どこで学ぶかより、何を学ぶか。大阪で覚えた英語で、いつかはハリウッドへ - 角田信朗さん

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正道会館最高師範の空手家で、世界的格闘技イベントのK-1では競技統括プロデューサーを務めた角田信朗さん。

歌手、俳優、タレントとしても多彩に活動しており、お茶の間でもおなじみの存在ではないでしょうか。

そんな角田さんですが、実は関西外国語大学外国語学部英米語学科卒で、英語科の教員免許も取得している一面もあります。

しかしながら、英語留学経験は一切ないとのこと。

では、どのように英語力を身に付けられたのか、格闘家としてのエピソードも併せてお話を伺いました。

――まず、角田さんが最初に英語に興味を持ったきっかけを教えてください。

小学生のころ、僕はすごいいじめにあっていて、強さに対するあこがれを人一倍持っていました。

そんな時、当時はやっていたブルース・リーの映画を見ました。

よく聞けばブルース・リーは、本当の武術家であり役者で、32歳の若さでたった4本の作品を残して亡くなった、と。

僕はファンになって、何回も何回も、お小遣いをはたいて映画を見に行きました。

映画館を出ると「アチョー! アチョー!」とブルース・リーのまねをする子供がたくさんいたのですが、僕もご多分に漏れずまねをしていました。

学校で始めて英語の教科書を開いたばかりの中学生のころ、もっとブルース・リーに近づきたいからと、親に頼んで映画のサウンドトラックのLPを買ってもらったんです。

サウンドトラックに入っていた映像のないドラマの音声を聞いて、付属のスクリプトを読んで、ブルース・リーのせりふやシーンを再現したり、次第にテーマ曲を覚えたりもしました。

そうして、英語の授業で教科書を読まされると、先生に「なかなかうまいね」と言われます。

褒められると嬉しいから、また家に帰ったらLPを聞いて……と繰り返していました。

――英語は得意科目だったようですね。

大事なのは、「どこに行くかより、何を学ぶか」だと思います。

英語に興味があって行った関西外国語大学を卒業するまで、僕は海外旅行すら行ったことがありませんでした。

「留学されていたんですか」とよく聞かれますが、「いえ、英語は大阪で習いました」と答えています。

大学生のころ、キャンパスにいる留学生を捕まえて「空手を教えてやるから」と、一緒に飯を食いに行き、そこで覚えた生の英語が、一番役に立っていますね。

――英語を好きになるためにはどうしたらよいでしょうか。

日本人はアクションを起こすのが下手なんです。

例えば、「on」と書くところを「to」と書いたら「×」とされ、「話しても通じないのでは」と考える人も出てくる。

でも、そんなこと気にせず、僕が大学生のころにやったように、街やバーにいる外国人の方を捕まえればいいわけです。

ほかにも、今は映画のDVDも「字幕付き」「字幕なし」を選べます。

最初は「日本語字幕付き」でストーリーを頭に入れ、次は「英語字幕つき」で何を言っているのかを聞き、最後は「字幕なし」で見るというトレーニングは効果あると思います。

僕もよくやっていますが、好きな映画なら退屈はしません。

――「英語が話せてよかった」と感じたのはどんな時でしたか。

海外の格闘家とのエピソードも聞かせてください。

K-1の競技統括担当の立場では、大会前日のルールレビューも英語で行ったり、正道会館を海外に広めたいという方とも、コミュニケーションを取ったりしています。

関西外国語大学で身に付けた英語は、こんなところで役立つんだなぁという感覚です。

あとこんなエピソードもあります。

かつて日本人に愛され、今年で13回忌を迎えるアンディ・フグという選手がいました。

ドイツ語圏の彼でしたが、ハリウッドスターになりたいという夢もあって英語を一生懸命勉強していました。