間「追っかけ」状態だった僕は、このときのことを肌で実感しています。

1992年以降、スターティングメンバーに名を連ねたショートストップは、ペナントレース開始から順番に…

1992年 種田、山本保、前原、酒井
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